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全部じぶんのせいだという考え方

地面を叩きつける雨が昨晩から降り続いている。
梅雨が変わり始めたのはどのくらい前からだろうか?

幼い頃の梅雨はしとしとと降りしきる紫陽花とカタツムリ、雨の中でも匂いたつ、くちなしの花のイメージなのだがどうも最近は亜熱帯地方の様になっている。

もともと水には浄化の意味がある。

雨は砂埃を流してくれる。天が汚れた土地を美しく再生するのに雨を降らせる。

天と言うか自然と言うか全てを作った存在が全てを決めている。
沢山の雨を降らせるのにはきっとそうしなくてはならない理由があるのだろう。自然は私たちの都合ではなく物事をすすめる。

どうにもならない時がある。
どこにモヤモヤした気持ちをぶつけたらいいか分からない時。

それはもう決まっていたことなのだと思うしかない。そうしないと自分を保っていられない。それほどの気持ち。

思い当たる人もいるのではないだろうか。


生まれたら死ぬまで生きていく。
生きづらく感じるときも多々ある。それでも途中で投げ出すことは出来ない。
自分の人生を誰かと変わることが出来ないからこの自分で生きていくしかない。
それであれば何かのせいでと恨んでいては幸せな人生は送れない。

誰かのせいだとしたらそれは神様のせい。
私たち全てを作った存在が与えた運命を変えてほしいと言ったところでどうにもならない。

誰にでもままならないことはある。でも生まれるときは自分でこの人生と決めてくる。それは生まれるより前の決め事だから意識出来るはずもなく。

決めてきたことを反故していないだろうか?
反故にしていれば何度もかたちを変えて同じ試練を繰り返す。

神様の前で決めたのは自分なので結局何もかも自分のせいだ。
自分のせいならもっと良い人生に変えていこうとする意識になっていくしかない。

親のせいだとか誰かや何かのせいだとしている人たちを見ると悲しい気持ちになってくる。

苦しみや悲しみは自らが作っていると言うことに気がついて欲しい。
あなたが思った方向にしか人生は動いていかない。
この生は一度きり。有限なのだから早く気付いて欲しいと。

時間から私たちは逃れられない。それだけは誰にも共通だから何かに囚われて苦しんでいる時間は無駄になる。

そんなことよりもっと先に進まなければ。進みたくはないだろうか?
嘆いていても何も変わらないし誰も助けてくれない。
自らが自らを助けること以外には。
それともそのまま憐れんで貰えれば満足ならそのままでいればいい。同じもの同士が集まるので満足ならそのままいればいい。

せっかく生まれたのだから先に行かないともったいない。
気がついた人から追い越して先にいく。



誰もが似たエネルギーのもとに集まる。
であれば恨んだに嘆いたりするエネルギーより愛を与えるエネルギーの側に行きたい。そのためには自らもそうならないと同じエネルギーの側によりたいと思わない。

マイナスのエネルギーの人の側にずっといると吸いとられてばかりで疲れてしまう。

もしも自分が吸いとられる立場なら早く離れた方がいい。
あなたと同じエネルギーの人の側にいる方がきっとずっと過ごしやすいはずだから。

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