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節分に想う

(リトライです)

節分だった。

毎年早めに節分用の豆を購入しているのだが、今年はうっかりしていた。

そして毎年人気の恵方巻、我が家では食べたことがなかったが今年は購入してみた。

いつもと違うことをしたからか⁉️
帰宅途中何軒かの店をみるも、節分用の豆はどこにもなかった。

同じ職場の女性に、

恵方巻は予約しないと買えないってさっきKさんが言ってんだけど。


と言われ、いつもは気にしたことがない恵方巻を買うも、いつも買っている豆はない。

家から鬼も追い出せず恵方巻と言いながら切って今年はどこを向いていて食べたらいいのか?といいつつ調べるのもめんどくさくて適当に食す。

日本文化もあったものではない。

昔はおばあちゃんと豆まきして、いわしをひいらぎに差したものを玄関の外に飾って鬼が入らないようにしたんだよね。

と、とりあえず文化は子供たちに話して、恵方巻は美味しいなと食べる。

私の子供時代は、いわしと炒った大豆だったのでそれに比べて格段の美味しさだ。

伝えなくてはならないものより美味しさを優先した今年の我が家。

そうは言っても、他の家庭では節分豆が売り切れていたくらいだから節分の行事はしていたのだろう。

鬼と言えばどうしても「泣いた赤鬼」を思い出す。

桃太郎も金太郎も悪い鬼を退治しに行くが、「泣いた赤鬼」は心優しい鬼たちの話だ。

友達思いの青鬼と、人間と仲良くなりたい赤鬼。

外見で決めつけて異界のものは自分達とは違うと偏見をもつ人間。

結局人間が一番愚かなんだろうなという気持ちになる。

青鬼は自己犠牲により、大好きな赤鬼の元から去るが、それは赤鬼にとって幸せなことと言えるのだろうか?

赤鬼は一番大切なものと引き換えに新たな異界の友を得る。

私にはとても切ない気持ちにさせる児童書だった。

偏見とはなんとも悲しい状況を産み出すもの。

そしてどこにでも転がっているもの。普遍で無くならないもの。


まだまだたくさんの記事を書いていきたいと思っています。私のやる気スイッチを押してくださーい!