見出し画像

Remember The「昭和の夏」

しかし、暑い。毎日飽きもせず暑い。家の中にいても暑い。あれ、この汗はホットフラッシュによるものか? いや、そうであっても暑い。ん? ってことは、他の人はこんなに暑くない? もう理由は何でもいい。とにかく暑い。

そんな時に思い出す光景がある。冷房が家にやってきたとき。確か「霧ヶ峰」だったかな。リモコンなんてものはなく、ぶら下がったひもを引っ張って「強・中・弱」のダイヤルを回す。ただそれだけなのに、扇風機を上回る涼しさに感動した。その頃は凄く暑くて28度だったように記憶している。

小学校の国語の授業で俳句を学んだとき、担任の先生(男性)が例として「クーラーに負けてたまるか扇風機」と詠んだ。今でも笑えてしまう。

そして枝豆。新聞紙にくるまれた半端ない量の枝付きのそれを、妹と一緒に一つひとつハサミで切り落とす。枝豆の枝は意外と硬くて、小学生の女子には難敵。しかもそれが終わらないと好きなテレビを見せてもらえなかった。大人になって枝豆の滋味を知るのだが、当時は枝豆を見るのは苦痛だった。

豆腐も私にとっては夏の風物詩だ。チャルメラの音が聞こえると、ボウルをもって外に出る(出される)。おじちゃんが自転車の荷台に積んだ大きな木箱を開けて「好きなの選んでいいよ」と言ってくれる。気持ちよさそうに水に浮いているお豆腐を2つ指さすと、おじちゃんがそっと取り出して、持っていたボウルに移してくれる。時々、おまけで油揚げやがんもどきを付けてくれた。あの頃、豆腐をこれ以外で買った記憶がない。

さらに思い出はシッカロールと続く。いわゆるベビーパウダーだ。お風呂上りは必ず粉の洗礼を受ける。私は太っていたこともあり、皮膚と皮膚の接点が多いため(⁉)汗疹が出やすかった。母に呼ばれて妹と2人並ばされ、パフパフと全身はたかれる。優しい母の手のぬくもり…なんて思う余裕はなかったが、顔まで白くなってそれが可笑しくて笑い転げていた。

思い出すとあれこれ出てきてキリがないが、今とは違う夏がそこにはあったように思う。束の間、暑さを忘れて微笑んでしまう時間である。


             ※前掲の写真はローマの「Altare della Patria」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?