『探偵と助手の事件簿~街の通り魔と消えた教師』第二話

◆◆◆◆

 タクシーは住宅街の片隅で停まり、左側のドアが開いた。啓志は二十分後にまた来てもらうように頼んでから、すでにタクシーから離れていた二人の近くに向かう。

「さて、案内していただけますか?」

 周りをキョロキョロと見回しながら、佐藤に案内を求めた啓志。うなずいた佐藤は、住宅とは逆の方向に位置している林を指差した。

「この中に、運んだわ」
「……なるほど」

 右手の人差し指を唇にあてがっていかにも考えているようなポーズをとる啓志に、夕姫は、やってみたいって仰っていたやつですね、と言って冷やかしてみせる。啓志はそんな雑言に反応することなく、佐藤の方を向いて詳しい説明を求めた。

「暗かったからはっきりとは覚えていないんだけど、そんなに奥には行ってなかったはずよ」
「なるほど。では、行ってみましょうか」

 サクサクと進む話に若干遅れ気味の夕姫は、鞄を肩にかけ直してから、林に向かう二人の背中を慌ただしく追いかけて行った。林の中は確かに薄暗く、竹も多いためか地面は湿り気味だ。地に落ちた葉もその影響を受けており、踏み出す足も軽快にとはいかない。
 探し始めて二十分経った頃、辺りを捜索している三人は身体的というよりは精神的な疲れを感じ始めていた。

「被害者が自分で歩いて帰った……なんてことはないですよね? 返り討ちにあった手前誰にも言えずに……みたいな?」

 夕姫の溢した言葉に二人は思わず顔を見合わせた。ただそれでも、血痕がどこにもないということへの説明がつかない。それに女性に無抵抗で引き摺られるほどの刺し傷を負った人間が、自力でそんなに動けるとも思えない。

「こう言っては失礼かもしれませんが、佐藤先生。本当にここですか?」
「間違いない。この辺りのはずよ」

 場所を勘違いしているという可能性もあるだろうと考え、恐る恐る尋ねる啓志に、佐藤は少し不機嫌そうに口をとがらせて答えた。
 しかし、鬱蒼(うっそう)とした林の中を二十分探しても何も見つからないという事実が、人の意欲を削り取っていくのも仕方のないこと。啓志も自分の変化と時間の経過を念頭に置いて、二人に提案する。

「とにかく、今は見つかりませんでした。また来るかもしれませんが……その時は父の知り合いを通じて警察の方にもお願いすると思います。それでよろしいですか?」

 佐藤は溜め息を一つ吐くと、分かったわ、と返した。夕姫はそんな彼女の肩を二度軽く叩いて、振り向かれた時にうなずいてみせる。

「大丈夫ですよ、きっと。先輩なら先生のことも助けてくれるはずです」
「も、ということは、高宮さんも何かあったの?」

 知っている情報だけでは不整合が生じている接続詞をすかさず咎める辺り、さすがは国語科教師といったところか。思わぬ指摘を受けた夕姫は、返答に窮して俯いたまま濁らせた答え方をする。

「え、はい。ちょっと……。でも、先輩のおかげで今はご覧の通りです」
「そう。ご覧の通りのおっちょこちょい、ですね」

 弾みかけていたのか気まずかったのか。微妙な空気の二人の会話を妨げる切れ長の目の彼は、ハハハと渇いた声で笑うと、反論している夕姫をスルーして先に林を抜けていった。
 林を出た所に三人が揃った時、すでに先ほどのタクシーが迎えに来ていた。先に二人を乗せた啓志が右手を挙げて合図すると、運転手はドアを閉める。

「すみません、真下先生の猫はいつもこの辺りで見つけるので、ついでに保護して帰りたいんです」

 不意をつかれて驚きを隠せない佐藤に、白髪交じりの運転手は穏やかな声で話し始める。

「大丈夫ですよ。うちは若竹さんのとこによく使っていただいているので。今回のお代は後で事務所の方に送らせていただきますから」
「そういうことなので、今日はお疲れさまでした。佐藤先生、また明日の放課後にでもうちの部室においでください」

 小気味よく続く運転手と啓志のやり取りに二人は肯定の返事しかできず、そのまま佐藤、夕姫の順に送られていくことになった。二人を見送った啓志は、伸びをして鞄から猫のおやつを取り出す。そして道路の端、雑木林の入り口にまで行ってからしゃがみ込んだ。

◆◆◆◆

「さて、と」

 若竹探偵事務所の窓際の机。至る所に時の流れを感じさせる傷の入った木造のものだが、啓志はそれを愛用している。その上には二枚の紙があり、B5サイズの猫捜索の報告書と共に、今日あった事件らしき出来事についての現状のまとめが殴り書きされていた。
 報告書はともかく、問題は今日の佐藤のことだ。気が動転していたとして、だ。人を刺して逃げておいて翌日普通に出勤して、授業をしていたということになる。徐々に罪悪感に苛まれてあの時屋上に、ということなのだろうか。
 それに、違和を感じることは他にもある。佐藤の退勤時間が正しいとして、事件があった時はまだ二十時半にもなっていないはずだ。人が襲われたのに、近所の人が誰も気づかないなんていうことがあるのだろうか。ぶつぶつと口を動かしながら、啓志はそんなことを考えていた。

「啓志、まだいたのか」

 入り口に立っていたのは切れ長の目をした男性だった。若竹啓一。啓志と呼ばれた彼の父親である。鋭い目の中にも温もりがあるように感じるのは、自らの背中を追いかけている者への探偵としてのものか。はたまた熱中できることを見つけた息子への父親としてのものか。
 声をかけられて立ち上がろうとした啓志をなだめた啓一は、珈琲を淹れるために機械を操作し、白いカップを二つ取り出した。珈琲の香りが部屋中に広がり、しばらくすると啓志の前に一つ置かれた。

「今度はどんな事件が起きたんだい? こんな時間まで事務所にいるなんて珍しいじゃないか」

 近くに自分の机の椅子を持ってきて座った啓一に、啓志は殴り書きに目を通すのをやめて目を見て答えた。

「まだ確信がないというか、事実かはわからないですし……」

 言おうか言うまいか迷っている様子の啓志に、啓一は微笑んで、言ってみなさい、と促した。

「殺人に関しての調査依頼を受けました」
「警察には連絡したのか?」

 飲もうとしていた珈琲を机に置き、啓志に尋ねる。声色は落ち着いているが予想の斜め上をいく案件を、探偵としてまだまだ荒削りな息子が引き受けていたということに驚いているようだった。

「いえ、何せ被害者が見つからないので。今の状況では警察も取り合ってはくれないでしょう」
「なるほどな。それで、これからどうする?」

 意見にしっかりうなずいてから、これからの調査の進め方を確認する。親子とはいえ、そこにいるのは探偵と探偵。安易に他の探偵が抱えている依頼に首を突っ込むことは許されないらしい。

「宮越さん辺りに、暇でしょうから一緒に来てもらおうと考えています。そこで判断していただこう、と」
「宮越か。よし、連絡しておこう」
「ありがとうございます」

 深く頭を下げる啓志に、啓一は止めてくれと笑い飛ばしてみせた。

「そんなに難しい事件なら手伝ってあげたいが、私は私で手一杯なんだ。すまないな」

 そう言った啓一は、部屋の隅に置いていたMサイズの黒いキャリーバッグを指差した。

「泊まりの仕事ですか?」
「あぁ、二日ほどな」

 息子兼同業者の質問に頭をかきながら答える。それから漆黒の文字盤に白い針が映える腕時計を見ると立ち上がり、シンクに珈琲を飲み干したカップを置いた。

「準備があるから、私はこれで。良いか、絶対に無理はするなよ。何かあったらすぐに連絡しなさい」
「わかっています。おやすみなさい」
「最近、この辺りも物騒になった。今日は事務所で休んで、明るくなってから帰りなさい」
「そうします」

 幼い子供を諭すような口調に思わず笑みがこぼれる。おやすみ、という返事を残して扉はバタンと閉められた。そこに訪れた静寂はいつもより存在感を増していて。思考の途切れた自分の頭を奮い起こそうと伸びをしながらあくびをしていると、それを遮るニャー、という鳴き声が響いた。

「明日、ご主人様の所に連れてってやるからな」

 ケージの中で鳴いている真下先生の飼い猫に、意地悪そうにつぶやく。保護するのはこれで何度目になるのだろう。すっかり啓志に慣れてしまっていて、猫らしくゴロゴロと喉を鳴らしながら左の前足を伸ばしている。

「ま、仕事だからね」

 諦め気味にそう言う啓志に、猫は黒い艶のある体毛を一、二回なめてからもう一度ニャー、と鳴いてみせた。

◆◆◆◆

 翌朝。猫を入れたケージを持った啓志が、職員室を訪れていた。時刻は七時半を少し過ぎた頃。教室の生徒はまだまばらだったが、職員室には大半の先生が揃っていた。

「失礼します! 若竹です。真下先生はいらっしゃいますか?」

 慣れた様子で挨拶すると、中央付近の机から返事が聞こえた。もう一度、失礼します、と言って歩を進める。道中も猫に声をかけたり啓志を労ったりする教員に対応しつつ、パソコンとにらめっこしている真下の机に向かって行きケージを差し出した。

「あら、早かったわね。ありがとう」
「いえいえ、もう逃がさないでくださいね」
「さぁ、どうかしら」

 啓志の願いも虚しく、あっけらかんとした表情で流していく真下。全く良い性格である。啓志がため息を吐いたのを知ってか知らずか、真下はケージに入った愛猫を愛でていた。
 その後しばらく雑談していると、生徒もほとんど登校しているような時間になっていた。啓志も急いで帰ろうと、真下に挨拶したが。

「失礼します。松田先生はいらっしゃいますか?」

 一年生だろうか。緊張気味に入口に立っててる二人の男子生徒がちょうど職員室に来た。しかし呼び掛けられた松田からの返事がない。不安そうにそわそわし始めた二人を見かねてか、若いジャージ姿の男性教師が対応した。

「松田先生は今日も恐らく来られないので……。何かやりたい競技はある?」

 啓志が聞いていたやり取りはそこまでだった。まだ近くにいた真下に声をかける。

「松田先生って体育の?」
「えぇ、ご家族の不幸があって三週間は休むって聴いていたんだけど、昨日からは無断欠勤みたいね」

 呆れたと言わんばかりの表情で答える真下に、啓志は質問を続ける。

「以前にもこういうことってあったんですか?」
「いいえ、風邪で休むことはあったけど、さすがにサボりは……。あまりこういうことは言いたくないけど、そもそも三週間も休むのもちょっと長い感じがしたのに……ねぇ」

 啓志の質問に驚いたのか、珍しく真面目に思案して答える。最後に愚痴を含めるのを忘れないあたりは流石といったところだが。啓志はこの答えで何か糸口を掴んだようにニヤッと笑うと、高らかに宣言した。

「三年A組若竹啓志、本日は欠席させていただきます!」
「え、ちょっと!?」

 突然のサボり宣言に、真下は立ち上がって職員室の外まで啓志を追いかけたが、途中で机の角に足を打ち付けたのが相当痛かったのだろう。しゃがみこんでつま先をさすっている。真下の追跡はここまでのようだ。

「二年の高宮夕姫さんも、ちょいとお借りしますので!」

 すでに遠くにいる真下に聞こえるように話すと、階段を下っていった。残された真下は足の様子を確認しながら、やれやれと呟いて職員室に戻ると、ホワイトボードの欠席者欄に二人の名前を追記した。職員室に佐藤が姿を見せたのは、そのすぐ後のことだった。

◆◆◆◆

「高宮くん! 行きましょう!」

 突然教室に侵入してきた先輩の挨拶抜きの強引な誘い。全くもって、迷惑以外の何物でもない。

「あ、先輩。昨日お預かりしたハンカチを……って、ちょっと、どうしたんですか? 行くってどこに?」

 クラスメートの数人で話していた夕姫は突然のことに状況が飲み込めていないようだが、当然、そんなことを考慮に入れる彼ではない。

「すみません。お借りしますね」

 夕姫の質問には一瞥もくれず、教室に入って彼女の近くに座っていた女子生徒たちの中の、彼女のツインテールを触って遊んでいた女子にそう言うと、夕姫の肩をちょんちょんとつついて立ち上がるように促した。

「あぁ、良いですよー」

 声を掛けられた女子は、ツインテールをクルクル回しながらあっさり了承すると、手を振って送り出そうとしている。周りにはクスクスと笑う声や、二人の関係性を勘違いしているような噂話をする声が広まっていった。

「理解の早い良い友人を持ちましたね。では高宮くん。急ぎましょう!」

 満面の笑みの彼に、膨れっ面で立ち上がる夕姫。最終的には全員に送られる形で教室を後にした。濃紺のハンカチと共に送りつけられた嵐のような抗議は、帰りにカフェでケーキをおごる約束をすると途端に収まったということだけ、お伝えしておこうと思う。

◆◆◆◆

「本当にこっちなんですか?」

 二人は守衛に声をかけられる面倒臭さを考慮して学校を裏門から抜け出し、近くの住宅街に来ていた。啓志は自身の手帳に目をやって頷く。

「えぇ、そのはずですよ。色が奇抜なのですぐに見つかるという話も聞いてます……し」
「……これはすごいですねぇ」

 黄色い壁に青い屋根。目の前に飛び込んできた鮮やか過ぎる色彩に感動以外の理由で言葉を詰まらせる。駐車スペースには赤いスポーツカーが停まっていた。車には手入れが行き届いているようだが、庭の雑草は放っておいているようで、生え放題の伸び放題になっていた。

「さぁ、入りましょうか」

 立ち尽くしている助手を促すだけでなく自身にも気合いを入れ直すようにそう言った啓志は、先に雑草を踏みしめながら進み玄関に辿り着いていた。埃と塵が被っているインターホンを、恐る恐る押してみる。来客を知らせる無機質な音は確かに鳴ったが、しばらく待っても有機質な反応はない。試しにそっとノブを捻ってみると、抵抗なくすんなりと回った。

「おや、開いてますね」

 一度ノブから手を離し、とぼけた表情で言う啓志に対して夕姫は、

「入らないですよね?」

 と、止めに入る。残念ながらその言葉はリアクション芸でいうところの、絶対押すなよ、に相当する解釈をされてしまったようで。その言葉が言い切られる前に、啓志は再びドアノブに手をかけた。

「人命のためです。きっと」
「いやいやいや。きっと、って何ですか」

 もはや苦笑いすらうまくできないようで、何とも形容し難い表情になった夕姫。これ以上の引き留めは効かないということは経験上、よくわかっていた。できるのは彼が暴走しすぎないように見ていることしかないということで、諦めて彼に付いていくことにしたらしい。

「松田先生! ご在宅ですか!?」

 啓志の声に返事をするものはおらず、二人の耳に届いたのは静寂のみ。なにやら呟きながら扉を開ける啓志。大方、仕方ありませんね、とでも言っているのだろう。

「失礼しま……」

玄関に入った啓志は、言葉を失った。目の前に飛び込んできたのは、外観の色彩以上に異常な光景。ただ部屋が汚いのではない。壁一面に誰かの写真が貼り付けられていたからだ。

「これは……どなたでしょうか?」

 続いて入ってきた高宮は、ポツリとつぶやいた。確かに被写体の首より上の部分は、写っていないか破られているかのどちらかだったので、それが誰かは分かりにくい状況になっていた。

「僕は脇の部屋を見てきます。高宮くんは、そこの奥の部屋をお願いします」
「わ、わかりました」

 写真にばかり気を取られていてもしょうがない。啓志は、ドアの開いている奥の部屋を指差してみせた。夕姫はそれに頷きながら返事をして進んで行く。下唇を噛みながら、少しずつ。

「松田先生! いらっしゃいませんか?」

 呼び掛けながら脇の部屋のドアノブを捻る。しかし、そこには松田の姿はなかった。テレビとベッドは確認できたので、恐らく寝室なのだろう。部屋の中に進んでいき電気を点けたが、見てすぐに注目する対象になりそうなものは何もなかった。その時、奥の部屋に向かわせていた夕姫から呼び掛けられ、啓志は部屋を後にした。

「先輩! これ……」

 夕姫の少ない言葉に、細かいことを尋ねることはしなかった。いや必要なかった、と言えるだろう。啓志の目の前には、整った机の上にあるA4サイズの紙。この荒れ果てた部屋の中では綺麗な状態の物の方が違和感があり不自然に映る。
 パソコンで入力され印刷された文字でそこにつづられていたのは、一連の通り魔事件の犯人が自分であること。そして、今日最後の犯行を行うということ告白する文章だった。

「この『今日』というのは、昨晩のことなんですかねぇ」
「いや、まだわかりません。これが松田先生ご自身が残されたものなのかも、決まったことではありませんから」

 状況的には間違いなく松田を疑うべき状態なのだが、佐藤の話を聞いてからここまでに至る流れがあまりに綺麗にはまりすぎている。

「まぁ、警察は呼ぶべきでしょうね」

 啓志はスマホを制服の右ポケットから取り出すと、すぐに電話をかけ始めた。

「あ、父がお世話になっております。若竹探偵事務所の若竹啓志と申します。宮越さんはおられますでしょうか?」

 電話先から保留音が聴こえてくると、まだ何か見つけようとごそごそしている夕姫に、その辺は警察に任せますから、と呟く。啓志の声に、夕姫はすぐに手を止めてからスマホを手に取り先ほど見つけた文章をカメラで撮影した。

「あ、宮越さん。こんにちは。父から連絡が来ていますよね? 今からメールで住所送るので来てください。よろしくお願いします」

 保留が解除された途端にまくし立て、電話に出た宮越という名の刑事は一言も発することなく通話を終えることになった。もっとも、スマホからは電話に出たばかりの宮越のものと思われる『ちょっ!』という言葉は漏れてきていたが。

「そのうち変な刑事が来ますので、外で待っていましょうか」
「は、はい」

 何事もなかったかのように移動しようとする啓志。恐らく、変な刑事という言葉にひっかかりながらも後ろに付いて外への移動を始めた夕姫だったが廊下でピタリと立ち止まると、スマホのカメラで壁に貼られた写真群の写真を撮り始めた。

「だれかはわかりませんが、ヒントにならないとは言い切れませんからね。高宮くんにしては上出来ですよ」

 スマホを仕舞いながら少し自慢気に自分を見てきた夕姫に彼なりの誉め言葉を掛けた、のかは分からないが、彼女は不満そうにはしていないので、あれで良かったのだろう。
 それにしても、と言いながら松田の家に目をやる。

「これが本当に松田先生のものだとして、彼は今どこにいるのでしょうね」

 佐藤の言葉がどれほど信頼できるものかが分からない以上、推理と呼べるレベルのものはまだできない。しかし松田が悪人であれ何であれ、その身に何も起こっていないと考えるのはあまり現実的ではないだろう。怪我をしてどこかに隠れているのか、それとも、すでに。

「いずれにしても、早く見つけないといけませんね。一年生にわざわざ職員室まで訪ねさせたのに不在だった点は謝罪させないといけません」
「そこですか。まぁ、確かに職員室に来ていないのはちょっと可哀想ではありますけど」

 電話から十五分程して、一台の白い乗用車が来た。そこから降りてきたオールバックで紫色のスーツを着た、標準より少し低い身長の男性が電話で宮越と呼ばれていた人らしい。
 本人は非常に不満そうだが啓志は意に介していないようで、そのまま今回のことのあらましを話していった。一通り話が終わると宮越は電話で鑑識を呼び、やれやれ、とため息をついた。

「それで、そこのお嬢さんは助手さんかい?」
「あ、は、はじめまして。高宮夕姫と申します。お世話になります」

 宮越に話を振られることを予期していなかったのか、少し慌てた様子で返答する。深いお辞儀に彼も会釈を返して右頬を掻きながら続ける。

「お世話にはならん方が良いと思うがな。……まぁ、細かいことは良いか。佐藤先生とやらに話を聴きたいが、生憎一人で来ちまったからここを調べる為に鑑識を呼ばにゃならんし、報告を兼ねて一度署に戻らないといかん。その間、一緒にいるなりして待ってもらってくれないか?」
「はい。わかりました!」
「それでは、また後で。行きましょう、高宮くん」

 世話にならん方が良い、の件が夕姫にはピンと来なかったことに少なからずダメージがあっただろうが、夕姫に話してから啓志を一瞥した宮越は、彼の言葉に無言で頷いて車に戻った。

◆◆◆◆

 学校に戻ってきた二人は、職員室の前に立っていた。参考までに述べておくが、今は二時限目の授業中である。

「失礼します! 佐藤先生。いらっしゃいますか?」

 啓志の声に教員たちの目が注がれる中、自席から足早に近付いた佐藤が強い語気で話す。握られた拳は小さく震えていた。

「何で無茶なことをするの? あなたたちはまだ子供なのよ! それに……」

 佐藤に糾弾された夕姫は赤べこよろしく頭を下げているが、啓志は佐藤の目を見据えたままでいた。思わず佐藤の言葉が詰まる。彼の堂々たる姿は昨日初めて依頼内容を聞いた時のものとはまるで異なり、事実を求めることを生業にしている探偵のそれだった。

「松田先生の家に行きました。彼が関わっていることは間違いないと思いますが詳しくは警察が今、調べてくれています。それにしても、探偵が事実に近づいてはいけないんでしょうか?」

 啓志の言葉に少し目をそらす佐藤。職員室を一瞥してからもう一度二人の方を向いた。佐藤が聴く態勢に入ったことを見て啓志は言葉を続ける。

「まぁ、いいですけど。私たちも、学校を抜け出したことは申し訳ないと思っています。……それで、警察の方が先生に話を聞きたいとのことでした。どこか空いている部屋を取ることはできますか?」
「……わかったわ。ちょっと待ってて」

 湯呑みで緑茶をすすっている教頭の方に足を向け、頭を下げる。教頭は少し寂しい頭部を右手で掻きながら予定表に目をやる。そして、えぇと、と呟きながら立ち上がって壁際のキーケースに手を出し、一つの鍵を佐藤に渡した。再び頭を下げて謝罪する彼女に、教頭は笑顔で応える。
 それから、室外で待っている二人に目を向けて口を開いた。

「探偵さんたち。私たちは彼女の潔白を信じたい。……佐藤先生を、よろしくお願いしますよ」
「えっ!? は、はい!」
「お任せください」

 夕姫は思いがけない教頭の言葉に狼狽える。それとは対照的に啓志は胸を張って自信満々に答えて見せた。彼のどこから湧いてくるとも知れない自信の根拠や信頼性はさておき、教頭の言葉は学校での彼らの行動の免罪符となるに違いない。二人は足早に職員室を出た佐藤と共に、一階上にある会議室に向かうことになった。

「あの、ごめんなさい。巻き込んだのは私なのに何て失礼なことを……」
「いえいえ。先生のおっしゃりたいこともわかりますが、良いんですよ。これは、既に私の事件でもあるんです」

 大きな問題に生徒を巻き込んでしまった罪悪感や、それに向き合った努力を否定してしまったことを謝る佐藤だったが、それはすぐに啓志に否定された。彼にも、巻き込まれたというよりも自らそれに飛び込んだと言う感覚があるのだろう。佐藤の方を見ることもなく啓志は歩を進めて行く。その言葉を受けて一瞬立ち止まった佐藤だったが、後ろから夕姫の左手に背中を押されそのまま進んで行った。

「昨日も言いましたけど、大丈夫ですよ。先輩がなんとかしてくれますから」
「……ありがとう。二人の話はまた聞かせて」
「ふふ、この件が無事解決してからで良いですか?」

 先を行く啓志に聞こえないように、小声で話す二人。会議室の前に到着して振り返った啓志は、不思議そうに尋ねる。

「なんだか楽しそうですね」
「女子の会話に踏み込んだらダメですよ」

 ぎこちなくウインクしながら、夕姫はそう話した。その言葉を受けて佐藤を一瞥してから、

「女子、ねぇ」

 と呟いてしまった啓志が直後に針のむしろ状態になったことを、皆様にお伝えしておこうと思う。
 失言から十分。彼は宮越からの着信に助けられる形になる。ズボンの右ポケットから取り出し、振動し続けている着信画面を見せてどうにか許しを得た啓志は、正座を解いて立ち上がり通話を始めた。
 左に夕姫、右に佐藤も来て並んで立ち、聞き耳を立てている。この構図は両手に花というべきか両手にいばらというべきか。いずれにせよ啓志の置かれた状況は良好とは言えなさそうだ。

「宮越さん、ありがとうございます」
「ん? なんの話だ。今から世話してやるんだから、そんな言葉は終わってからで良いだろう」

 当然の疑問を咳払い一つで誤魔化し、左右から、特に右からくるジトーっとした視線に、らしくなくうっすら汗をかきながら啓志は話を続けた。

「学校の厚意で会議室を借りることができました。目立つことは避けて欲しいので、できるだけ地味な車で裏手の門から入ってきてください。よろしくお願いします」
「了解した。会議室は何階かな」
「それは事務室で聞いてください。どうせ事務室で許可証をもらわないとなので」
「そうか、わかった。では後ほど」

 通話を終えスマホを元のポケットに戻した啓志は、会議室の一番奥にある列の前から二番目の椅子に腰掛け、目を閉じた。あっという間に取り残された二人はお互い見合わせてため息をつき、啓志の対面に夕姫、その右に佐藤が座って宮越の到着を待つことになった。

◆◆◆◆

 宮越が到着したのは、それからさらに二十分後。軽快なノックの音に三人が目を向けると、鮮やかな紫色のスーツを着た低身長の男が会議室の入り口に立っていた。

「宮越さん。何か分かりましたか?」
「こんにちは。宮越さん」

 先ほど会った夕姫と旧知の仲の啓志は、何の違和感もなく彼を迎え入れたが、初見の佐藤にとっては唐突に出現した刺激物だったようで、目を丸くして入り口にいる生物を眺めていた。
 迎えてくれた二人の先に佐藤のそのような様子を見た宮越は、二人の間を通って彼女に近づき会釈をした。

「あなたが佐藤さんですね。薪条署の宮越と言います。早速ですが、あなたの経験したことを順を追って話していただけますか?」

 独特な見た目とは違いテンプレの挨拶と質問をしてくる宮越に、佐藤は脳内処理が追い付いていないようだ。事の経緯を要領を得ない言葉で繋ぎながら何とか話していく。
 佐藤が説明を終え、宮越がしばらくの沈黙の後に口を開こうとした時、どこからか男の叫び声が聞こえた。

「何かあったんでしょうか?」
「只事ではなさそうですね」
「今の声は、校長先生……! 何があったのかしら」

 心配そうに呟いた夕姫の言葉に啓志も同調し、佐藤は声の主を予想して動揺している。

「佐藤先生。校長室は、一階かな?」
「そ、そうです」

 宮越は佐藤に感謝を述べてから視線を天井に向け、一瞬思案するように右手で後頭部を触った。

「探偵君、付いてきてくれ。女性陣は、少し待っていてくれるかな」
「高宮くん。佐藤先生を頼みます」

 素早くその場を仕切って走り出した宮越に、啓志も夕姫に言葉をかけてから返事を待たずに駆けていった。

◆◆◆◆

 脱兎の如く駆ける二人が校長室に辿り着いた時には、すでに複数人の教員や事務員が集まっていた。すみません、と繰り返しながら人をかき分け進んでいく。その先には。

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