好き→嫌い、嫌い→好き!!

どうも!ターコイズ*ミント(勿忘草)です!
突然ですが、皆様は歌うことが好きですか?私は大好きです!…とはいっても、ごくたまにしか歌わない程度ですが…。ご近所さん近いし、なによりも家族からジャイ◯ンリサイタルと言われておりまして。

歌うことが好きな理由はよく分からないけど、歌うとなんだか心が温まる。そんな感じがするんです。特に讃美歌(高校の時初めて歌いました!)や思い出のある合唱曲をよく歌います。

さて、本題に入りましょう。

とっても長い記事ですが、最後までご覧いただけましたら幸いです。

私自身、実は歌唱を捨てたことがあります。言い換えれば、歌うことから逃げていたとか歌唱が嫌いになったという感じです。人生で3回、歌唱を捨てた記憶があります。

まずは1回目。

小学校5年生の時、6年生を送る会で体育館で学年全体で合唱の練習をしていた時。合唱曲はいきものがかり様の「ありがとう」だったはず。

私はいつも通り大きな声で(自分で言うことではないかも)歌っていましたが、出だしは誰も歌っていない。

あれ…?私、出だし間違えていないはず…。

その後、先生から「早い!」と怒られました。隣の人からも「早すぎ!」と怒られてしまいました。「私、間違ったことしたのかな…?」と悲しい気持ちになりましたね…。
練習中、泣きそうになりました。涙が出そうなところをグッと堪え、練習に集中しました。怒られたことで、私は歌うことが嫌いになりました。「怒鳴られるくらいならもう歌わない方がマシだ!」と内心思いました。

ですが、どういうきっかけか、ある日、クラスメイトから「歌上手いね!」と褒められたことがきっかけであっさりと歌唱嫌いがなくなりました。(本当に不思議…。)

次に2回目。

中学校3年生の時、クラスで中学校の合唱祭で「青葉の歌」を歌うことになり、私はソプラノを担当しました。ソプラノのみんなと練習していました。練習が始まったばかりの頃はまだ歌うことが好きでした。

しかし…、悲劇が起こります。

「青葉の歌」は、最後、音が別れ、私はソプラノの中音を担当することになりましたが…。

練習しても、家で練習しても中音の音がどうしても分からなくなった!!

これは悔しかったです。どれだけ練習を重ねても最後の最後で音が分からなくなる!!忘れてしまう!あれだけ声を出しても頭から中音の音が飛んでいく!

この後、中音を務めることができなくなった私は低音を務めることになってしまいました…。低音から中音に代わってくださった方に何度も何度も謝りました。もう、謝ることしかできませんでした。

本当は高音で歌いたかったけど、私の希望がソプラノのパートリーダーに届かず…。(実を言うと、パートリーダーとは仲が悪かったです。)

その後、私は担任に悩みを打ち明けましたが、「悩んでも仕方ないよ」と突き放されました。家族からも同じようなことを言われ、怒られた挙句、自分の部屋にひきこもりました。

中学校は冷たい人が圧倒的に多く、信頼できる人があまりいなかったので、周囲に心を閉ざしていました。

最悪なことに、上記の件で周囲のことがもう見えなくなりました。悲しすぎて。悔しくて。

もう私に歌は向いていないのでは…?

と、私は歌唱を捨ててしまいました。

これも1回目の時のように、高校でクラスメイトから「歌うの上手い!」と褒められたことで歌唱嫌いがどっかにいきました。

ここまで読んでいただけると、

「褒められたから歌唱嫌いがなくなったんだよね?」

とお思いになるかもしれない。

そう、そうなんです。当時の私は褒められたから歌唱嫌いがなくなった。

けど、3回目はそうはいかなくなった。

さぁ、3回目について語りましょう。

高校に入って歌唱嫌いがなくなり、大学の礼拝で讃美歌を歌っていたある日。 

出せていた高音が出なくなりました。

そうです。私はいつも通りに、いつものやり方で高音を出していたつもりが、声が掠れて高音が出なくなりました。何度も何度も高音を出そうと試みても見事に出なくなった。

やっぱり私に歌は向いていなかった!!

私は周囲から褒められても歌唱嫌いが消えないほど、歌うことが大嫌いになった。もう、昔のように楽しく歌うことなんかできない!と思っていた。

高校の先生から「好きなものが嫌いになってしまうことがあるかもしれない。好きだ!と思っていたものがもう見たくない!と思う日が来るかもしれない」と仰ったことを覚えている。

私は大学1年生で歌唱を嫌いになりましたが、高校の先生が仰ったことはこういうことだったのかと身にしみました。この頃の私はプライドがひっじょーに高く、少しでも自分の弱点がバレたら周囲が見えなくなっていました。

でも、内心は…、

このままでいいのかな…?

と、考え込みました。

そんな私を救ったのは、高校の元クラスメイトNでした。

Nは高校1年生の時のクラスメイトです。
彼女は、声楽部の部員でした。多忙なのに、周囲に対する思いやりを忘れない、とっても心優しい方でした。クラスの中では数少ない、心優しい人の一員でした。

初めはその人を警戒していました。「私よりも上手かったらどうしよう…」と。

私は今でもそうですが、非常に負けず嫌いなので、私よりも優れている人をどうしても許せなかった。

けど、不思議とその人に対する警戒心が消えていきました。恐らく、Nの優しさが自然と警戒心を消したのかもしれません。

讃美歌発表会でクラスで私はソプラノを担当しました。ソプラノのパートリーダーは、N。Nがパートリーダーを快く務めてくれて助かった。いや、そこはソプラノパートの中で唯一声楽部に入っているNじゃないと駄目なんだ!

ソプラノパートで一通り讃美歌を練習している時、選ばれた人がパートリーダーと一緒に讃美歌を歌う練習をするのだが、Nが選んだのは…。

音楽知識が全くない、楽譜が読めない私だった。

合唱・声楽・オペラ・聖歌隊の経験がない私を、彼女は選んでくれた。

普通なら、音楽知識がある人が選ばれるはず…ですよね?Nがなぜポンコツな私を選んだのか、未だに分かりません。けど、Nは私から何か感じ取ってくれたのかもしれない。

練習の休憩中でクラスメイトがお構いなしに休んでいても、私が発声練習や讃美歌練習をしている時、Nは一度も嫌な顔をせず、熱心にアドバイスしてくれた。スパルタではない、私の独学に影響しないような優しい指導でした。私のやり方に背中を押してくれたのです。

私はふと、Nの存在を思い出した後、早速高校1年生の時の讃美歌発表会のDVDを鑑賞し直しました。画面の前には楽しそうに歌うNや私がいた。

高校3年分の讃美歌発表会のDVDを何度も何度も鑑賞し直して共通していることがありました。

あれ?私、とっても楽しそうに歌っている!!

その時は、「なんで歌うことが嫌いになったんだろう…?」と不思議に思いました。そして、Nの思いやりを思い出した私は涙を流しました。

N、今まで警戒してごめんなさい。そして、歌の大切さを思い出させてくれて本当にありがとう…!!

と、伝えたいところですが、彼女は高校3年生で突然姿を消してしまったので、お礼を言いたくても言えない、とっても虚しいです…。

私はそこから、「歌唱(うた)を取り戻そう!」と決意しました。

Nが教えてくれたこと、私が今まで培ってきたことを無駄にしたくない!水の泡にしたくない!パーにしたくない!

私はもう一度歌唱と向き合うことにしました。と、いうことで!練習再開!!
やはり、礼拝の讃美歌を歌っている時でもそう簡単に高音を出せなかった。

でも、私はめげることなく家で(声量は抑えないといけないのですが…)歌い続けました。

昨年のゼミ・ボランティアでご年配の方々の前で仲間と歌う時、かなりブランクがあって声が掠れないかとても不安になったこともありました。
けど、「ご年配の方々を喜ばせたい!」という気持ちが強まったことでその不安を乗り越え、最後まで楽しく仲間たちと歌い切ることができました!!ご年配の方々がとても楽しそうで私も嬉しくなりました!
ちなみに、ご年配の方々もゼミの先生も同じゼミの方も私のことを声楽・聖歌隊の経験者だと思っていたようです。

こうして、私の歌を好きだとおっしゃる方々がいらっしゃることが分かり、私の心は徐々に安らいでいくのでした。

ゼミ・ボランティアをきっかけに、私は「嗚呼、私は本当は歌唱が好きなんだ!!」と心の底から思えるようになりました。

他者から褒められたということもあり得ますが、「やっぱり好きなものを手放せない!」とそういう考えにさせたNのおかげかもしれない。

長くなりましたが、私の人生の一部を振り返ってみました!

最後に皆様にお伝えしたいことがございます。
ここから先は個人の考えなので、賛否両論色々あると思いますが、どうか温かい目で見てください。

生きる上で、私のように「好きなものが嫌いになる」というようなハプニングがあるかもしれません。でも、それを乗り越えたらきっと成長できるかもしれないし、新たな発見もできるかもしれません。
どうか、好きなものを手放しても、「なぜ嫌いになったのだろう?」と一度立ち止まって考えてみてください。人によって考えが異なるかもしれませんが、本当に好きなものは手放そうとしても手放せないはずです。

私はこれからも歌唱を続けて、誰かを喜ばせていきたいです!

最後までご覧いただき、ありがとうございました!