雨天の朝、降り立った金髪


突如、金髪になる夢を見た。全体が白に近い右近色で、先がショッキングピンクに染められていた。いきなり見たのだけど、あれは一体なんだったのだろう。
たぶん、私は自分で思っている以上にヤンキーなのだと思う。
ヤンキーというのは俗な言い方で、チンピラとか、不良とか、そんなような感じの金髪で、腕に蛇がのたくっていて、三白眼で、みたいな彼ら彼女らを思い起こすけれど、(悪口ではない)彼ら彼女らは己のポリシーを貫く為にああいう風貌をしているのであって、つまりあれこそがアイデンティティの表象であってアイコンなのだから、それに、世界は容貌等で人格を推し量る世の中ではなくなってきているから(SDGs、多様性を尊重しましょう)彼ら彼女らは""ヤンキー""として、胸を張ってこの世界に席巻し続けるのだ。
ヤンキーの起源はアメリカにあり、元は白人に対する蔑称なのだという。ヤンキーは差別を受ける中、歴史の中で強かに生き残ってきたスピリットを持った人間たちなのだ。容貌が威圧的であろうと、差別を受けていようと、彼らは彼らの魂を燃やし続ける。天晴、ヤンキー。コワモテの不良少年少女たちがふとした隙に見せる優しさ(コンビニ前にたむろっていてもご老人に親切に接する彼らとか)にギャップ萌えしてしまう。人は見た目が9割、というよりも(服装が夜露死苦とかでなく。これは死語?)スピリットが面構えに出てこそ人は彼らのことが分かるのだと思う。

私は幼い頃かなり人見知りで大人しく、よく泣くこどもだった。
例えば、幼稚園でお弁当が食べきれなくて、泣き出してしまったり、(食事は残してはいけないという躾を幼稚園でされていた)送り迎えで母が帰ろうとすると涙で帰宅に対して猛抗議して大騒ぎしたり、抱っこをやめるとそれに対してもまた猛抗議するようなやんちゃでセンシティブな子どもだった。傍目には大人しく敏感なお子さん、という印象だったのだろうけれど、魂は一丁前だったのかもしれない。大人になってから、大分強くなったな私は。
強さと繊細さという感覚は共存したり、時にイコールであると考えている。繊細さがなければ人の痛みや苦しみには目が届かない。繊細なだけでは脆く何かに負けてしまう。
美しく建築された甘い砂糖菓子の孤城では風雨を凌げない。見てくれでなく、ハリボテでもない本物の優しさがこの世界を救うのだ。相手を想う心。自分を慈しむ心。世界をまるごと愛する心。

最近の私の心体は雨模様だった。自律神経やホルモンバランスに昔から左右されやすかった。お天道様には敵わないと零していた。

だから、強くなりたいと潜在意識で希っていたのかもしれない。その強さのシンボルが金髪のヤンキーとして現れた訳だ。何じゃそりゃ、単純すぎるアホな夢。

2022/04/21

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