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はなみず


はなみずがでる。
風邪をひいているわけではない。
同じ症状の方がいても、
おそらく状況はことなる。

ことなる、という音はかわいい。
さえずることり、とも似ているし、
静寂のなかでおかれる積み木の音
も、ことり。と響きそうだ。

どちらでもよいようなことを書きながら、
はなみずをすする。
ずびり。
この症状がでるのは、きまって
書いている時である。
ずびり。
何だかよいものが書けそうな予感がする時、
鼻の奥がツンとする。
そのままおさまる時もあるし、
ずびずびとはなみずかとまらないときもある。
そしておさまらない時のほうが、
よいものが書ける気がする。
ちなみに今は、おさまりかけている。

はなみずでるたびに、思いだす話がある。
大学で、英文学の授業をとっていた時のことだ。
教授が言ったのか、同じクラスのだれかが言っていたのか、はたまた課題で読んだのか。
ソースの記憶は曖昧模糊としたすえに
藻屑となってソースの海の渦ときえた。

どこかの国(多分アメリカ)の女性作家だったと思う。彼女が畑で作業をしてた際に、自分の身体を「何か」が通った。その瞬間、彼女の中ならアイディアが溢れてきた。しかし、「何か」が完全に通り過ぎると、そのアイディアはどこかへ消えてしまった。ある日、彼女の身体を再び、「何か」が通る。彼女は今度こそ、「何か」のしっぽをつかまえて(なぜか尻尾があったことは確かである)そのまま部屋に連れ帰り、作品を書いた。それが後の世に残る名作になったという。 

(カタカナのダレカ、pなんちゃらら、『あいまいなきおく』)

はなみずにもどる。
鼻の奥がツンとするたびに、
私の中にも「何か」が通っているのではないか、と想像している。
捕まえたことはないけれど、
ずひずびと居座ってくれればくれるほど、
自分のきもちと、ことばの距離が近づく気がする。
普段はどんなにどんなに掬っても、こぼれ落ちていってしまうのに。
だから、はなみずがでると、少し嬉しくなる。
 
書いたら照れたまま、どこかにいってしまう気もしたから、何だか書かずにいたのだけれど。
鼻がむずむずるたびに、
私のなかに「何か」のかぜを感じて、
少しだけ嬉しいんだよ、と
書きたくなったのだ、急に。
ずびり。

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