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響心SoundsorChestrA

2021.6.14(月) 4:28 「真田宗仁郎」という全く知らない人物からLINEが届いていた。クソどうでもいい話だが、僕は今うつ病を患っていて朝起きることができない。そんな僕がたまたまLINEを目にし、朝の7:18に「誰やねんこいつ、しばくぞ」と思いつつ、長押しでちょっとだけ内容を見てみた。その人物は、どうやら2017年まで響心SoundsorChestrAというバンドを一緒にやっていたgt/vo「総理」だった。

僕の20代のほぼ全て、もとい家族も巻き込んで人生すら懸けて打ち込んだバンド、"響心SoundsorChestrA"

僕はこのバンドを辞めてから「キョウシンサウンズオーケストラ」という言葉を口にしたことがない。ただ、予測変換では「き」と入れると単語登録してて出てくるからウザい。

目に入ったのは「今日をもって響心SoundsorChestrAを解散する」という文章。「へぇ。」と思い1時間放置したが朝起きれないはずの僕がバキバキの目になっていることに気付き、仕方なく既読にした。


内容は、簡潔にいうと"解散して新しい自分(真田〜)をスタートする。響心SoundsorChestrAはタートル(僕)が居なければここまで来られなかった。あの頃は青くて気持ちを推し測れず思い返すと謝りたいことが色々ある。そして「ありがとう」"と綴ってあった。


遡ること8年前の2013年、自分が大学生の頃だ。軽音のベースの後輩のバンドが最近話題になっていると聞いた。その子は影が薄くベースが取り立てて上手いわけでもなかった(めちゃ可愛がってた)。どんなカラクリで?と思い、ある日今は亡き神戸SLOPEにライブを観に行った。演奏力もグルーヴも無いお世辞にも上手いと言えないライブだったが「torie」という曲でいつの間にかホロリと涙していた。言霊がすごかった。あー、このボーカルの子が「ヤバいんやな」と思った。

それから2ヶ月後にベースが脱退するから加入して欲しいと連絡がきて、鳥貴族で総理と飯を食った。測定不能な野心に満ちていて目がギンギンで「響心でロッキンのレイクステージのトリをやる!」と勢いよく語っていて、熱量と鈍く光るカリスマ性に惹かれて加入した。

程なくして神戸の大イベント「カミングコウベ2014」に出演が決定。それから2015.2016と3年連続出演した。その頃SONYの社員が1年ほどライブを観に来ていたが、ある日「岡崎体育」という新人を担当することになったので、と言い去っていった。それが今も岡くんのマネージャーをしている。ゆきちゃん。ちなみに岡くんと2回共演したが当時根暗すぎて、ライブめちゃいいのに物販怖いからって彼は楽屋から出てこなかった。

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そして初代ドラム、ともはる脱退(現在は結婚してママ)、東京で「野島脩平」という若きドラマーを総理が口説き落とし、上京ならぬ「下神」させたのだった。

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それからはバカみたいな本数のライブをやりながら出会いを繋いでいき、2015年頃ジャングルライフという大阪の音楽フリーペーパー編集部の社長「PJ」さんと出逢い、えらく気に入ってもらった。その縁からマネージャー「竹厚さん」と出逢い、契約書こそ無いものの響心にはマネージャーがついた。そしてジャングルライフ初の事務所「DON Mango」を立ち上げてもらい、BIGCATや梅田クアトロ、味園ユニバース、大きな会場でもやれるようになった。ライブ1本にかける気迫はまさに異常で、メンバー全員が今日本気でやり切れなかったら喉を掻っ切って死ぬ!!と毎回のライブに全てをぶつけた。メンバー全員が「やり切る」か「死ぬ」かだった。


この年、音楽コンテスト系をとりあえず片っ端から応募した。ヤバTがTwitterを天才的に使い「出れんの!?サマソニ」を勝ち取った年。

僕たち響心はCOUNTDWN JAPAN15/16のコンテストで見事1000組を超えるバンドの頂点に立ち優勝、その年のCDJのステージに立った。優勝報告の電話が仕事終わりに来て、メンバーに伝えたら調子乗りそうだったのでギリギリまで黙ってた。普通に優勝するとは思っていたし。そういえばなぜかヤバTは最初の選考で規約違反で失格になっててウケた。(ちなみにその前の年に後輩のHalf time Oldが優勝したのよ)

念願のCDJは総理のお約束の「出演時間超過」「ステージから降りる」「ギターを折る」という3大いちばんやったらアカンことを実行し、ライブ直後にフェス運営のお偉いさんに関東弁の本気トーンでこっぴどく説教された。僕らを担当してくれていたロッキンの社員さんは泣いてた。前代未聞の悪態をつき(ゴードマウンテンも時間守れんかったけどな)、後日YouTubeにあがるCDJ出演映像はしっかりカットされていて笑った。

CDJ当日、神戸の先輩アルカラも出演していてタイスケさんが「川谷くんが楽屋でベッキーと話しててずっちーのー!!」って爆笑MCをかっさらった後、年明けにベッキーと絵音さんの不倫報道、本当に腹の底から笑った。(さらに話を無理矢理逸らすと翌年のCDJで優勝したバンドのボーカルの女の子がお乳を出して話題をかっさらい、さすがに"負けた"と思った。)

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さて、ここから響心SoundsorChestrAが、いや、総理が「思想」とやらに目覚め始める。良くも悪くもあった。若手バンドらしく集客をこまめにしたり関係者に声をかけたりすることを一切しなくなった。その頃から少しずつ歯車が合わなくなっていた。ケンカするというより(1回名古屋で殴り合いのケンカしたけど)フロントマンを立ててぶっ飛んだ提案でもとりあえず乗っていた。失敗に終わることが多かったが、それは別として経験となり糧となり確実に頭ひとつ飛び抜けて異質なバンドになった。

2015年から2016年は年間100本ほどのライブをひたすらこなす日々。加入当初から僕は病院勤務の正社員で普通に働いていた。結婚もしていたし子供もいた。夕方5時に退勤してその足で広島に行って8時からライブして朝方に帰るとかザラだった。神戸のSLOPEの店長は「お前が日本で一番頑張ってるバンドマンやわ」とか言いながら笑ってた。物販、バンド費管理、ツアー組み、そして日本全国を周る車の運転を、ほぼ全て僕がやっていた。総理は曲作り、ライブオファーの管理、バンドマンとの繋がりを広げてくれた。野島はスタジオ予約をしてくれていた。しかし彼は免許を取ってくれず(めっちゃ説教した)、小さな軽四にすし詰めになって、ひたすら1人で運転した。ライブが多く家族にも寂しい思いをさせたと思う。

もうこの辺の時期には「ライブは練習するもんじゃない」という総理の思想から曲作りのタイミング以外でスタジオは一切入らなくなり、ライブのセットリストは無し、その場で彼がギターの何のコードを弾くか歌い出しのワードから曲を勘で探り当て0.1秒の狂いもなく合わせることができるようになった(超人)。ライブ中に即興で曲を作って歌うこともあったが、コードを教えてくれない為、勘で弾くこともできるようになった(超人)。謎のダブルブッキングで総理がライブの時間になっても現れず、野島と2人でセッションして繋いだこともある。彼はゆっくりと客席の真ん中から歩いて到着したけど。その分といってはなんだが、ライブはますます研ぎ澄まされていった。正直最強だった、と思う。

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しかし、思想が強くなるにつれどんどんメンバーとの心の距離は開いていった。車中の会話は当たり前のように皆無、野島は縮こまって"炊く前のお米粒"みたいになっていた。9時間 1人で運転して東京に着いた時の総理の一言が「あー、疲れた」だった時は本当に驚いた。は?お前ずっと寝てたやん。

もうお分かりだと思うが、バンドマンの遠征の運転はかなりキツい。それを僕が1人で担っていた。眠くなったら窓を開けて叫び、仮眠もろくに取れず、東京でライブをしたら夜11時に出て、朝7時に家に到着、シャワーを浴びてそのまま出勤していた(超人)。白のモンスターを飲んで頭は寝ていながらも身体だけが仕事をしていた(超人)。覚えているのは野島が免許を取るという約束で出演を決めた「姫路→東京→福岡→姫路」の行き帰り合計約2000kmの遠征を、僕が1人で運転したこと。そう、野島は免許とるとる詐欺で結局取っていなかったのだ(かわいいやつめ、しばくぞ)。もちろんそのまま朝に帰宅、シャワー、仕事である(スーパーサイヤ人)。どこに遠征しても基本次の日はちゃんと朝から仕事なのだ。なぜなら社会人だから!!ばーか!!!!

その2年で僕は2回も痔の手術をした。それほど心への負担と共に肛門さまへの負担もかかっていた。痔の手術はしんどいことを知っていますか?うつ伏せに寝たままケツを丸出しにし、15分何かを突っ込まれて注射されたりするんやぞ。「あへぇっ!んおっふぅ!!」みたいな、出したくもない変な声が出るんやぞ。全国の若手バンドマン、運転免許は取りなさい。そして運転してくれたメンバーには最大限の「ありがとう」を口に出して言うこと。もうキスしてもいい。そして肛門さまを大切に扱え。売れるより大事なことだ。メジャーいってから"大切なお知らせ"で「痔の手術のため活動休止します」とかイヤでしょ?

とはいえ(?)、肛門が破壊されようと響心は黒字バンドだった。ようするに財布から自分のお金を出さずにバンドで稼いだお金でバンドを回せていた。もちろん竹厚マネージャーの助太刀も大いにあったが。年間スケジュールを年初めに綿密にミーティングしバンドとして内部はグチャッとしてても真剣にやった。間違いなくメンバー3人ともちゃんと真剣だった。

2016年の半ばにある転機が訪れた。それは俳優の「村上虹郎」氏が出演したラジオで響心の曲を流してくれたことから始まった。サブスクで音源配信をしていたので、それをきっかけに爆裂に再生回数を伸ばした。総理は媚びを売ることを極端に嫌っていたが、マネージャーを通して虹郎氏の事務所にコンタクトを取ってもらうと、後日東京のライブを観に来てくれた。何の奇跡か総理と虹郎氏は死ぬほど気が合ったらしく、そこから交流が深まった。

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さらにはジャングルライフの冊子の表紙になり、僕が世界一愛して尊敬するラックライフと表裏を飾った。

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同年ロッキンのJACKMAN RECORDSから初の全国流通版音源を発売させてもらい、全国で大きく展開された。

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なんか知らんけど吉本と共催のイベントでコロコロチキチキペッパーズさんととRGさんとガンバレルーヤよしこさんとライブもした。よう分からん。このあとガンバレルーヤが売れた)

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亀仙人やってたけどスベってた。

ともあれ、バンドがさらに起動に乗るかもしれない。そんな雰囲気がしていた。


2017年、新たなアルバムを完成させた。その名も『good bye good music』。響心は音源もとても良い。総理の敬愛する「シリカ」というバンドがレコーディングを1発録りするというものを参考に、毎回バンド全体演奏でレコーディングをした。(ちなみに本来の基本的なレコーディングの方法はドラム、ギター、ベース、重ねギター、などバラバラに録っていく)。初期衝動、汗、唾液、涙、ゲロ、肛門、それすらも思い浮かぶような音源ばかりだった。久しぶりに聴いてみ?俺は聴かないけど。響心のMVは総理が全て監督を手掛けてきた。作曲者だから構想も彼が練るのが良い。ただもうこの頃には総理以外MVには出てなかった。実際内容は見応えがある。久しぶりに観てみ?俺は観んけど。俺の一推しはこれ。


この音源のリリースイベントは、今もお世話になっている神戸太陽と虎で開催した。そのライブで彼は「今日をもって商業音楽、ミュージシャンを辞めます」と言い放った。売れるための活動をしない、みたいな感じ(意図は本人に聞いて)


既に4ヶ月前くらいからツアーの日程、対バンへのオファー、ライブハウスとなら個々のやり取りなどを仕事の休憩時間も削り時間をかけて行ってきていた僕は「んんん?」となった。ミーティングはするが、ろくに会話もしなくなったバンドはこうなる。ライブ中に「んんん?」ってなる。

そしてツアーは組んでしまっているので始まった。売る必要もなく届く人だけに聴く人だけにしか届かなくなった4畳半くらいの範囲の宣伝で、初めてツアー後"大赤字"を叩き出した。しかもこの頃の総理は特に虹郎氏と仲が良く、新幹線で東京と関西を行き来していた。バンド費からお金を出していたのでそれはもうノロウィルスのときの下痢くらい全部出ていった。不満はもちろんあったがPJに言われた『お前が空から響心を見下ろして守る存在になれ』と言われたことを心に強く持ち、総理についていった。

そして2017.7.16 十三FANDANGOツアーファイナル 

この日を以って、ドラマの野島(のじ)は響心SoundsorChestrAをそっと脱退した。彼は下神してドラムがめっちゃくそかっこよくなって、今更?っていうくらいのタイミングで車の免許だけ取って東京へ帰って行った。俺はのじが好きだ。イケメンだから。だから免許だけは早く取って欲しかった(まだ言う)。

ツアーを終え、嫌味と反吐ばかりが増えてしまった響心のグループラインで、今回の赤字の話題になった。お金の話はナイーブ。メンヘラの女の人と五分五分でナイーブ。当然「今回の赤字分はメンバー3人で割り勘、よろしく。」と連絡をした。しかし、総理の返事は「ツアー組んだのタートルやねんからそっちで全部出して」というものだった。これが決め手になった。いわゆる王手、参りました!というやつだ。

のじにどう思う?と相談しても彼はまだ若干20歳を超えたところ、免許取り立て初心者マーク、同情はしてくれたがどうにもならなかった。そこからメンタルが破壊されていき、総理からLINEが届くたびに西野カナになった(震えた)。

結局折り合いのつかないまま、マネージャー竹厚さんを通してその問題は無理矢理解決した。ナイーブなので省きます。そこから連絡一切なし。物販、総理のクソ重いアンプ、グッズは全てウチの家に保管していた為、庭に放り出した。自分で取りに来い、みたいな感じになっていた。僕も良くない。大人気なかったと反省している。気がつけば庭から段ボールの山とアンプは消えていた。

それから連絡はとらないが、マネージャーから響心に関するSNS、YouTubeチャンネルなどのパスワード、ID、なんやらかんやら僕が管理していたことの引き継ぎが多く残っており、これもまた相当心にきた。もちろん肛門にも。そして、ひと段落してからTwitterで脱退してました、という事後報告をしたのでした。あの時はごめんなさい。それがいつかな、11月くらい?忘れたけど。のじも同時に報告してた。


響心SoundsorChestrAをずっと応援してくれていた人、みんなの名前言えます覚えてます。感謝しているから。だからこそほんまに、今更やけどあんな意味の分からない形でバンドを捻じ曲げてしまって申し訳なかった。ごめん。


ずっと言ってるけど、バンドは"会社"と同じで「楽しい!!」だけでやっていける人はそうそう居ません。しかも経理がいるわけでもメンタルケアをしてくれる部署があるわけでもなく、自分たちで回すところから始まる。コミュニケーションを怠るとバンドなんかすぐに終わる。そんなハリボテみたいなものでもある。色んなバンドが死んでいった。ただ、だからこそライブの1本が奇跡みたいなもんだと言える。


俺は、でも、その触ったらすぐ壊れてしまいそうな危うすぎる響心SoundsorChestrAが好きだった。誇りを持っていた。ライブだけは会話しなくても息はぴったり合っていた。

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好きだったし、誇りを持っていたから本気でメンバーみんなが打ち込んだ5年間をこんな最低な形で吐き捨てるように終えるなんて、本当に悲しかった。着実に最高難易度の積み木を高く高く積み上げた。笑った日々も共に流した汗も、全てが"思い出したくない過去"として形を変えてしまった。僕の脳は響心SoundsorChestrAを自動的に削除した。

その後も響心SoundsorChestrAの名前を総理が背負い活動していたらしい。一切を消したから知りたくもなかったがとにかく周りのバンド仲間が教えてくるから。

コアなファンはその後の響心を追いかけることをやめかもしれない。俺ら3人の響心SoundsorChestrAを愛してくれる人が多かったんじゃないかな。



それから2018年になって、1年間 Half time Oldでベースサポートやらしてもらって、ちゃんとした事務所に所属するバンドの難しさや苦悩も知った。響心の時にお互いのツアーに呼び合ってガラガラの客席の前でライブを重ねた仲間。彼らの人気に花が咲いたことは本当に嬉しかった。

どんなバンドもきっと苦労を乗り越えてステージの上の30分の輝きに夢をみている。お客さんはその夢を一緒に観ている。

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そして、2019年から何の因果か、総理が敬愛する神戸の重鎮「シリカ」のベーシストとして加入して、現在に至ります。シリカの元マネージャーも竹厚さんなんです。すごいでしょ??今日総理からLINEきて一番に竹厚さんに連絡した。「なんだか報われた気がしました」って。無かったことにしようとしていた過去を受け止められた。妻に総理のLINEの内容を見せたら死ぬほど泣いてた。「今更なんやねん」って。当時苦労をかけたのにずっと応援してくれていたし、総理のことものじのことも大切に思ってくれていたから、彼女も俺と同じ気持ちだった。ファミレスで泣くなよ。。

響心SoundsorChestrAという歯車は僕の頭の中の隅っこの隅っこで汚いものが詰まって回らなくなっていた。今日はそのデッカい歯クソみたいなんが取れた。

別にだから歯車が回り始めるとか、そんなことは知らんけど、わだかまりは溶けたかな。


長くなりましたが、最後まで読んでくれた人がいたらありがとう。響心の宣伝をするつもりは無いんだけど音源も歌詞も良いから、欲しかったら総理改め「真田さん」に連絡してみて下さい。

今の彼ならその売れた音源の収益でちょっと良いことに使ってくれる。と思ってます。



人は死ぬまで成長する。成長できる。

2017年の自分と今の自分と比べみて下さい。どれだけ成長していますか?

僕はあれからまた大人になりました。例に違わず総理もまた少しだけ大人になりました。

4年もかかったけど、時間が解決すること、自分が変わって解決することがきっと沢山ある。

うつ病でもこうして生きてるし、バンドだってやれる。

バンドは売れる売れないも大事なのかもしれないけど、続けること続くことの凄さ、バンド名を守る強さ、肛門の脆さ、それも知って欲しい。

最後に少しだけ、最新のシリカの音源「とある日」って曲、聴いてください。サブスクどこでも聴けます。

「歩き疲れたら木陰で休もうぜ」と歌っています


会えてなくても、そんでこれからもしずっと会えなかったとしても忘れないから。ありがとう。


シリカ絶対売りたいからみんな聴いてな。

通販あるし。

MVとかあるし。


総理も、のじも、タートルも、みんなそれぞれの道でどないしてるんかは知らんけど生きています。

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これは今のシリカ↓

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2021.6.14 タートルさんでした。またね~



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