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すばらしい日々

 老親にしろ、上司にしろ、なんで連中は何度も何度も同じことを俺に言いたがるのか。

 重要度が高いため日々繰り返す必要がある事柄であるとか、挨拶や世間話の延長であるとか、そういうジャンルの話ではない。 全く面白くない冗談を会うたびに繰り返し、こちらが笑うまでその話題から離れようとしない、そのような類のうざったさである。

 俺とて社会人の端くれゆえに、それに対しては愛想笑いを返すこともあれば、場合によってはオベッカ含みの合いの手を入れることもある。

 しかしながら「ソレお前毎日言ってね?」というレベルの再演を重ねられると、愛想笑いも次第に引き攣った苦笑いに変わりかねない。「昨日もソレ言うてたで」「しかもなんもおもんないで」などと冷淡な反応を返したくなることもままある。

 とはいえ、悪気の無さそうな相手にそこまで大人気ない反応をしても仕方がない。 今日も今日とてそのような「再演」を職務中に幾度か浴びて、背に張り付くような疲れを感じながら帰路に就く。

 自動車通勤である俺は、職場への往復途中にカーオーディオから好みの曲を流していることが多い。 今日はユニコーンの「すばらしい日々」を聴きながらハンドルを握っていた。

いつの間にか僕らも
若いつもりが年をとった
暗い話にばかり
やたらくわしくなったもんだ

 シンプルな歌詞だが中年の心には沁みるものがある。むしろ、若い頃には得られなかった感慨が加齢と共に増幅されるのを感じる。スルメ曲の中のスルメ曲というやつだ。

 昨夕の帰路に於いては、椎名林檎のファーストアルバムである「無罪モラトリアム」を聴きながら車を走らせていた。 「正しい街」の力強いイントロから始まって「歌舞伎町の女王」や「丸の内サディスティック」などの出世曲が収録されている、言わずと知れた名盤である。

 椎名林檎の他のアルバムも嫌いではないのだが、時の流れと共に洗練されるにつれて初期の躍動感が影を潜めていった印象は否めない。 そして、結局は殆ど「無罪〜」だけを繰り返し聴くようになってしまった。最近は彼女の新譜すらチェックしていない。

 そういえば近頃は音楽に限らず、新たなものを取り入れることに億劫になっている自分に気がつく。

 椎名林檎はおろか、他のアーティストの新譜についてもロクに情報を得ていないし、古い音源ばかりを引っ張り出しては郷愁に浸ることが多い。

 漫画なども一時期から新刊をまめにチェックしなくなった。下卑たことを言うならば、アダルトビデオも最近は新規開拓をしていない。  

 北川瞳や上原亜衣、さとう遥希の無修正動画を繰り返し眺めては股間をまさぐったり、まさぐらなかったりしている。 彼女らの性器の色や形の細部を記憶するまでに見慣れてしまっているため、最近はお気に入りの作品を鑑賞しても今ひとつ勃ちが悪い。

 ここまで思い返したところでイヤな予感が頭をよぎる。

 その予感とは「冒頭に記した『まるで面白くない冗談を他者に繰り返し放ちたがる老人たち』は『新しいものを取り入れることに倦んで疎かにしている今の俺』の将来の姿なのでは?」というものである。  

 インプットが滞れば、アウトプットのバリエーションが枯渇しやすくなるのは必然といえる。

 同じ曲を聴き、同じ画を観ながら、同じような感想を抱くうちに、俺もいつしか同じ相手に同じような言葉を何度も何度も何度も何度も繰り返し言ってしまい、愛想笑いや苦笑い、時にはため息を返される将来が待っているかと思うと、軽い絶望がやってくる。

 しかし、所行は無常であるゆえにそれも仕方ないのかもしれない。

 カーオーディオの中の奥田民生は、軽快ながらどこか哀愁を帯びるメロディに乗せて、気だるく歌う。

朝も夜も歌いながら
時々はぼんやり考える
君は僕を忘れるから
そうすればもう
すぐに君に会いに行ける…

(了)

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※文中の歌詞はこちらからの引用になります。


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