『探偵と助手の事件簿~街の通り魔と消えた教師』第三話


「校長先生!? 救急車は呼びましたか?」「今、電話しました。すぐ来てくれると」

 机に突っ伏している校長の頭部からは血が流れており、意識はないようだ。啓志の問いかけには近くにいた青いツナギを着た事務員が答える。
 騒がしいわけではないが騒ついている空間。宮越が野次馬を見渡して言った。

「すみません、警察のものです。落ち着いて、少し離れてください」

 胸ポケットから取り出された身分証を見て、教員たちは少しだけ後退する。とはいえそれは、彼の奇抜な服装もあってのことかも知れないが。
 後退を確認した宮越は校長の元に近づく。すでに近くにいた啓志は、青いハンカチを咬ました状態で、丸められた紙を手にしていた。

「それはどこに?」
「校長の手元に転がっていました。宮越さん、開いてもらえますか?」

 啓志の自由な行動に盛大にため息をついた宮越は、ズボンの後ろポケットから白い手袋を取り出してリクエストに応えてみせる。中には、隣県の住所と日付が書いてあった。すかさず啓志が撮影の許可を取り、スマホに収める。

「これは誰が残した者なんでしょうね」
「そうだな。それ次第でこの遺留品の意味が変わってくる」

 二人が思案していると、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。立ち尽くしていた教員たちのうち、数人が救急車の誘導に向かった。残っている教員に宮越が言う。

「ご心配のことだと思いますが、ここは離れてください。最初に発見された方は残って詳しい話を聞かせていただきます」

 啓志と宮越は校長が救急隊員によって運ばれた後、再び会議室に戻った。夕姫は二人と入れ替わる形で校長の運ばれた病院に向かった。何か話が聞けたら聞いて来て欲しいという啓志のリクエストにサムズアップで答えて見せたが、内心は不安であるに違いない。その証拠に、腕と足の動きが揃ってしまっていた。

「さて、探偵。私は彼女を連れて行くが、君はどうする?」
「そうですね。あの住所と日付が気になります。あの日付に該当するもので怪しいものがないか、学校を調べてみようかと」
「そうか。何かわかったら連絡してくれ。いつでも力になろう」

 ビジュアル以外は男前な彼の言葉に啓志はお辞儀で応える。素直に感謝されるとは思っていなかったのか宮越は目を丸くして探偵を見ていたが、佐藤から早く連れて行ってもらうように声を掛けられて間抜けな声を出し、我に帰った。ふふ、と笑みを見せた啓志は佐藤に声をかける。

「ご覧のとおり、警察としては優秀なんです。安心して待っていてください。……結果として、あなたの罪を暴くことになるかもしれませんが、いいですね。先生」
「ええ、それは構わないわ……」

 廊下の角を曲がる時、こちらを一瞥した佐藤の目は少し強ばって見えた。
 二人を見送った啓志は早速職員室に行き、暇そうに珈琲を啜っている学年主任に声をかけた。啓志の声に自席からだるそうに立ち上がり、入り口まできた彼女は、右手に持っていた個包装のチョコレートを黙って胸ポケットにねじ込み歩き出す。突然のことに呆気に取られていたが、真下の人差し指がクイクイと動くのを見て横に並んで歩き出した。

「助手さんはどうしたの?」
「彼女には別の任務をあげました。まぁ、病院であれば良い時間に帰れますし」
「へぇ、優しいじゃない。それで?」

 真下は渡り廊下の前の通路で立ち止まり、問いかける。曖昧な問いかけにまた困惑する啓志だったが、そもそも用件があって訪ねたのが自分であることを思い出したのかおもむろにスマホを取り出し、先ほど撮った画像を見せた。

「恐らく、この学校に関する何らかの数字だと思うんですが、調べさせていただくことは可能でしょうか?」
「2020年9月15日。10月20日……どっちも火曜日ね」
「火曜日は何かあるんですか?」

 自身の携帯を見て呟く真下に、啓志はさらなるヒントを得るべく質問を続ける。うーん、と唸りながら思案する真下だったが、やがて何かを思い出したように一度手を叩いた。

「火曜日は前週の会計を再確認して記録する日ね。私も一度当番になったんだけど、あれ大変なのよ」

 積年の恨みと言わんばかりの苦々しい表情を他所に、啓志は核心に近づこうと努める。

「それって、事務の仕事なんじゃないんですか?」
「いや、随分前に不正があったからって何年かに一回交代するようになってね。もちろん何人かで分担するんだけど」
「2020年は、誰が担当だったんですか?」
「それは記録を見ないとわからないけど……保管は事務がやってくれているから見てみる?」
「ぜひ、お願いします」

 真下の後ろに付いて、階段を降りる。先程事件のあった校長室の前を過ぎ事務室の前に立った時、真下が突然振り返った。啓志の胸ポケットを指差してトントンと叩くそぶりを見せる。

「今から頭使うんだからチョコレート、食べな」「あ、はい。いただきます」

 ポケットから出したチョコレートを口に放り込み、包み紙を今度はズボンの右ポケットに仕舞った。それを確認した真下は微笑み、彼の両肩を揉んで言った。いつもと違う慈愛に満ちた態度に啓志は戸惑いつつも返事を返す。

「じゃ、行こうか」
「は、はい!」
「こんにちは。探偵が調べたいことがあるって言ってるんだけど、ちょっといいかな?」

 事務室のドアを豪快に開け、返事を待たずズカズカと入っていく真下。いつもの学年主任のそれに戻った彼女の後ろ姿に恐らく安堵しながら、啓志も後に続いて入室する。
 事務室には、作業中の男性が一人と女性が二人いた。そのうちの男性が入ってきた二人に応対しようと立ち上がり、こちらにどうぞ、と部屋の奥の黒い合革のソファに招いた。

「若竹君だね。お噂は、かねがね伺っております。主に猫の件で」
「それは、どうも」

 ソファに浅く座った啓志は、自身の右側に座った主な依頼主を一瞥して答える。当の本人はどこ吹く風で、出された珈琲にスティックの砂糖を二本入れてスプーンでかき混ぜていた。それで、と言う事務員の男性に、啓志はスマホを取り出して用件を説明した。

「なるほど。それで記録を調べたい、と」
「えぇ、そうなんです」
「少し待ってください。県に確認をとってからでも?」
「やっぱりそうなりますか。では警察に令状を出してもらいます」

 事務員の立場としては、あぁそうですか、と資料が出せないのは分かりきっていた。ただ、その無意味に思える『手順』を踏むことはどうしたって必要らしい。

「分かりました。私が、該当する日付の資料を確認した。そういうことにしますから、若竹君は後ろからこっそりみてください。いいですか。あくまでアクシデント、ハプニングとしてですよ」

 少しだけ歯を出して笑いながら話す事務員に、啓志は乾いた笑い声を微かに出してみせた。ふと、女性の事務員の方に目をやると、二人とも目をキラキラさせながらファイティングポーズをとっていた。どうやら頑張れということらしい。
 揃いも揃って、この学校のコンプライアンスはどうなっているんだと問題提起したいところだが、そんなことをすると調べ物が進まないので啓志はスルーすることにしたようだ。

「じゃあ、鍵をとってきますね」

 男性は珈琲を持ってきたトレーを脇に抱え、事務室の奥の小部屋に入る。真中と啓志がコーヒーを飲みながら少し待っていると、金属のぶつかる音を立てながら鍵箱から目当ての鍵を取り出して返ってきた。

「さて、資料の整理をしないとな」

 わざとらしい独り言である。この演技が必要かどうかで言うと恐らく必要ないのだが、本人が嬉々としてやっているようなので放っておいてあげるのが優しさというものだ。そういうふうなことを昔誰かが言っていた気がする。

「えーと、2020年の下半期の資料は、っと。あ。ここか」

 分厚いA4サイズの水色のファイルを取り出し、自席に戻る。ちょうど二人が座っているソファを背にする位置の席が彼の席らしい。出前でも頼んだのだろうか、咖喱屋のパンフレットをハジに寄せてからファイルをパラパラとめくって目当ての日付を探している。しかし、あれ、と呟いた彼の手がピタリと止まり、ソファの方を振り返った。顔色が芳しくないことが事態の大きさを物語っていた。

「あ、ありません」
「は!?」

  立ち上がってファイルに目をやる。事務員の言うとおり、確かに該当する日付の資料が収まっているべき場所には何も挟まれていない。それでも、当時は学校の承認印が乾かぬうちに挟んだのだろう。赤いインクがファイルの内側に滲んでいることは、確かにそこにそれがあったことを証言していた。

 予想だにしない事態に見守っていた女性職員二人も空っぽを覗き込んで目を丸くしている。そのうちの一人、ストレートな黒髪を肩の下あたりまで伸ばしている黒縁眼鏡をかけてた職員は、男性に対して口を開いた。

「高橋さん、流石にこれは県に報告しないとまずいですよ」
「そう、ですね」

 蒼い顔のまま受話器に手を掛ける高橋だったが、その手を啓志が制する。見上げる男性に対して、啓志は黙って首を横に振った。

「まずは深呼吸して、報告することを教頭に伝えてからにした方が良いと思います。それに、報告する内容をメモか何かに書いておかないときっと混乱してしまいますよ」

 学生の落ち着き払った言葉に小さく頷いて受話器から手を離した。目を閉じ深呼吸をした高橋は、湯呑みに入った緑茶を飲み干して立ち上がった。真下はその後ろから肩を叩き、啓志に渡したチョコレートと同じものを差し出す。女性二人にも同じものを渡し、心なしかドヤ顔をしていた。

「こう言う時ほど落ち着いて構えないとね」

 愛猫を定期的に逃してしまい捜索を依頼する人間はこう言った時でも落ち着き具合が違う、と言うわけではないのかもしれないが。不手際にも慌てないことはそれなりに必要なことなのかもしれない。チョコレートを口に入れた三人は、心なしか深く呼吸をできるようになった。

「ありがとうございます。真下先生」
「こういうのはお互い様だからね。それに、盗っていったのか処分したのか知らないけど、悪いのはそいつなんだから気にしなくていいのよ」

 流石に気にはしたほうがいいと思うが、確かに悪いのは資料を葬った人物であることに間違いない。今の彼らを励ますのは余計な論理ではなく、こんな無責任な言葉なのかもしれない。起きたことは一つだが、受け取り方は個々の人の自由であろう。

「あの、教頭先生に報告してきます」

 高橋は立ち上がると、ゆっくりと事務室を後にした。啓志は真下に声をかける。どうやら高橋の付き添いを依頼したようだ。彼の肩を叩くと、走って出ていった。

「さて、どこに隠したんですか?」
「え?」
「な、何の話ですか?」

 啓志の質問に驚いた様子の二人。突然矛先を向けられたのだ。無理もない。二人の反応にニヤついた啓志は、先ほど高橋に呼びかけた女性の横まで移動し、エナメル質の水色のバッグを指差した。

「では、この封筒は何でしょうか?」

 啓志の視線の先には、バッグから顔を出した茶封筒があった。高そうなブランド物のそれには全く似合わない茶封筒だ。

「え、これは……」
「誰に頼まれたんですか?」

 茶封筒の中身は恐らく現金だろう。誰かから依頼されてファイルの中身を受け取った。実行は高橋が咖喱のデリバリーを注文しに部屋を出ている間に、といったところだろう。普通は自席で電話すれば済むが、ここは事務室であり来客も少なくはない。無神経な人はともかく高橋なら、出前を頼む電話をしているところはお客様には見せないだろう。

「なんでそんなこと」
「分かっちゃうんですよ。入室した時に、ここにいない人の香りも残っていましたし」
「……もう、何で? こんなに早く来られるなんて思わなかった」
「すみませんねぇ。でも、今このことが公になると本来追いたかったものを逃す可能性もありますから……」

 啓志の発言に分かりやすく狼狽えた女性。その言い方からすると、誰かに今回の件を依頼されてからほとんど時間が経っていないようだ。

「でもね。本当に知らない人だったの」
「そう、ですか」

 女性の言葉に啓志は少し言葉を詰まらせた。知らない人となると、その意図を探るのも難しくなる。ただ、通り魔事件が起きるなどしている状況を鑑みて今は学校の関係者以外は簡単に校門を潜ることすらできないようになっているはずだ。
 門の前には守衛が二人雇われている。裏門はあるが、今日に関しては複数回啓志たちが利用しており、事件の直前には宮越も通っている。と、なると。

「学校の関係者、でも事務員が知らない人……」

 啓志が呟いた通りの人間が、それを行ったと考えるのが妥当だろう。

「知らないと言えば、探偵ちゃんは私たちの名前も知らないよね?」

 それまで蚊帳の外に置かれていたもう一人の事務員が、明るめの茶色い髪を指でくるくる巻きながら尋ねる。その言葉は啓志にとっての大きなヒントになったようで。

「あの、ここの事務員で青い作業着の事務員の方はおられますか?」
「青? いや、どうだろう。うちは特に指定がないけど青は記憶にないなぁ。そんな人いる?」
「んー、知らない。で、私たちの名前わかるの? わからないの?」

 啓志が思っているのは、あの事務員らしき男だ。事件の起きた校長室で状況を説明してくれた、あの男。事務員が事務員の服装を覚えていないということは考えにくい。
 作業着をいくらか持っているとしても、青の時だけ二人とも見ていないということはないだろう。一方で、それが本当は事務員ではないとすれば、一体どうやって学校内に侵入したのか。思案していたが茶髪の女性がどうしても名前のことを言うので一旦その話題を終わらせることにしたらしい。

「ごめんなさい。お名前をお聴きしても?」
「私は秋田美世(あきた みよ)。で、こちらの隠しちゃった系のが武田彩月(たけだ さつき)先輩」

 隠しちゃった系、というファニーな表現をするあたり秋田には、この状況の大変さがいまいち伝わっていないように思える。若さがあからさまに悪い方向に出てしまっていた。啓志は軽く咳払いして二人を見据えた。

「では、秋田さん、武田さん。本日の学校訪問者の記録を見せていただくことは可能でしょうか?」
「はい。これね」

 武田に渡された、受付の近くに置いてあったオレンジ色のバインダーに挟まれたB5サイズの紙には、訪問者の名前や目的について書かれている。外部の人間が校舎に正攻法で入るためにはここに必要事項を記入しなければならないことになっていた。まだお昼前だが、表によるとすでに十名ほどの来校者がいるようだ。

「こんなに来るもんなんですね」
「そうねぇ、今日はちょっと多い系かもね」

 象のデフォルメされたキャラクターのついたボールペンをクルクルさせながら、秋田が答える。武田はそんな秋田を一瞥してから啓志の方を向いて口を開く。

「この中で定期的に訪問しているのは、清掃業者の榎本さんと園芸店の木下さんね。あとの人はそこまで回数来られていないと思うわ」
「清掃と園芸は外注なんですか?」
「事務でできることには限りがあるから、難しいところはお願いしたり、やり方を教えてもらったりしているの」
「なるほど……。この表、撮影しても?」
「構わないわよ」

 言われた二人の名前に画面上で斜線を引いた。武田のお陰で、当たらなければならない件数は少し減少したが、依然として八件残っている。ここは移動手段で勝る大人の力に頼らざるを得ないだろう。啓志は撮った写真をそのまま宮越に送り、『上半分の四名について学校に訪問した事実の確認をお願いいたします』という文を添えた。

◆◆◆◆

 警察署の会議室。振動したスマホを確認した宮越は、軽い溜め息をついて近くにいた佐藤に声をかける。

「探偵たちは頑張っているようだよ。私も、少し手伝うことにする。えぇと、三島くんだったか。私は出るので、彼女の相手を頼むよ」
「はい。かしこまりました」

 宮越に声をかけられた三島という名の女性刑事は、佐藤に会釈すると宮越の座っていた椅子に座った。

「彼の方は万事順調なようですよ」
「そう……」

 言葉は交わすものの、交わることのない二人の視線。少しだけ開けることのできる窓から入ってくる初秋の風が二人の髪を僅かに揺らしていた。しばらくの沈黙の後、三島は立ち上がり佐藤に尋ねる。

「珈琲かお茶飲みますか?」
「あ……じゃあ珈琲のおかわりを頂こうかしら」

 控えめに差し出されたカップを回収し、ポットに入った珈琲を注ぐ。その洗練された所作に佐藤は思わず見入っていた。カップが珈琲で満たされると三島は満足そうに口角を少しあげ、佐藤の元に戻ってきた。

「砂糖やミルクはどうされますか?」
「このままで大丈夫よ。ありがとう」
「ところで……」

 二の句を口にしようとした三島だったが、途中で口を閉じた。その視線は会議室の入り口に向いている。三島に倣って同じ方向に目を向けてみる佐藤だったが、そこには何もなかった。

「どうしたの? 何かあった?」
「いえ、すみません。気のせいのようです」
「そう……」

 三島を見ながら首を傾げる佐藤。三島の次の言葉を待っていたがなかなか出てこないようだ。当の本人は未だに会議室の入り口を凝視している。刑事の勘、というものだろうか。気になるようで佐藤の視線に気づいていない。ついに見かねた佐藤が、三島の肩を叩く。

「そんなに気になるなら見に行ってみたら?」
「……それもそうですね」

 立ち上がってそろりそろりと入り口に向かい、扉を一息で開ける。勢いに任せて廊下まで出ていった。少し開けられた窓から入ってくる風が、三島の肩下まである黒髪を揺らす。

「どうしたんだ。何かあったのかね。廊下は静かに、な」
「あ、副署長。お疲れ様です。失礼しました」

 廊下に出た三島に声をかけたのは、階段を降りてきた副署長だった。年齢相応の白髪を短く整えている彼に慌てて敬礼する三島は、それを手で制された。室内で座っている佐藤を一瞥してから、副署長は三島に小声で話しかける。

「彼女のことなんだが、すでにマスコミが嗅ぎ付けつつあるみたいだ。対応はこちらでするが、三島くんも知らないということで通してほしい。良いかな?」
「かしこまりました。善処します」

 三島は髪を整えながら、表情を変えることなく副署長に答える。善処という言葉に少し戸惑いつつ、副署長は室内を見回して三島に尋ねた。

「宮越くんは、外出中かね?」
「え、はい。若竹さんのご子息に声をかけられたようですよ」
「なるほどな……。まぁ、とにかく頼んだよ」

 三島の肩をポンと叩いて、副署長は元来た道を戻って行った。廊下には副署長が身につけている匂い袋の香りがほのかに残っている。姿が見えなくなるまで見送ってため息をついた三島に、それまで黙っていた佐藤が呟いた。

「何かあったの?」
「いえ、私の勘違いだったみたい。ごめんなさいね」

 再び椅子に戻って、珈琲を口にした三島。佐藤の方に向き直って、口を開いた。

「彼は、元気ですか?」
「えぇ、今頃は空の上なんじゃないかしら?」
「空?」
「あ、飛行機って意味でね」

 二人の間で共有されている『彼』が何者なのかはわからないが、二人が知り合いなのは間違いないようだ。先ほどまでの沈黙は解れ会話が続く。それにしても、話題に出されている彼は今頃くしゃみをしているに違いない。そして話題は移ろい。

「そうそう探偵さんはね……」

◆◆◆◆

 学校を出た啓志は、コピー機のレンタル業をしている会社の前にいた。正確に書けば追い出されて会社から出てきたわけだが。もちろん、突然来た実績の少ない自称高校生探偵にまともに対応する会社の方がどうにかしているのだから、会社が悪いわけもなく。啓志もそこを織り込み済みで来ているに違いない。

「在籍しているかどうかくらい素直に教えてくれてもいいのに……」

 前言撤回。当然そんなことはなかった。いや、これまでの所作を見ていれば、むしろそれが自然だった。正義感は強くてもプライバシーやコンプライアンスに関しては突然野蛮な発想になる啓志のこの傾向は、ぜひ大人になる前に改めてもらいたいものだ。とはいえただ追い返されたわけでもないようで。

「まぁ、本人がいることは分かったし、良いか」

 そんなことを呟きながら、表の次の人物の所に足を向けた。が、三歩足を進めた所で立ち止まり、小さく肩を動かした。

「……風邪ひいたかな?」

 首を傾げながら再び歩き出した所に、次はズボンのポケットが震えた。ディスプレイに映る名前を確認してゆっくりと顔に近付ける。

「高宮くん。お疲れ様です。どうされましたか?」
『あ、お疲れ様です。病院の電話可能スペースからかけてるんですけど』

 電話を掛けてきたのは夕姫だった。しかも、先ほど啓志が軽く踏み越えたマナーを弁えている報告付き。これはもはや見透かされているようにしか思えない。流石の助手である。

「えぇ、何かありましたか?」
『校長先生の意識が戻らないんですけど、明日も出直して朝から付いていていいですか?』
「構いませんよ。私も明日は少し遠出しないといけないので引き続き別行動でいきましょう」
『ありがとうございます』

 啓志は夕姫の意向を肯定し、ついでに自身の予定も伝えた。主な用件を終えた二人の間に数秒の静かな時間が流れる。夕姫は、じゃあ、と言って電話を切ろうとしたが、啓志が引き止めた。

「あ、高宮くん」
『なんですか?』
「あの、巻き込んですみません。無理は、しないでくださいね」

 啓志から放たれた言葉がよほど意外だったのか、夕姫から、え?という声が漏れる。本人も慣れないことを言ったせいか、少し深めに呼吸をしていることが、夕姫の耳には伝わってきていた。意気に応え、夕姫も言葉を絞り出す。

『そんな、とんでもないです。やらせてください。私も先輩の力になりたいんです』
「……お礼は、今度直接言います。くれぐれも、安全第一でお願いします」
『はい。それでは』

 通話を終え、啓志は再び歩き出す。時刻は午後一時を回ったところだった。

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