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平素よりお世話になっております。工学部機械工学科1年の堂前雄耀です。
今回は私が担当させていただきます。

前回の和輝の投稿を読んで,彼のサッカーにかけてきた思い、熱量を感じました。日々の練習から高い意識をもって取り組んでいる彼に、私も良い刺激をもらっています。

さて、今回は自己紹介がテーマということで、私の歩んできたサッカー人生について振り返っていきたいと思います。長く拙い文章ですが、最後までお付き合いいただけたら幸いです。

小学生

私は、小1の時にサッカーを始めました。地元のサッカークラブである“かながわクラブ”というチームに入り、そこで6年間サッカーを学びました。
小5、小6の2年間は横浜Fマリノスのスクールにも通わせてもらって週5でひたすらボールを追いかけていました。小学生の頃は毎年、全国高校サッカー選手権を観に行っていて、その舞台に立つことが私の夢となりました。

中学

中学では、小学生時代お世話になった“かながわクラブ”のジュニアユースに進むことにしました。
このチームでは試合で勝つことの難しさを嫌というほど経験しました。所属しているのがジュニアユース年代で最下層のリーグであったのにもかかわらず、所属したグループで首位になることすらできませんでした。
中3の時にはキャプテンを任せてもらいましたが、チームを良い方向へ導くことはできませんでした。

しかし、このチームにはU-18のユースチームがあったこともあり、中3ながらU-18のリーグ戦や練習試合に出場させていただく機会がしばしばありました。
高校年代の試合に出場させていただき、そのレベルを肌で感じることは私にとって確実にプラスとなりました。

高校

高校ではサッカー面でも勉強面でも充実していると思った”日本大学高等学校”に進学しました。小学生の時にあこがれた舞台が高校サッカー選手権だということもあり、このチームでよい形でサッカー人生を締めくくろうという思いで3年間を過ごしました。
入学当初は、周りのレベルの高さと、きつくハードな練習に付いていくことがやっとでした。
周りに比べて基本的な能力が乏しかった私は自主練で、ほとんど“止める、蹴る”しかしませんでした。(これしか生きる道がないと思ったから)
結局1年時の選手権はスタンド応援でチームは神奈川R16で幕を閉じました。

2個上の代が引退して1か月ほどすると、私はAチームに入ることができました。しかしそこから半年ほどはA2(いわゆるベンチメンバー)で過ごしました。
このころから新型コロナウイルスが流行し始めて思ったようにサッカーができない期間が続きました。そして選手権予選のシーズンを迎えた9月ごろ、私自身はチームの構想外であることが告げられ、選手権のメンバーから外されてしまいます。そして2年目も選手権のピッチに立てずに終わりました。チームは神奈川R8で敗れましたが先輩たちの勇姿を見て、このチームの一員であることを誇らしく思いました。

そして、あっという間に自分たちの代がやってきました。しかし私は自分たちの代になってからも練習試合や練習で自分の評価を上げることはできせんでした。さらにチーム状況も最悪でたくさんあった練習試合では負けに負けを重ね、監督やコーチには「このチームじゃ公式戦で一勝もできない、1つ下の代にチームを譲れ」と言われていました。当時は心のどこかで試合に出れずに高校サッカー終わるのかなと思ってました。
それでも自分のできることを続けました。

関東大会予選が近づいてきた3月末頃、ある練習試合でスタメンで出てた選手の1人が怪我をしました。そして次の日の練習試合でついに私にチャンスが回ってきました。試合前のアップ中に監督に言われた「チャンスは1度しか来ない」という言葉はいまでも忘れられないです。これを言われたときに”ここでチャンスをつかんでやる”という気持ちになれました。この試合を機に私はスタメンに定着することができました。
私たちの代では関東大会予選でR16、インターハイ予選でR8、選手権予選でR32と思ったような結果は残せませんでしたが最弱の代と言われ続けたことに対し、少しは否を突き付けることができたのではないかなと思っています。選手権で敗退した時は悔しさのあまり涙がこぼれましたが、リーグ戦で優勝していたおかげで昇格戦が残っていて引退を遅らせることができました。
しかし、勝って後輩に1つ上のリーグを残そうと望んだ昇格戦でも負けてしまい、最悪な形で引退となりました。入学時に思い描いた理想とは程遠い結果に、やるせなさだけが残りました。

大学

大学では合格をいただいた中で最も進学したいと思った東京理科大に進みました。高校でサッカーをやめるつもりでしたが、どうしてもサッカーを諦められずサッカー部に練習参加をしました。そこで、選手主体でチーム運営をしていて、選手1人1人のレベルも高く、本気で上を目指しているチームの雰囲気を感じて、このチームの一員になりたいと思い入部を決めました。
今は始発で練習に向かう日々ですがとても充実していてサッカーをやめないでよかったと心から感じています。高校サッカーに夢を描いた私が、大学サッカーでどこまでいけるのか、自分でも楽しみです。
このチームで最高の景色を見れるように日々精進していきたいと思います。

最後に

私が自分のサッカー人生を振り返ってみて感じたことは、私がサッカーに魅せられているということです。高校で絶対にやめると決めていたのに、大学でサッカーを続けているのが何よりの証拠ですね(笑)
また、私は環境にとても恵まれているなと思いました。これまでのサッカー人生で関わったいただいた監督、コーチ、チームスタッフ、最高なチームメイト、そして親に心から感謝したいと思います。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

次回は、1年生のムードメーカーであり、葛飾キャンパスで最も顔が広い新沼くんです。普段はとても温厚ですが、サッカーになると顔つきが変わります。そんな彼の大学サッカーに懸ける思いと、これまでのサッカー人生に注目です!!





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