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【思い出話】デビュー20周年を迎えた藤本美貴について語る

2002年3月13日に「会えない長い日曜日」でデビューした藤本美貴(以下、ミキティ)が20周年を迎えた。あれから20年の月日が流れたかと思うと、あっという間だったと印象があるが、本人のインスタグラムによると、20周年を迎えた当日は自宅でダラダラと過ごしていたそう。なんともミキティらしい。

 現在もママタレントの代表格としてテレビやYouTubeと多方面で活躍しているが、モー娘。オーディションに落選→ソロデビュー→モー娘。加入→岩盤浴デート報道からのモー娘。脱退→歌謡曲で再出発→結婚…と怒涛の芸能人生を歩んでいる。

 前回の市井ちゃんに続いて、今回はミキティについて語り尽くす(公式動画が少ないため後輩メンバーによるカバー曲が多いですが、ご了承ください)。


ミキティの芸能生活の歩み⓪ 〜デビュー前〜

 1999年の夏、avex dream 2000という大型オーディションが開催され、デビュー前から高い歌唱力を持っていたミキティは才能を発揮し、約12万人の中から最終選考の24人にまで残ることができた。グランプリを獲得した3人は2000年1月1日にdreamとして「Movin’ on」でデビューしたが、一歩間違えれば(?)「Movin’ on〜Movin’on〜♪」と歌っていた世界線もあったかもしれない。

 その後は『ASAYAN』で行われていたモーニング娘。の追加メンバーオーディションに参加。ここでは最終手前の3次審査で惜しくも落選したが、将来性を感じたモーニング娘。の事務所(アップフロント)はレッスン生としてスカウトし、上京後は社会勉強として電話番やお茶汲みなど雑務をこなしながらレッスンに励んでいた。

ミキティの芸能生活の歩み① 〜ソロアイドルとして〜

 実は歌手デビューより先に平日の深夜帯に放送されていたミニ番組『新・美少女日記』で女優デビューを果たしている。同番組は一年前に『美少女日記』として松浦亜弥が主演を務めていて、これからデビューを控えるソロアイドルとして藤本も同様に主演を務めていたが、他にもモーニング娘。のコーナーが放送されていたためミニドラマ自体は3分弱しかなかった。

 年明けにはハロー!プロジェクトのコンサートで里田まいらと共にお披露目を果たし、デビュー曲として用意されていた「Let’s do 大発見!」を披露した。この時点ではデビュー前の無名のアイドルに過ぎなかったが、持ち前の負けん気の強さで中澤姐さんとのMCも堂々と交わすなど既に大物感を漂わせていたのが印象的だった。

 そして2002年3月13日、松浦亜弥に続く大型新人アイドルとして「会えない長い日曜日」で歌手デビュー。当初はモーニング娘。の妹分扱いで『ミュージックステーション』や『うたばん』など多くの音楽番組に出演し、1年先輩の松浦とは対照的にショートカットのボーイッシュスタイルで売り出されていた。デビューした年は発売記念イベント(ミニライブ&握手会)を全国のショッピングセンターで開催していたが、半年後にはよみうりランド オープンシアターEASTで約8,000人を動員できるまでに人気が上昇した。

 順位推移としては13位→4位→3位→4位→8位とトップ10を維持し、ソロアイドルの地位を築いたが、CD不況が重なったこともあり、モーニング娘。や松浦亜弥に並ぶ大きなヒットには恵まれなかった。自身のヒット曲である「ロマンティック 浮かれモード」(以下、ロマモー)の売上枚数は6.6万枚で、同年のシャッフルユニット3組の中で一番売れなかったおどる11「幸せきょうりゅう音頭」の売上枚数7.2万枚を下回る結果となった(意外すぎる)。

 他にも後藤真希・松浦亜弥と共に結成された最強ユニット「ごまっとう」、中澤裕子・後藤真希と共に参加したフォークソングの楽曲を集めたオムニバスアルバム「FS3」(通称“ごなっとう”)といった企画ユニットでも活動を行ない、年末には日本有線大賞 新人賞、『NHK紅白歌合戦』に紅組トップバッターとして初出場を果たした。ミキティは「ロマモー」をモーニング娘。4期と5期、キッズダンサーを引き連れて堂々としたパフォーマンスを披露し、ソロデビュー2年目も勢いづくと思われたが、新展開へと突入することになった。

06:23〜 MUSIC FESTA Vol.1 ダイジェスト(藤本美貴「ボーイフレンド」)

ミキティの芸能生活の歩み② 〜モーニング娘。として〜

 年明け早々、モーニング娘。に加入するという驚きのニュースが入った。既にソロとして実績のあったミキティの“モー娘。編入”は賛否両論の声が相次ぎ、一部のスポーツ紙は数ヶ月前に卒業した後藤真希に代わるエースとも報じていた。正式に合流するまではカップアイスのCM出演やアルバムリリース(初登場3位の好成績!)、初のライブツアーと活動を続け、当初はソロ活動と並行しながらモーニング娘。としても活動するとしていたが、実現に至ることはなかった。今後もソロアイドルとして活躍する姿を見たかっただけに複雑な心境だった。

 モーニング娘。時代は中心メンバーとして活躍し、カントリー娘。やフットサルチーム、GAMの一員として活動を行なった。モーニング娘。には道重さゆみ・田中れいならと共に6期メンバーとして加入したが、4期のオーディションに落選した過去もあり、4期メンバーと同様に扱われることが多かった。

 4代目リーダーの吉澤ひとみの卒業に伴って5代目リーダーに就任したが、“25日後”に大事件が発生してしまう。

ミキティの芸能生活の歩み③ 〜フライデーによる脱退劇〜

 リーダー就任から1ヶ月が経った頃、写真週刊誌に品川庄司の庄司智春との岩盤浴デートがスクープで報じられた。ミキティは報道が出た1週間後にリーダーとしての責任を取ってモーニング娘。を脱退した。

 脱退後はしばらくGAMとして活動していたが、5年間にわたってレギュラーを務めていたラジオ番組が終了すると、フットサル以外の活動が休止状態となり、事務所から干された

ミキティの芸能生活の歩み④ 〜歌謡曲で再出発〜

 約半年間にわたって芸能活動休止状態となっていたミキティは事務所の大先輩である堀内孝雄との競作で5年ぶりに歌手活動を再開することを発表し、演歌・歌謡曲で再出発することになった。モーニング娘。時代はアリーナクラスでコンサートを行なっていたが、再びソロ歌手に転身すると、全国各地のショッピングセンターやデパートの屋上で発売記念ミニコンサートと握手会を開催し、イベント初日にはツーショット写真撮影会とサイン色紙が貰えるといった演歌歌手さながらのキャンペーンを行なった。

 演歌・歌謡曲路線となった「置き手紙」は半年間にわたる全国キャンペーンを展開したことで異例のロングヒットを記録し、年末には日本有線大賞 有線音楽賞、日本作詩大賞 優秀作品賞を受賞した。

 当初の予定として2年間は演歌・歌謡曲路線で活動する計画があったとされるが、岩盤浴デートのお相手とゴールインしたため歌手としての活動は一旦休止となった。

ミキティの芸能生活の歩み⑤ 〜ママタレントとして無双に〜

 ハロプロ卒業後に開設したブログは芸能人・有名人ブログランキングで何度も1位を獲得し、ゴールデン帯のバラエティ番組『THE 1億分の8』(後の『イチハチ』)ではダウンタウンの浜田雅功と共にMCを務めるなどタレントとして活躍。

 出産後は主婦向け雑誌で表紙を飾ったり、CMに出演したり、情報番組でコメンテーターを務めるなどママタレントとして活躍。おそらく10年近くママタレントとして活躍してるのは辻ちゃんとミキティくらいだろう。

 現在はタレントとしてのイメージが強いが、不定期で単独ライブやディナーショーを開催し、自身のソロ曲やモーニング娘。時代の楽曲を披露している。2020年に開設したYouTubeチャンネル「ハロー!ミキティ」では多くのコンテンツを発信し、2022年3月現在で登録者数は17.8万人と人気を集めている。

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