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覚書:津阪東陽とその交友Ⅱ-文化11・12年の江戸-(6)

著者 二宮俊博

江戸での交友―江湖詩社の詩人、市河寛斎・柏木如亭・大窪詩仏・菊池五山ほか


 菊池五山(明和6年[1769]~嘉永2年[1849])

 名は桐孫まさひこ、字は無絃。五山は、その号。讃岐の人で、代々高松藩士。上京して柴野栗山に学び、その後、江戸に出た。東陽より12歳下。文化四年から『五山堂詩話』を毎年一巻ずつ刊行し、当時、江戸の詩壇のみならず地方在住の詩人から熱い注目を浴びていた。東陽の名はそれに見えないが、彼の詩友、吉田雪坡・幾阪煙崖が取り上げられていることは前述した。『詩鈔』巻九に七絶「池無絃に示す」詩がある。

  變化逾揚➍苑風  変化逾々いよいよ揚ぐ藝苑の風
  文華許盛頼徠翁  文華く盛んなるは徠翁に
  時流一種新詩格  時流一種の新詩格
  京様何如東様工  京様は東様のたくみなるに何如ぞ
◯文華 文化が花開くこと。ここでは漢詩文。◯徠翁 荻生徂徠のこと。◯京様 京風。語は明・揚慎『丹鉛総録』巻二、都鄙の条に「今諺に京様と云ふは、即ちいにしへ所謂いはゆるみやび、(中略)今諺に野様と云ふは、すなはち古の所謂ひな」と見える。◯東様 江戸風。上の〈京様〉に対していう。この語は、中国の古典詩には見えない、いわゆる和習である。

「今日詩文がかくも盛んになったのは、なんといっても徂徠翁のおかげ。それから詩風はますます変化してきているが、都仕込みの私の作は今流行はやりの江戸風の清新巧妙な詩に比べてどうですか」。東陽は、『夜航詩話』などで蘐園派の残した弊害を難じてはいるものの、今日の詩文隆盛をもたらしたのは、荻生徂徠の力によるとしてこれを認めているのである。結句は、詩作に対する東陽の自負を示したものだろうが、これは御愛嬌とみるべきであろう。
 江戸からの帰途の作に、七絶「四日市にて五山の狂題を見る、戯れに和して之を寄す」詩(『詩鈔』巻九)がある。

  花月當年爛漫遊  花月 当年爛漫の遊
  春深小杜舊青樓  春は深し小杜の旧青楼
  薄倖風情未全老  薄倖の風情 未だ全くは老いず
  猶應狂梦到楊州  猶ほまさに狂夢 楊州に到るべし
◯花月 美しい景色。李白「襄陽の曲」に「江城 淥水めぐり、花月人をして迷はしむ」と。なお、ここでは花街の意を含む。◯当年 往年。その昔。◯爛漫遊 はめをはずして遊ぶこと。白居易の五律「人に代って王員外に贈る」詩(『白氏文集』巻十九)に「静かに殷勤の語をまじへ、狂して爛漫の遊に随ふ」と。◯小杜 晩唐・杜牧のこと。『新唐書』巻一六六、杜牧伝に「牧、詩に於いて情致豪邁、人号して小杜と為し、以て杜甫と別つと云ふ」と。◯青楼 妓楼。◯薄倖 浮気者。杜牧の七絶「懐を遣る」詩(『聯珠詩格』巻六)に「十年一たび覚む揚州の夢、ち得たり青楼薄倖の名」と。◯風情 情趣。特に色恋のそれ。五代・李煜「楊柳枝」詞に「風情漸く老ゆれば春を見て羞ぢ、至る処消魂して旧遊に感ず」と。◯揚州 現在の江蘇省揚州市。唐代後半、江南第一の繁華な都市で淮南節度使の治所があった。かつて節度使の牛僧孺に属僚として仕えた杜牧が浮名を流したところ。

「五山の狂題」というのは、『五山堂詩話』巻一に載せる次の詩を指すのであろう。

  百壺醽醁碧於油  百壺の醽醁れいろく 油よりみどり
  月逗樓心興尚遒  月 楼心にとどまりて興 尚ほつよ
  粉黛有縁通一笑  粉黛 縁の一笑を通ずる有り
  襟懷無地貯些愁  襟懐 地の些愁を貯ふる無し
  紅絃珠唱偏冝夜  紅絃珠唱 ひとへに夜に宜し
  風檻露簾平浸秋  風檻露簾 秋を平浸す
  薄倖自知如小杜  薄倖自ら知る小杜の如きを
  直將此際做揚州  ただちにの際をもつて揚州とさん
◯醽醁 美酒の名。双声語。◯碧於油 例えば、明・羅欽順の五古「節を持し雲をる図、符台の劉克柔の為に賦す」詩(『整菴存稿』巻十六)に「春酒 油より碧なり」と。◯粉黛 おしろいとまゆずみ。妓女をいう。◯紅絃珠唱 ここでは、三味線の音色と芸妓の歌声。杜牧の七律「羊欄浦にて夜 宴会に陪す」詩(『樊川文集』外集)に「紅絃は高く緊まり声声急に、珠唱は鋪(円形の銅器)のごとまるく裊裊長し」と(揖斐氏の語釈に挙げる)。◯風檻露簾 風の吹き通る欄干と露に濡れた簾(揖斐氏の語釈による)。秋を感じさせるもの。『礼記』月令に「孟秋の月……涼風至り白露下る」と。◯平浸秋 書き下しは『五山堂詩話』の訓点に従ったが、「まさに秋を浸す」と訓ずる方がよいか。◯此際 ここ。

※ 菊池五山については、今関天彭「菊池五山」(「雅友」第41号、昭和34年5月。『江戸詩人評伝集1』)、揖斐高『江戸の詩壇ジャーナリズム―「五山堂詩話」の世界』(角川選書、平成13年)がある。また『五山堂詩話』のうち巻一、巻二は、同氏による注解を附して『新日本古典大系65日本詩史 五山堂詩話』に収録されている。なお、五山の生卒年には近藤春雄『日本漢文学事典』に1772―1855とし、松下忠『江戸時代の詩風詩論』(明治書院、昭和44年)に1769―1852とするなど異説もあるが、本稿では揖斐氏の両著に従った。

 海野蠖斎(寛延元年[1748]~天保4年[1833])

 名は瑗、字は君玉。蠖斎は、その号。備中庭瀬藩の江戸留守居役を務めた。東陽より九歳上。市河寛斎に詩を学び、江湖詩社の同人。寛政9年(1797)刊の『寛斎百絶』には序文を撰している。東陽には題下に「備中庭瀬の執政大夫」と注した五律「海野蠖斎に贈る」詩(『詩鈔』巻三)がある。詩の配列からすると、江戸に着いて早々の作らしい。

  急流能勇退、钁鑠老逾雄  急流能く勇退す、钁鑠くゎくしゃくとして老いて逾々いよいよ
               雄なり
  宦路名將利、禪機色即空  宦路 名と利と、禅機 色即空
  詩騒閑技倆、經濟舊勲功  詩騒 閑技倆、経済 旧勲功
  歡洽春風座、一團和氣中  歓洽くわんかふ 春風の座、一団 和気の中
◯急流勇退 (得意の時に)官職を辞する喩え。北宋・蘇軾の七律「そうを善くする程傑に贈る」詩に「火色上騰 数有りと雖も、急流勇退 豈に人無からんや」と。◯钁鑠 矍鑠。年老いても丈夫で元気なさま。畳韻語。『書言故事』巻二、耆老類の矍鑠の条に「老健なる者を称して矍鑠なる哉と曰ふ」とし、後漢の光武帝が馬援を評した語としてこれを引く。◯宦路 仕官の道。宮仕え。◯将 文語の与と同じ。ちなみに〈与〉は仄字、〈将〉は平字。◯禅機 禅の修行から得た心のはたらき。◯色即空 『般若心経』に「色即是空」と。◯詩騒 いわゆる漢詩をいう。〈詩〉は詩経。〈騒〉は『楚辞』の離騒。◯経済 国を治め民を救う。白居易の五排「書に代ふ一百韻、微之に寄す」詩(『白氏文集』巻十三)に「万言経済の略、三策太平の基」と。◯歓洽 楽しく打ち解ける。盛唐・高適「九曲詞」に「到る処尽く逢ふ歓洽の事、相看る総て是れ太平の人」と。◯春風座 『類書纂要』巻十一、人事部に「坐春風」を挙げ、「朱光庭、程明道先生に従学す。帰りて人に語って曰く、光庭春風の中に在り、坐了すること一箇月」と。◯一団和気 『二程外書』卷十二に「明道先生(程顥)坐して泥塑人(泥人形)の如し、人に接すれば則ちすべて是れ一団の和気」と。『書言故事』巻五、顔貌類に「一団和気」の条がある。

 北原泰里(天明5年[1785]~文政12年[1829])

 名は成、字は世民、通称は辰次郎。秦里と号した。当時、土佐藩邸の勤番を務め、文化12年3月に大窪詩仏・柏木如亭・菊池五山の序を附した『秦里詩稿』を上梓。東陽より27歳下。
 この人とは、面識を持たぬまま終わったようだが、『詩鈔』巻五に七律「土佐邸士の北原世民が桜花の什、頗る都下に鬨伝せらる。諸賢之に和す。因って亦た次韻す」と題する詩がある。

  花王貴彩擅春姸  花王の貴彩 春姸をほしいままにす
  芳靄光風暖醉天  芳靄光風 暖醉の天
  繡繪山河環海出  繡絵の山河 環海を出で
  瓊瑶歌詠汗牛傳  瓊瑶けいえうの歌詠 汗牛伝ふ
  千章修標雲迷目  千章の修標 雲 目を迷はし
  百丈垂條雪拂肩  百丈の垂条 雪 肩を払ふ
  異域稱尊無佛處  異域尊しと称するは無仏の処
  桃頑杏俗費詩篇  桃頑杏俗 詩篇を費やす
◯花王 花中の王。ちなみに、中国では牡丹を指す。北宋・欧陽修「洛陽牡丹記」花釈名に「銭思公嘗て曰く、人は牡丹を花王と謂ふ」云々と。◯貴彩 高貴ないろどり。白居易の新楽府「牡丹芳」(『白氏文集』巻四)に「穠姿貴彩 まことに奇絶、雑卉乱花 比方無し」と。◯芳靄 花がすみ。◯光風 雨上がりの美しい景色(『楚辞』招魂)。◯暖酔 ほっこりとしてうきうきする意か。明・王寵の七絶「湖上」詩(『佩文斎詠物詩選』巻四六七、雑鳥類)に「桃花気暖くして軽鷗を酔はす」と。◯繡繪 ぬいとりした絹。◯環海 四海、天下。◯瓊瑶 美玉。すぐれた詩歌を喩える。◯汗牛 書籍のおびただしいこと。汗牛充棟。柳宗元「文通先生陸給事の墓表」(『柳河東集』巻九)に「其の書を為す、処れば則ち棟宇に充ち、出れば則ち牛馬を汗す」と。◯千章 千本。◯修標 高く聳えた樹。◯雲・雪 いずれも満開の桜花を喩える。◯百丈 きわめて長いことをいう。一丈は十尺。もとより実数ではない。◯垂条 しだれた枝。前漢・司馬相如「上林賦」(『文選』巻八)に「垂条扶疏、落英幡纚」と。◯禹域 古代の伝説上の帝王、禹の足跡が及んだ地域の意で、中国の異称。◯無仏処 ほかに傑出したものがないところ。北宋・黄庭堅「東坡の寒食詩を書するに跋す」(『山谷題跋』巻八)に「他日、東坡或いは此の書を見て、まさに我の無仏処に於いて尊と称するを笑ふべきなり」と。◯桃頑杏俗 桃は下品で杏は俗っぽい。白居易の五排「沈楊二舍人閣老とともに勅賜の桜桃をくらひ、物をもてあそび恩に感じ、因って十四韻を成す」(『白氏文集』巻十九)に「杏は俗にして対を成し難く、桃は頑にしてなんぞ倫す可けんや」と

詩末の自注に「環海は鄒衍伝に見ゆ。歌詠は国風の什の、万葉諸集に載せる者を謂ふ」と。〈国風の什〉は、和歌をいう。
 桜は、東陽自身もとりわけこれを愛好し、かつて七律「桜花二首」(『詩鈔』巻五)を詠んだことがあった。ついでに、ここに挙げておく。

  穠李夭桃總失姸  穠李夭桃 すべて姸を失し
  花王品韻特超然  花王の品韻 特に超然
  香蒸朝日烟林外  香は蒸す朝日烟林の外
  色醉春風畫閣前  色は酔ふ春風画閣の前
  何啻瑶葩宐富貴  何ぞただえうの富貴に宜しきのみならんや
  端應琪樹屬神仙  まさに琪樹の神仙に属するに応ず
  謝家飛絮尋常譬  謝家の飛絮 尋常のたとへ
  繚亂和雲雪漲天  繚乱 雲に和し 雪 天に漲る
◯穠李 たくさん咲いているスモモの花。『詩経』召南「何彼穠矣」の「何ぞ彼の穠たる、華桃李の如し」から出た語。◯夭桃 『詩経』周南「桃夭」の「桃の夭夭たる、灼灼たる其の華」から出た語。◯失姸 顔色を失う。〈妍〉は、あでやかさ。◯花王 ここでは、桜をいう。◯品韻 気品風韻。晩唐・司空図の七絶「杏花」詩(『佩文斎詠物詩選』巻二九九、杏花類)に「品韻由来ともに争ふし」と。◯画閣 彩色を施した美しい高殿。初唐・盧照鄰の七古「長安古意」(『唐詩選』巻二)に「梁家の画閣は天中に起こる」と。◯瑶葩 〈葩〉は、花びら。◯琪樹 玉でできている木。玉のように美しい樹。白居易の七古「牡丹芳」(『白氏文集』巻四)に「仙人の琪樹白くして色無し」と。◯謝家 謝道蘊どううんを指す。謝安が一族の子女を集めて、文章学問を論じていた時、急に雪が舞ってきた。はらはらとふる雪は何に似ているかと問うたところ、彼女はこれを風に舞う柳絮(ヤナギの綿毛)に喩える才気溢れた答えをした(『世説新語』言語篇)。◯尋常 ありきたり。◯繚乱 花の咲き乱れるさま。双声語。宋・釈道潜の七古「僧首然師院北軒に牡丹を観る」詩(『参寥子詩集』巻十)に「紛紛として桃李自ら繚乱」と。

   其二
  扶桑國土自靈祥  扶桑の国土 自ら霊祥
  絶世名花擅艶陽  絶世の名花 艶陽をほしいままにす
  燦爛江雲浮水影  燦爛たり江雲 水に浮かぶ影
  玲瓏山雪映天光  玲瓏たり山雪 天に映ずる光
  瑶林瓊樹風皆白  瑶林瓊樹 風皆白く
  綺席金樽月亦香  綺席金樽 月もた香る
  休詫神仙海棠色  ほこるをめよ神仙海棠の色
  牡丹何物更稱王  牡丹何物ぞ更に王と称す
◯扶桑 もとは中国の東海にあるとされた樹の名。我が国をいう。◯霊祥 くすしくめでたい。◯艶陽 晩春の季節。六朝宋・鮑照「劉公幹の体に学ぶ」詩(『文選』巻三十一)に「艶陽桃李の節、皎潔妍を成さず」と。◯燦爛 きらめくさま。畳韻語。◯江雲・山雪 いずれも満開の桜を喩える。◯玲瓏 白く輝くさま。双声語。◯瑶林瓊樹 『世説新語』識鑒篇に王戎が王夷甫について「瑶林瓊樹の如し」と評した話が見える。◯綺席 華やかな宴席。◯金樽 李白の「将進酒」(『古文真宝』前集)に「金樽をして空しく月に対せしむるなかれ」と。

 なお、「桜花二首」には自注があり、「唐山所謂櫻非我櫻者。明宋學士詩云、賞櫻日本盛於唐、如被牡丹兼海棠。夏蟲語氷、擬非其倫也。海棠稱花中神仙、牡丹亦號花王、皆無佛處稱尊耳」(唐山の所謂いはゆる桜は我が桜なる者に非ず。明・宋学士詩の詩に云ふ、桜を賞すること日本 唐よりも盛んなり、牡丹と海棠とをおほふが如しと。夏虫の氷を語る、其の倫に非らざるを擬するなり。海棠をば花中の神仙と称し、牡丹も亦た花王と号す、みな無仏処に尊を称するのみ)という。
 〈宋学士〉は、明・宋れん(字は景溓、号は潜渓)のこと。ちなみに、大窪詩仏の「桜七首」其七(文化7年[1810]刊『詩聖堂詩集』巻二)の自注には「金華の宋景溓に桜詩有りて云ふ、便すなはち是れ(花果に巧みな北宋の画師)趙昌も画き難き処、春風わづかに起れば雪香を吹く」といい、菊池五山の『五山堂詩話』補遺巻二にも「西人、此の間(我が国)の桜を詠ずる者、人唯だ宋景溓の詩を知る」云々と述べる箇所がある。これらは寺島良安の正徳2年(1712)自序『和漢三才図会』巻八十七、山果類、桜の条に挙げるのに拠ると思われるが(東陽が引くのは前半二句、詩仏は後半二句)、桜を詠じた詩そのものを宋の集(元禄10年[1696]刊の和刻本『新刊宋学土全集』三十三巻がある)には見出せない。寺島良安の基づくところ不明。ただ、宋溓の名が出てくるのは、明初の高名な文章家であり我が国五山の僧の依頼によってであろう、天龍寺の開山たる夢窓国師の碑銘を書いている(吉川幸次郎『元明詩概説』に指摘)こととも、何がしかの関係があるのではないか。このこと、待考。〈夏虫語氷〉は、知らぬのにでたらめをいう意。『荘子』秋水篇に「夏虫には以て氷を語る可からず」と。〈海棠〉を花中の神仙とみることについては、『広群芳譜』巻三十五、海棠一に「唐相賈耽、花譜を着[著]して以て花中の神仙と為す」といい、『書言故事』巻十、花木類の「花中神仙」もほぼ同様。

※ 北原秦里については、前掲、揖斐高『江戸の詩壇ジャーナリズム―『五堂詩話』の世界』第六章第三節「土佐藩士北原秦里」参照。また竹本義明氏に「北原秦里・北原桐雨略年譜」(「土佐史談」193号、平成5年)および「北原秦里著『秦里詩稿』刊行の経緯(上)(下)」(「土佐史談」190・192号、平成4・5年)がある。なお、『高知人名事典新版』(高知新聞社、平成11年)は生年を天明6年(1786)とする。


覚書:津阪東陽とその交友Ⅱ-文化11・12年の江戸-(5)
覚書:津阪東陽とその交友Ⅱ-文化11・12年の江戸-(7)

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