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言語化することは現実化すること*安堵感と恐怖感

昔、仕事の関係で精神科医の方の講演を聴いたのですが、

「精神科で病名を診断することで、その人は病気になる」

と話していたことが印象的でした。

状態を言葉で固定化してしまうことで、もう、病気という枠から逃れられないような、恐怖感も覚えたのです。

noteをはじめて、HSPという言葉を知りました。


どんなものかは、詳しい他の方が解説してくださっているので、そちらにお任せして。HSP診断みたいなものもやってみると、高い数値がでました。

https://hsptest.jp/score/101

自分の感じやすさ、多感さを鬱陶しいような、いとおしいような、むわり、とした気持ちを抱えていたのですが、この言葉を知って、あぁ、そうだったんだなというある種の安堵感を覚えました。おさまりがついた、みたいな感じでしょうか。そうだったんやね、自分、みたいな。

前者の恐怖感と安堵感、同じような事象に対して、対照的な気持ちを抱くのが不思議です。

言語化する=現実化する

ことだと思ってますので、言葉は大事に扱うようにしているのです。が、もうひとつ。それ(言語化=現実化)をすべきかどうなのか、についても同じくらい大事に扱いたいな、と思いました。

あ、もし、私に、貴方に、名前がなければ、世界はいったいどうなるのでしょうね。

今日も、よい一日を。


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