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おれの中にある差別心について

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小学校のときの特別学級にいた野暮ったい女がそのままおばさんになったような、化粧っ気がなくておっさんみたいな顔の、おそらくは軽度知的障害者の中年女性を最近外回り中によく見かける。

なんというか知的障害者の見た目は健常者のそれとかなり違うから、ぱっと見で大体判別がついてしまう。目の奥の光もどこか弱くて、ボンヤリとしているように見える。

ついでにいうと彼女の体型は小太りでだらしなく、乳はそこそこでかいが腹回りや足回りもふとましい。つま先から頭のてっぺんまで最低限のケアしかなされていないような女性なのである。

彼女を責め立てるような気持ちは無いし、ことさらに悪く言うつもりも無い。ただその特徴について実直に書き表そうとするならば、上述のようになってしまうのだ。

そして「自分や自分の身内が彼女のようなハンデを持って生まれてきていたらどうなっていただろう、どういう半生を生きてきたのだろう」と考えると胸が苦しくなってしまう。

これはこれで一種の差別心であることも自覚している。おれはどこかで彼女のことを「きっと不幸」と見下してしまっているのだ。

かといって自然と湧き上がるこの気持ちをどうすればいいのだろう。そもそもそういう気持ちは「悪」なのか。「悪」だとしたら湧き上がることそのものが「悪」なのか、それともこうやって書き表すことが「悪」なのか、はたまた「悪」ですらないのか。

いくら考えても結論は出ないし、ひょっとしたら彼女は彼女なりに楽しく生きているのかもしれない。

誰知らぬところで、おれがひとり勝手に悶々としているだけの取るに足らぬ話かもしれないのだが、それでもこうやって吐き出したくなる程度に降り積もる思いというものがある。

今日見かけた彼女は座席をやたらと低く下げた自転車に乗って、どこかを目指しせかせかとペダルを漕いでいた。いつものように目の奥の光は弱々しく、ボンヤリとしたままであった。

(了)

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