小説【私の命はあなたの命より軽い】に見る、人間関係の難しさから、外野が苛立つことに思いを馳せる
私は子どもの頃から人間関係には割りと恵まれてきたと思っていて、当時、それは偶然の要素が多いとも思っていました。
まぁ、今でも半分はそうだと思っているのですが。
ただ、【私の命はあなたの命より軽い】を読んで、多くの我慢や許し合いの上にすべての人間関係が成り立っているということを思い知らされました。
いや、初めて知ったように書くのは正しくないですね。人間関係はそういうものだということに目を背けていたのにまざまざと見せ付けられた、という感じでしょうか。うーん、表現が難しい笑
ここからはちょっとだけネタバレ要素も含みますので、読む予定があって未読の方はここまでにすることをおすすめ致します。
また、かなり自分の意見が入っているのでご了承いただける方にお読みいただければと思います。
初の出産を間近に控えた主人公は、同時期に単身赴任を引き受けてしまった夫に辟易としながらも実家を頼ることになりました。
電話ですぐに受け入れてもらえなかったことに、彼女は1つ目の違和感を覚えます。
そして実家に近い新幹線駅に着いた時、迎えに来てくれない母に2つ目の違和感。
何度聞いても、誰もその違和感の理由を答えてくれない。こうして、違和感だけが積み重なっていき…。
という話の流れがありました。
フィクションなんですけど、こういうことってありますよね。この本の様にめちゃくちゃ重たい理由ではなくても、自分には教えてもらえない何かがあるってこと。
この作品の場合は初の出産を控えた主人公を慮ってのことでしたが、主人公の『知りたい』という思いが更に暴走していき最後のページのゾッとする終わり方に繋がっていると思うと、知らなくて良いこともあるというのは本当だなと感じるわけです。
親しき仲にも礼儀ありという言葉もありますが、それは誰もが持っている知ってほしいことと知らないでいてほしいことを大事にしてあげることも含まれると思います。そしてそれは最も親しき仲である家族にも当てはまるということになるでしょう。
この小説の家族に起きたことに関して言えば、家族だから100%理解し合わないといけない。何かあれば絶対に伝えないといけないという考え方は、ある意味傲慢だとも思うわけです。友達ならなおさらです。
確かに、子供を正しい方向に導くのは親の務めだと思いますし、親しい友達にアドバイスしたくなるのは分かります。でも、その結果としてどのような生き方を選ぶのかはその子供、その友達の自由です。
そうではないでしょうか。
そうであれば、自分の理解の及ばない決定をされて心を乱すのは正しいこととは言えないかもしれません。
もちろん犯罪など、人の道を外れることはあってはなりません。それは「自由」の範囲から外れているからです。
ただ、その範囲内で行われていることにとやかく言うのは、価値観の押しつけにならないでしょうか。
近年、有名人の道徳的な問題がやたら叩かれる傾向があります。
不貞が人の道から外れていないのかと尋ねられると、意見が分かれるところだと思います。
でも、そうだとしても関係ない人が首を突っ込みすぎている傾向があると、私は思います。
いや、それもまた自由だろうと言われるとそれまでなのですが。
生きづらい世の中になったと嘆く方が多い一方で、自らの心の傾向が、自らを生きづらくしていないか今一度考えたいものです。
ひとの失敗を見て考えるべきは、自分が同じ過ちを犯さないようにするためにやるべきことがないかということだと私は思います。
叱責は、近しい人が充分行っているはずです。
かなり話が逸れましたが、人間関係の難しさと昨今広く見られる自分の正義を振りかざすことの是非について、私はこの小説から考えたのでした。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。それでは。
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