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Four years Fall

10月末から11月頭にかけての1週間程度は、多くの大学生にとって学祭休みにあたると思う。友達の居ない人間にとってはただただ暇が増えるだけとも言われるが、概ねそう実感するところである。しかし過去3年間はなんだかんだで充実していたようにも思う。今年は全くもって予定が無いし、これから埋まる見通しも皆無(金が無いからである)なので、秋の夜長にこれまで3年間の秋休みをちょっと振り返ってみたい。

2019年・大学1年生

10年代というだけではるか遠くの話のように思えないだろうか。実際もう3年経っているので中学校1回分の時が流れてしまっているのだけれど、それ以上にやはり、我々の生活は2019年以前と以後とで大きな違いがあるというのも関係しているはずだ。枠組みの差異とでも言えるだろうか、世界の在り方がこの年を境に大きく変化した。

この年は何をするにも規制なんてものは無く、それは外的にそうせよと定められたものは勿論のこと、そこから派生して人々の心の中に住み着いた内的な制限も当然存在しない。なので、フツーに大学の学祭をどっかんどっかん開催していた。

とはいえ私自身はサークル等に所属していないし、1年生の秋といえば前期の成績(取得2単位、GPA0.11)を返され、コンプレックスが秋の装いのまま表を歩くような時期であった。だから所属大学の文化祭についてはほぼ何も知らなかった。しかしまだ高校時代の友人とも連絡のよくつく頃だったので、私含め3人で適当に何校か回ってみようということになったのだ。

最初に行ったのは明治大学。部活の先輩が進学した学校で、彼が属するサークルの出店でフランクフルトか何かを食べた。いい場所にキャンパスがあるなと思った。

やっぱり明治が

続いては確か、國學院。本当は青学に行こうとしてたはずだが、どういうわけか行っていないらしい。近くまでは行ったと思う。まだこの週は学祭じゃなくて準備中とかだったのだろうか?だからそこから近い國學院に行った。何かした記憶は無い。ただ、名前から想像されるのとは大きく違って近代的で都会的なキャンパスだなと思った。まず、渋谷にあるというのが解釈違いである。そういえば、図書館の一部が書店のようになっていてすごかった。何を言ってるのか分からねぇと思うので、適当に検索して写真を見てみてほしい。

國學院大學の屋上的な

そして最後は上智大学。Sophiaである。そういえば昨今の受験界では、旧来のMARCHに取って代わるものとしてSMARTという大学群を打ち出しているようだが、これが思いのほか現場で浸透しているとのことで驚いた。先頭のSがSophiaである。ここへ来るのは高校1年生の夏、オープンキャンパスの時以来であったが、どうもその時の記憶より校舎が綺麗になっているように感じた。実際、改修を行っていたようである。あまりにもお洒落な内装だったので、コンプレックスを発症させてしまった。すっかり忘れていたことだが、この後しばらくの間、私は上智に3年時編入することを割と本気で考えていた。

お洒落ですよね

それから上智を訪れている時、TwitterのFFとニアミスしていたことも覚えている。その人はまた別で記事にしたいくらい、というか数ヶ月前から書いてはいるけどなかなかまとまらないような、そんな存在である。2019年時点で社会人1年目になっていて、学生の頃のように気軽に会える感じではなさそうだったので、偶然にも同じ敷地内に居るこの機を逃すべきではなかった。とはいえ、お互い連れがいる状況でどう説明するのか分からない。

何語

さて、この年の学祭巡りはこれにて終了。その後は友人の家に行き、そこから近くに公園で私以外2人で走り込みをした。なんでだよ。陸上部じゃなかったのにこいつらはスプリンターとしての血がずっと騒いでいる。オリンピックが翌年に行われる予定だったのも少なからず影響していたのだろう。私は私でそんな元気が無いので、2人が園内を猛ダッシュで駆け巡る間、Perfumeを聴きながら辺りを散歩していた。寒くなり始めると無性に聴きたくなる。

満足した2人と近くの銭湯に行った。はずなのだが、そこの記憶がまるっきり無いのが少し不思議である。行ったは行ったはずで、状況を考えてみてもそれは間違いない。のだが、本当に何一つ覚えてない。別にいいのだけれど。

その後はビリヤードを打ちに行った。私は初体験。面白かった。こういうのって皆どういうタイミングで初めて触れるんだろう。

友人宅に戻ってSwitchでマリカーやらぷよぷよやらに興じ、真夜中になって電気を消した。他人の家で眠ることのできない私だけが1人起きたまま朝を迎え、翌日の行程がスタート。と言いたいところだけど確かほぼ泊まって終わりだった。オールナイトした私よりも2人の方が疲れていた。走るからだろ。

2019年の秋休みはこんな感じ。1日ちょっとぶらついたにすぎないけど、楽しかった。まだ高校を出て半年と少々といったところなので、そこの繋がりが薄れていないのが良い。

それから、この友人も含めて京王線沿いに住んでいるやつが結構いて、まだ家飲みなんかがそれなりにしやすかった1年生の頃はよくそっちに行っていたのだけど、なかなか良さそうな街だと思う。代田橋とか、明大前とか、その辺である。一言で言えば「ほどよい」のだ。

2020年・大学2年生

さて、時は移り2020年。世界は未曾有のパンデミックに揺らいでいた。この頃の私はと言うと、実家に帰っていた。感染拡大があまりにもやばすぎて、後期は丸々地元で過ごすことにしていたのだ。最後に東京でニュースを見た時、東京の新規感染者数は220人に昇ると告げていた。220人。これが、大学が全面オンラインになり、それに伴って帰省するからバイトも休職することを全く疑いの余地なく許すだけの数字であったのは今思うと本当に、不思議である。まあ、ワクチンも無かったから仕方ない。

実家では悠々自適にしていた。1番よく覚えているのは自動車学校である。去年、自動車学校に通うように生きていたい的な記事を書いたが、それも2020年のことを想いながらの文章である。車校の何がいいのかはそこに書いてあると思うが、ここでも簡単に記しておくと、その良さは「わかりやすさ」にある。何が目標で、そのためには何が必要で、だから何をするのかがあまりにも明快なのだ。大学に入って燃え尽きた人間にとっては久しぶりに生きている実感を得られる場所であった。

日中は家族のもとでマトモな時間に起床してオンライン授業を受け、大抵は夕方から車校に行った。大学の無い日は朝からということも多く、そのためかなりの過密スケジュールだった。9日連続でということもあった。家と車校をダイレクトで結ぶ送迎バスがあったのが素晴らしかった。

バルコニー型喫煙スペースもQOL高かった。

このくらいの時期は、もう少しすると市内の工業高校やら商業高校やらの生徒が就活も終わって暇になって一斉に車校に押し寄せるから、その波が来て忙しくなる前に卒業してもらおうということですげぇパンパンのスケジュールになるのだ。自分の場合、入って1ヶ月後には警察署で免許証の交付を受けていた。

車校の休み時間には本を読んでいた。以前noteにも書いた『風の歌を聴け』との出会いは丁度2年前である。卒業までに『1973年のピンボール』と、『スプートニクの恋人』の3作を読了した。『ピンボール』の後で普通なら初期三部作の最後『羊をめぐる冒険』に行くはずのところを飛ばしたのは、上下巻だからである。

規則正しい生活をして、大学の勉強にも身を入れて、自動車学校で新たな刺激を受け、そして夜は毎晩のようにお酒を飲んでいた。水曜日の深夜には安達としまむらをリアタイした。もうね、素晴らしい秋としか言いようがない。

あと、漫画もよく買って読んでいた。

チェンソーマンと呪術には逆張りをせず
この巻やばかった記憶

それから煙草もよく吸った。車校では休み時間の度に肺を汚した。

ええわ

この翌年以降も限定パッケージを少し期待してるのだけど、出会っていない。ので、これは2020年特別仕様たったのだろう。そう、2020年は本当ならもっと特別なイヤーになるはずだったから。

これ以上書くと秋を超えて半年間の帰省すべてを懐古することになりそうで、既に結論は出た上でダラダラと喋ってるのだけど、まあつまるところ2年生の秋休みは充実していた。

2021年・大学3年生

舞台は再び東京へ。半年間の実家暮らしを終えると、4月には大学から対面に戻すから帰ってこいとのお触れが。結局前期は初めの4週間ほどをオンキャンパスで行うと、そこからはまた全面オンラインに逆戻りした。夏にはオリンピックがあり、ここで更に厳しい状況になるかと思われたが、少しずつ感染拡大は落ち着いていった。そんなわけで秋に学祭をキャンパスで実施するという大学も都内でポツポツと現れた。

私はTwitterのFFと3人で法政大学の学祭へ行くことにした。何を隠そう我々の1人がそこの学生だからである。彼のことはAとして、もう1人のことは仮にKとしてここから話そう。

その日我々はいきなり法政に行ったわけではなく、まずは昼食を摂ることにした。神保町食肉センターである。11時半に営業が始まるということで、確か集合時間もそこに合わせていた。社会不適合者の集まりなので結局12時前に揃ったと思うが、その時には既に長蛇の列。自分はこの店について一切知らなかったので、その人気ぶりにただただ驚いた。

この写真を見て、自分はしっかり開店前に到着していたことに気がついた。

AとKは以前にも会っていたらしいが、私はこの2人と初対面であった。といってもAは一応2016年くらいからFFで、Kとは丸1年くらいの付き合いである。そしてそれぞれ別のフォロワーとのオフ会を何度か経験しているので、気まずい沈黙はほとんど生まれなかった。ただ並んで待ってる数十分間の会話はロクに覚えていない。Aが女性ホルモンを打っているという話はかすかに残っている。体毛を薄くしたいからと言っていただろうか。

ようやく順番が来て入店。ここの売りはズバリ安さである。1時間かそこら、食べ放題980円とか。もろもろ曖昧だが大きく外してはいないはず。朝飯をちゃんと摂らずに出てきた3人は貪るように肉にありついた。

鉄板が小さい

Kは大学のジムに通ってるし、この頃は私も禁煙をして食事とトレーニングに専心していたので、かなり爆食した覚えがある。

余談だが、今年に入って再び食肉センターに行くことがあった。しかしその時は結構いきなりで、直前になか卯で親子丼とすだちおろしうどんのセットを食べてきていたため全然食が進まなかった。人の奢りだったのでまあ元取れなくてもいいかくらいの感覚で行ったのだが、人の金で食べる焼肉にありがたみを感じられなかったのはこの時くらいである。

昼食を終えると、我々は歩いて法政大学へと向かった。たぶん、そこそこ近い。道中、3人共通のFFの父がやっている弁護士事務所の前を通りかかった。普通に考えてなんでこの2人はそれを知ってるのか。親の職場教えるとかせんやろ…。変な話、知られて恥ずかしくないからというのはあるのだろう。

大学に着く。中に入ろうとすると問題発生。なんと、一般公開というわけではなかったのだ。

入れると行って誘ったのはここの学生であるAだったので、お前どういうことやねん的な感じになる。どうやら、在校生もしくはインカレで出し物をする多大生は事前にQR登録しておくことで参加可能ということだった。そういうのは一般公開とは言わんのや。

しかしもう1つ資格を与えられし者があった。それは受験生である。学祭というのはやはり高校生向けのアッピールの場でもあるため、そこに対してはウェルカムであった。我々は3人で、浪人生であると偽って入ることにした。受付で高校名と本名を記し…その間3人ともお互いのRealなプロフィールを隠すためにコソコソしながらペンを走らせ、提出。受理された。在校生のAが浪人生と名乗ったのが1番面白い。そもそもその必要はあったのか?というところも含めて。

いざキャンパス内へ。いつ来てもデカい。

バックハグ女女がおるやん

一般に大々的な公開をしているわけではないと分かったため予想はしていたが、はっきり言ってそこまでの規模で賑わっているわけではなかった。屋外では写真で見えるようなテントが、真ん中の広いとこを挟んで反対側にも何軒か立ち並んで飲食関係をやっているくらいである。あとはホールでバンドのライブをやっていたが、かなりヘヴィなメタルだった。

我々はそういう感じじゃないんで、なんとなくひっそりしたところを求めて校舎内をうろついた。ひっそりしていたかは分からないが、ここに入った。

😅

私はこの前年にシャニマスを1ヶ月だけプレイした程度なので、アイマスはマジで全然わからん。あ、デレのアニメを3話くらい中3の時に見たな。Aもたぶんアイマスには通じてない。彼が好きなのはきららアニメだった。Kだけは違った。が、ソシャゲをプレイしていたとは記憶していない。ただ、中学生の時から神崎蘭子の抱き枕を使っているとは言っていた。

このシリーズが丁度いちばん分からん

メニュー表を撮っておけば良かったのだけど、キャラのイメージドリンクみたいなものを売っていて、テーブルに座って自由に談義したりしながら楽しめるという場だった。私が頼んだのはコーヒーだったが、誰をイメージしたものだったのかは覚えていない。Kの飲んでいたプロテインがムキムキにちかコンセプトだったことだけは記憶できている。

その後はクイズ研究会のところで早押しクイズに挑戦した。言語やらスポーツやらアニメやら土地やら流石クイ研というほど大量のカテゴリーが用意されている。私は野球の問題で役割を果たした。顔と名前を一致させるところでは、ルーキー佐藤輝明のフルネームをど忘れしかけてヒヤッとした。サトテルサトテル言われてたからや。

Aは割と地蔵をキメていた。Kが3人の中では最燃えていて、本領を発揮したのは「日常アニメ」の項目を選んだ時であった。高校生やパンピっぽい集団を横目に、「のんのんびより!」「恋する小惑星!」と次々に回答していく。有り体に言って、恥ずかしかった(笑)

クイ研には結構な長居をして、その後はボカロ研究会のところを覗いた。初音ミクやら鏡音リンやらがスクリーンに映し出され、歌って踊っているのを眺める。

私は中学1年のほんの一時期に、当時流行っていたことで何曲か聴いた程度なのだけど、Aは現在進行形でVOCALOIDの曲を作っていた。だからここにも結構な時間の滞在をした。目と耳が疲れる。

もう1箇所ほど行っているけど、そこはあまり書くことが無いので省く。こんな調子で結構しっかりめに学祭を堪能し、その後は近くのサイゼに移動。オタクのエンカって感じだ。

ミラノ風ドリアとコーヒーゼリー。ドリンクバーでもコーヒー。歩きながら色々やってると弾む会話も、こうやってファミレスに場を変えて落ち着くとなんだか静かになってしまう。そこそこ疲れてきていたし、ここがあまりうるさくない店舗だったのもあるのだけれど。そう、静かなのにAがこちらのことを普通の声量でハンネ呼びしてくるので恥ずかしかった。

主にAとKが冬に計画しているロシア旅行の話をする時間だった。私にはそんなお金も時間も無いので行かないし、そういうのは日頃のツイートから察せられてるから誘われてもいない。どのくらいの格好をしていくべきか、単に防寒性が良いだけではダメで、いかにも観光客っぽいブランドだと狙われるから考えた方がいいみたいなことを言っていた。

カッスカス

1時間かそこら滞在した、飯田橋で解散。人生どうでも飯田橋は死語か?

「早稲田祭あるなら行こうぜ」「おっけー」
そう言って別れる。Twitterの人と外で会うのはこれが4度目だったが、1番楽しかった。

さて、振り返ってみる前は2020年のゆる〜い田舎暮らしが最高だと思っていたけれど、「秋休みの過ごし方」という括りで考えると、やっぱり人と会って外で遊んでた時の方が充足感が高く感じられる。冒頭でも言ったように今年はマジでそういう予定が無いので、その意味では残酷な事実だ。

2019年に行動を共にした2人とは、今ほとんど会うことがない。年末年始の帰省中にタイミングが会えば飲むくらいの、まあ大抵はそんなもんよという感じの間柄。おそらく2人とも来春に大学を卒業する。私1人が留年で、なおのこと会う機会が減りそうだ。

昨年の2人。ここの繋がりは断たれてしまった。というのも、件のロシア旅行が原因である。AとKは旅程のことで揉めてしまい、どっちかによるブロックをもってその軋轢は決定的なものとなった。KがAに言い放った「お前の、お盆休みのサラリーマンみたいな計画には付き合えん」という言葉には、申し訳ないのだけど少し笑ってしまう。その後Aはアカウントを削除した。

we don’t talk anymore…

ほどなくして私もアカウントを消した。今年の1月3日のことである。別に辞めようと思っていたわけではなく、お正月を楽しむためにネット断ちしようくらいのノリであった。私はこういう調子で結構頻繁にSNSをリセットしたがるし、それで気づいたら30日が経過してしまっていて復元できなくなったりする。今回もそれであった。2016年からの付き合いはAとK以外にも沢山いて、むしろこの2人は私の中では新規の方だったのだけれど、まあ別にいいかなみたいな感じでそのままアカウントを作り直すことも今の時点でしていない。多くは語らないが、昨年の1年間で「オタク」コミュニティにかなり辟易していたし、上智のところで言及したFFが21年末にTwitterから去っていたというのも非常に大きい。彼の言葉を見られないのなら価値が無い。そんな感じ。

締め方が分からないのだけど、まあなんというか、来年の今頃はまた楽しくやっていたいね。

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