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今、表現できる「希望」

こんばんは、卯月螢です。
自分の感覚と向き合いながら、絵や詩や文章を制作しています。

残暑ですね、今日はスマホの天気を見ると体感気温38度という悩ましい数字です。体感気温の中に湿度も含まれているので、湿度負けをよくする私としては結構辛い日々です。

9月の展示を控え現在制作中。
そのうちの一つが「生まれては消えるもの」という『希望』がテーマの展示になります。
自分としては使い慣れない言葉であるし、出さないであろうテーマだと思っていたので瞬発的に出展と絵が浮かんだのは驚きです。
でも、思いついたイメージとは違う作品になりました。
浮かんだのは明るいカラーで表現されたイメージでしたが、描いているうちに浮かんだイメージと自分の力量の差に制作をあきらめざる負えなくなりました。
残念だなと思いますが、これも縁だと諦めました。
言葉もそうですが「聞きなれた」「見慣れた」「憧れているもの」など脳の中にはいっぱいイメージが浮遊していると思うのですが、それを形にするには「実感」「体感」などの経験が必要である。
これは持論なのですが、浮かんでも表せられない・・というのは経験が足りないのではと諦めました。

自分なりの「希望」について、まだ題名のついてない作品。

『希望』をGoogleで検索すると「未来に望みをかけること」
小学校や学生時代によくスローガンに掲げられる言葉のイメージが強く、漫画でもきれいな物語として表現される課題ですが、実感がわかない時間を過ごしてきたので表現しようとすると理解が追い付かずイメージさえ浮かんでくることのない縁遠い言葉でした。
年を重ねると「未来に望みをかける」それが叶うことは奇跡に近い体験が多くなるという考えを持つようになりました。
足の膝に障害が出て、介護職を辞さなければならなかった時
母の余命を宣告された時
父の介護で経験がすべて役に立たないと絶望した時
こんな時は「希望」や「未来」を思い描くこと自体を諦めて、目の前の
「絶望」や「苦悩」に前をふさがれてしまうものです。

そんな私が「希望」とは・・と描きながら不思議に今でも思います。
しかしまだ、朧げに単語やイメージは浮かぶのに言葉を文章にするにはほど遠い。
上の画像の作品は*「孤独」についての展示を考えていた時に走り書きをした一つのイメージ。
どうしてこのイメージなのか間違っていないのか、見返してみても感覚的にこのイメージしか浮かばない。
自分なりの「希望」
今表現できるイメージ

きっと、「他人とズレてるかも」という不安も抱きつつ展示の準備を進める現在です。


小品も間に合えば


*「孤独」についての詩画集


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