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それならこんな話をしてみては59

高梨沙羅の失格は疑問が残る。

失格に関しては彼女のせいではない。

しかしネットでは彼女を叩く声が多いだろうと覗いてみると...

彼女を擁護する声、お疲れ様でした、失格から4位凄い!などなど。

失格を責めるものはなかった。

しかし彼女の態度に批判する声は多い。

確かにわからないでもない。

失格になったのは日本の高梨沙羅だけではない。

日本は高梨沙羅1人が失格。

その他ヨーロッパ選手は各2人失格になっている。

あの規定には疑問があるが、彼女1人で戦ったのではない。

4人で団体の戦いであった。

2回目最後に前日金メダルを獲得した小林選手が大ジャンプ。

2人の選手が駆け寄ってきた。

高梨沙羅はどうした?

ショックでも責任を感じていても、最後に飛んだ小林選手を讃えに行かなくて。

スポーツには様々な苦労苦痛を伴う。

それを乗り越えての金メダルであった。

あなただけが悲劇のヒロインになるのはおかしい。

ドイツからも2名しっかくになった。

その選手が彼女に駆け寄りティッシュを渡すが彼女はそれどころではない。

うなずくわけでもない。

もう一度。失格になったのは彼女の責任ではない。

彼女のその後の行為が問題だ。

プロの前に人間である。人間である人間である。

失敗あって当然。

期待が選手に重圧をかける。

有名になればなるほど伴う。

メイクを批判する人もいる。

それでテンションが上がればそれでいいではないか。

綺麗にすることは悪いことではなく良いことである。

世界で一番の悲劇のヒロインは日本選手だけではない。

その他の失格になった選手も悲劇である。

彼女だけの団体ノーマルヒルではない。

各国から集まった各国の平和の祭典がオリンピックである。

(今回のオリンピックは政治的なことが垣間見えるという人が多いが)

スポーツは最初と最後が美しい。

勝っても負けても失敗しても美しいはずである。