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「がんばります」の危うさについて

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ひたむきに頑張ること自体の価値はもちろん否定しないわけだが、公の場で発される「がんばります」という言葉にはいくつか問題を含むことがあると思うワケ。

1.思考停止

具体的に頑張るものは何もなく、挨拶程度の意味しか帯びていなかったりするアレ。

2.非効率

実際に頑張ってはいるものの、マンパワーに頼り過ぎて創意工夫や効率化、技術発展を阻害するケース。

例えが壮大過ぎるかも知れないが、産業革命の一因はペストによる欧州の大量死という説がある。人海戦術に頼れないからこそ機械技術を進歩させる動機が生まれたとするものだ。

よって何でもかんでも人力でやろうとすると技術発展の停滞を招き、ライバル集団に遅れを取りかねないのだ。

3.ブラック化

前項と関連するが、労働者の体力気力時間には限界があるためなんでもかんでも「がんばります」でやっていこうとすると、ブラック労働が発生しやくすなるのは自明といえる。

なんでまあ、おれは本業のサラリーマンにおいて「なるたけがんばらずに結果を出すにはどうすればいいか?」を考えながらやることが多いんだけど、結論としては

①人一倍、効率化について考え意見を発する

②他力を使う

③効率化によって出来た空白はあるていどサボリに使う

みたいな感じだ。ようはめっちゃ頑張らなくてもとにかく手間を省いて/意見を出して/周りに広めるようなことをしていれば、なんとなく給料分くらいは働いてるような実績と雰囲気が出る気がするからだ。

③の「サボる」に関しては、効率化で業務圧縮したところを代わりの仕事で埋めてしまうと、無限におれの仕事が濃密かつハードになってしまうからサボるのだ。そんな事態は絶対いやでござる。

この「効率化and業務追加」現象が全世界で起こっているからこそ、世の中は便利になり続けているのに仕事はラクにならないのだ

んでもって、おれ自身は仕事をサボって何をしているかというと、この記事のような駄文を書いていたりする。

ていうかぶっちゃけた話、合間の時間に有料noteでも書いていたほうが、必死に働いて月数マンの賃金アップを願っているより手っ取り早い気がしないでもない。

しかしながら、そのへんの話は以前詳しく書いたためここでは割愛する。今回は以上。それではまた次回!

(了)



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