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休職しても歌う

「19km道なりです」
仕事で限界を感じ、診断書をもらうぞと決意し予約したメンタルクリニックまでのカーナビの音声で淡々と言われたので笑ってしまった。
20㎞弱、メンクリまで真っしぐら。
そういえば20㎞弱って20㎞+数㎞の意で使うのかな、20㎞-数㎞であってるかなと考えながら国道をひたすら進む。

診断は適応障害で、でも色々調べて多分そうだろうなと思っていた。「進研ゼミでやったところだ」よろしく診断書を出してもらいたいがために模範解答を答えそうで怖かった。
翌日、職場に電話して労いの言葉をもらい、気が抜けて元気が出たがしかし、一人の時間になるとどうしても不安で押しつぶされそうになる。
診断書を職場に送るために切手を買って封筒を買って、ポストに投函をしたらそれだけで残りの半日寝込んでしまった。

家には出産し里帰りしている妹がおり、つまりは玉のように可愛い甥もおり、生命維持を任された母親(妹)とは別に呑気に愛でる伯母が爆誕した。
甥が泣いては抱っこしてゆらゆら揺れながら椎名林檎の新譜を熱唱した。

「何遍だって現場へ立って思い知って滅多打ちにすら遭って憔悴したいほど」
お前さんが生まれた年の歌だよと熱唱する伯母を横目に甥は寝てくれてハピネスだった。でも伯母は現場へ立って思い知って滅多打ちに遭って憔悴して休職している。
お前さんは健やかに生きて欲しいなあ、苦しいこともあるだろうが、何とか生きていて欲しいなあと思いながらゆらゆら揺れた。

「この子もアンパンマン通るのかな」とまだ何も通っていない生まれて2週間程の我が子を抱く妹。「その前にKing Gnuを通るかもしれない」抱っこさせてとせがむ私。
「真っさらに生まれ変わって、人生一から始めようが」とこれまた熱唱していたら「新生児に生まれ変わっては早い」と妹に嗜められた。


昼間は軽口を叩き、夜中に一人で泣いたりした。夜泣きする甥とお揃いだ、33歳差だけど同じだねと思いながら、やはり甥と甥の家族の幸せを祈らずにいられない。とりあえず何とかなれ、何とか幸せになれ。

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