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結果を求める

平素よりお世話になっております。
理学部第一部応用物理科1年の宮田崇杜です。
今回は私が担当させていただきます。

前回

前回の和真の投稿では彼の知的な一面からは想像できないサッカーへの熱い思いを知ることができました。私も彼の泥臭いプレーに日々、刺激を受けています。

さて、今回は自己紹介ということで、あまりこのような機会がなく気がかりですが、いつも通りまじめに書いていこうと思います。長く拙い文章となりますが、最後まで読んでいただけると幸いです。

幼稚園

私がサッカーを始めたのは幼稚園の年長の初めです。幼稚園が終わった後行われていた千年SCの幼児クラスに所属していました。初めての体験のとき、私は右肘を骨折しながら参加しており、コーチのくれた自分専用ボールを追いかけていたことを今でも覚えております。

小学校

小学校では千年SCの小学生クラスに所属しながら、スクールなどにも通っていました。週に2~3回あるクラブの練習や休日の練習試合などでサッカーをしていました。練習のない日には近くの公園で学校の友達とサッカーをしたり、試合のない日では、優治をはじめとするチームメイトと集まってサッカーをしていました。また、兄弟チームの選抜や区の選抜にも一時期選んでいただき、多くの経験を得ることができました。チームとしては良い結果を残すことができませんでした。

中学校



中学では千年SCの上部組織である川崎CHAMPに所属していました。周りのレベルも高くなかなか試合に出られないまま3年間を終えました。しかし、止める、蹴るなどの技術やサッカー感などを学び、一番成長することができた時期だと思います。


高校




日本大学高等学校に進学し、サッカー部に所属していました。この頃は中学まで経験のなかったフィジカルトレーニングにとても苦戦していました。一年生の終わり頃にコロナが流行り、徐々に積み上げていた体力などが無くなってしまいました。そんな中、トップチームへのチャンスを掴めきれず、bチームとして過ごしました。自分に納得することができず、サッカーを諦めきれないまま10月後半になっていました。受験が迫り、サッカーを他の部員より一足先に辞めました。コロナの中断期間中に、自分に厳しくすることができず、最後と思っていたサッカー生活が割り切れない終わり方になってしまいました。



大学

あっという間の受験期間を終え、東京理科大学に進学しました。入学したころはサッカー部に入部することは考えておらず、ただサッカーをどこかでしたいと思っていました。そんな中、高校の同級生の雄耀からの誘いもあり、サッカー部の練習に参加しました。初めは入部をためらっていましたが、サッカーで結果を出したいという思いで、最後のチャンスになるであろう大学サッカーに挑戦することを決めました。これまで満足のいく結果を残せていない自分ですが、最後の機会として、悔いの残らないよう頑張っています。入部をして、3ヶ月ほど経ちましたが、日々の充実やサッカーができる喜びを感じています。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

選手編も一段落し、次回からはマネージャー編となります。
次回は、いつも私達をささえてくれている菊池さんです。そんな彼女のサッカーへの秘めたる思いやいかに。

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