無益のすゝめ

無益のすゝめ

有益なんて糞くらえ


少々、センシティブに始まりましたが、何も煽っているわけではありません。

 タイトルにある「有益」という言葉を聞いて、どんなことを思い浮かべるでしょうか。有益な講演、有益なお話、有益なツイート、たくさんありますね。

 そもそもこの言葉の意味ですが、「益をもたらすためのものであること」「ためになること」だそうです。ググればコトバンクに書いてありました。つまり、有益なお話というのは、お話を聞いた人がためになると感じた話、もしくは益がもたらされたと感じた話ということになります。ここで重要なポイントは、行為を受けた人物が益と感じたということです。

 再び「有益なお話」を例にわかりやすく、話し手をA君、聞き手をB君とします。A君がいくら意気込んでロックに関する有益なお話をしても、話を聞いたB君がつまらないと思ってしまえば、その話は無益です。

逆に、A君が何でもないお昼ご飯のお話をB君にしたとしましょう。一見たわいもない世間話です。ただ、この時B君はデートで使うランチのできるレストラン探しで悩んでいました。A君のランチの話を聞いて、B君はその店にしようと決めました。

 これは、A君にとっては有益でもなんでもない話ですが、B君からすれば今後のリア充ライフを決めるとても有益な話であったことになります。

無益のすゝめ

 

ここまで、グダグダと何が言いたいかというと「有益とは物事の結果的な評価」にすぎないということです。いくら、発信者がこれは有益だと自負したところで受信者が「ためになった」と感じなければ、その発信はただの言葉の羅列に過ぎないのです。

 この発言もどうかと思いますが、SNSなんかを見ていると受信者依存のこの「有益」という言葉が飛び交っている気がします。気がするだけですが。一歩譲って、自負するだけなら良いでしょう。ただ、近頃のすぐ情報にアクセスできる環境で、情報で飽和した市場に対してありきたりな情報を投入しても、受信者が有益と評価しない限り、それは単なる文字の羅列です。

 そこまでして、テンプレ通りの有益にこだわらなければならないのでしょうか。それが単なる文字列と化すぐらいなら、私は私の思うことを書いたほうがいい。そのほうが、私の思う無益が誰かの有益になるかもしれない。そう信じて無益のすゝめを始めます。

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