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読んだり積んだり断ったり捨てたり

わりと昔から本を読むのは嫌いじゃないんだけど、じゃあ何のために本を読むかといえば

1.知識を満たす
2.心を満たす

突き詰めると必ずこの二つのどちらかなんだよな。

1.は主に「実生活に役に立つ(かも知れない)知識を得る」ということ。啓蒙書、ビジネス書、ハウトゥ本なんかもこの類いになる。

2.は「知的好奇心を満たしたり、癒しを得たりする」ってことね。娯楽小説やエッセイの類いがこれに当てはまる。

裏を返すとなんの好奇心も満たさず、面白くもなければ癒されもしない/実生活においてなんの役にも立ちそうにない本は読まなくていいし、むしろ意地を張って最後まで読むほうが時間の無駄ってことになる。

なので、途中まで読んだとしてもサンクコストを気にせず積んだり売ったりするのが一番正しい対処になってしまうわけだな。

一方で「読むのを辞めた本はすぐに全部売ればいいんじゃね?」という意見もあるだろうけど、人の好みや生活スタイルというものは時間が経てば変わるものなので「後々において自分の中で価値が出てくる本」というのも存在しうることになる。

なので「一旦保留」という意味で積んでおくのも一考かもしれん。もちろんそれらが居住スペースを著しく圧迫するようなケースはまた考えなきゃならんけどね。

なんせ、世の中の情報の九割はゴミだもんな。よって人生をクリアにするには、 

1.選択する
2.その中で優先順位を決める
3.選択した物事に集中する

という情報と行動の断捨離が肝要ってことになる。とくに中年のおれたちは残りの人生そこまで残ってないかもしれないし、折り返し地点は過ぎつつあるわけだからな。

右も左もわからん若いうちは雑多な情報をとりあえず仕入れまくって、見識を広げるのも良いかも知れないが「じんせい大体半分過ぎてもうたな~」感覚のおれとしては「どうにも読み進める気のおきない本はもう読まんでええ/そのかわり良いと思った本は二回読め」とか「どうにもやりたくない、やれそうもないことは断ってよい/そのかわり自分のやれること、やりたいこと、得意っぽいことをガッツリやれ」みたいな話のほうに惹かれがちというか、心が落ち着いてしまうんだよな。

まあ良くも悪くも老けたってことなんだろうが、今のスタイルはわりと自分に合っている気がするし、なんせやっぱりやりたいことやってそこそこ暮らせてしまうなら、それ以上求める意義があんまり見出せないんだわ。

火の玉みたいに生きてるやつからしたらフヌケに見えるかもしれんが、そもそもおれたちは「知識を得る」とか「賢くなる」とか「お金を稼ぐ」ために生きてるわけじゃなくて「幸せに生きるためにそれらのツールがある程度必要」って話だと思うんだよな。

なので、幸せを損なう程度に頑張ってしまうと、目的と手段の逆転が起こり何をやってるのかようわからんということになる。少なくともおれの中ではそういうことなんだ。

それにこれは予感なんだけど、そうやって無理なく生きていくうちにおれの中で価値のあるものが勝手に積もっていき、余分なものは勝手にそぎ落とされるんじゃねえの、などとかなり都合のいいことを考えている。

そうこうしているうちにおれの命が尽きようとしたとき自ら来た道を振り返ってみると「まあ悪くなかったんじゃね」「おれにしては上出来でしょ」みたいな気持ちを持てそうな気がしてるんだよな。いやホント単なる勘でしかないし、実際のところは後悔や怨嗟にまみれてくたばるかも知れんけどな。

とはいえそんなこと言ったって今のおれはおれのやれることとやりたいことしかやれないし、今日のところはもう時間も無いのでとりあえず好きな本でも読むくらいしかできないんだわ。

それにしてもこういう時間に好きな本を読みながら、ちびちびやる酒は最高なんだよな。本当にとてもうまいんだ。

(了)




お酒を飲みます