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「すきま」から。#企画メシ第二回


「ドッキリ」を考える

そんなお題をもらった瞬間から、投げ出したくなっていた。
テレビはみない。youtubeもみない。寝起きドッキリ、とか、穴に落ちるやつ?という程度の、ぼんやりとしたイメージ。
「大井洋一さん」という人を自分なりに調べて、それでも出ない「こたえ」に頭を抱え、締め切りギリギリまで悩んで、どうにか絞り出した企画書一枚。不安とわくわくを行ったり来たりしながら、当日を待つ。

以下、その時提出したドッキリ企画書。

「すきま」に思う

当日。「ドッキリ」に対する阿部さんの定義を聞いて、はっとする。

「何を当たり前だと思っているか」で日常の味方が変わる

これだったのかも、と思った。「ドッキリとは裏切りである」という定義をもって臨んだ今回の課題、裏切りの裏にあるものが、言語化された気持ちだった。当たり前を知らなければ、裏切られない。裏切れない。そこに意識の、「すきま」がある。

大井さんは企画を考えるときに、
「最近何をおかしいと思った?」「何を変だと思った?」
と問いかけるという。自分のなかに気づけば存在している当たり前を、探す。見逃さないことだ。日常の端々、をするどくみつめる。悠々自適に通り過ぎる当たり前を、確実に、とらえるのだ。

大井さんの、謙虚な熱さがどこまでも印象的だった。


「知識量で負けてたらカッコ悪い」

そういって、ご自身もとんでもないインプットをされている。
敵が少ない、人が中々いない「すきま」を狙いながら、どこまでも、真摯な姿がカッコよかった。そして何より、楽しそうだった。

企画
=「楽しそう!」と高揚感のあるもの、見え切ってないけど面白そうなもの

先を想像させる、感情の「すきま」。見えきっていない、思考の「すきま」。そんなものの存在を感じたときに、人はその企画が好きになるのかもしれない。

格闘家らしいな、と思う。
ふとした「すきま」から、相手の「好き」をめがけて、するどく隙をついていく。そんなまっすぐな右ストレートを、私もいつか、打てる日がくるのだろうか。




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