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彷徨い
こんにちは、つららです。
突然ですが、最近日が暮れるの早くないですか?
午後のリモート授業が終わり、買い出しにでも行こうかな、と思って一日ぶりに外に出るともう薄暗くなっていて、瞬きする間に夕暮れを飛ばして真っ暗になっているような、そんな「冬」を感じることが増えてきました。
もう僕を守るものはないけれど
ところで、「季節が移ろう」以外にもう一つ、「日の長さが変わる」現象が起きる原因があることをご存じでしょうか。これは旅行をしたり大きな引っ越しをしたりした人はすぐに思い当たるかもしれません。そう、「緯度による気候差」です。序文が長いですね。
基本的に緯度が低いと日は長く、緯度が高いと日は短くなります。数年前に九州から東北への大引っ越しをしたわたしは、この「日の短さ」に戸惑いました。
帰り道のラーメン屋で早めの夕食を取っただけなのにもう外が暗い。朝刊の時間になっても日が昇ってない。なれない新生活が、日々のリズムすら取らせてくれない。かっこいい言い方をするならまるで世界から置いていかれたような感覚です。早く花譜の話がしたい。
電車の中じゃ
さて、中心街に向かう電車に乗っていると、学生服やスーツ、親子連れの姿が入れ代わり立ち代わり目に入ってきます。そんな景色をぼーっと眺めていると、先日花譜Channelで公開されたオリジナル曲「彷徨い」の歌詞がふと思い出されました。はい、やっと花譜の話です。
電車の中じゃ大人たちはスマホに夢中なのに
この曲を聞いてから電車ではスマホを取り出す手を抑えるようになった人も多いと思います。
カンザキイオリさんの曲と依さんのアニメーションとともに、成長痛を訴える花譜の声が心に迫ってくる素晴らしい曲です。
どうしても知れないことがある
この曲の中には
知らない街ばかりになって
埃が目の中に入って
ささくれがまた痛み出して
心細くなって 陽の明かりが邪魔をする
という小節が出てきます。私はこれを聞いた時「陽の明かりが邪魔をする???」と不思議に思いました。心細くなったのは眩しいから?それともまだ埃が取れないから?
カンザキさんの書く歌詞は、情景描写とともに難解な感情が織り込まれているのが味わい深くて大好きなのですが、このようにどうしてもスッと落とし込めない部分も多くて、歯がゆい思いをすることがままあります。
電車を降りたら
そんな中、目的駅についてホームに出た私は、エスカレータに乗りながらさっきふと見かけた看板のことを思い出し、違和感を覚えていました。また駅の話です。
青空の下を走る電車の大きな写真と共にその安全性を謳った文言が書いてある、何の変哲もないコマーシャルでした。電車を正面から見た四角い顔と一緒に、整備士さんや車掌さんの姿が写っていました。
しかし何かしっくりこない。むしろ一周まわって懐かしい気分さえする。少し考えて、私が今住んでいる街には地下鉄しかないため、屋外を電車が走っている姿はほぼ見れないことに気が付きました。そして懐かしい気分の正体は、わたしの地元にあった路面電車でした。
路面電車とは、高架ではなく車道の中央帯に地続きで敷いてあるレールの上を走るものです。珍しいんですねこれ。
ささくれがまた痛み出して
違和感の正体に気づいた私は、そしてもう一つ引っかかる部分を見つけました。それは看板の隅に書かれた街の名前でした。私が今住んでいて、日々利用しているこの地下鉄の管理元であるこの街の名前が記されていました。
写真はわたしが昔過ごした街の姿。しかし書かれている文字は、私が今過ごしている街の名前。
あそこにはわたしの家族が住む家も、通った学校も、遊んだ繁華街もあるのに、私一人だけがここで駅にいる。
数年前に感じた孤独、今も抱えている寂しさを突きつけられたような気がして、憂鬱になりながら乗り換えのホームへと歩いていると、急に先ほどの歌詞を思い出しました。
心細くなって
彷徨いで歌われている、花譜の自分自身の変化に対する戸惑い。それを誘発するのは何だろう、とずっと考えていたわけですが、その答えは、この「街に対する違和感」だったのではないでしょうか。
花譜は今でこそ「にほんのどこかにいる16さい」ですが、デビュー当初は「東北の何処かに棲む、何処にでもいるようで何処にもいない14才」でした。
東北から東京に連れてこられた年頃の少女。活動が忙しくなるにつれて東京で過ごす時間も増えて、東北より南に位置する東京の空は、おそらくそれまで長く暮らした場所より変に明るかったはずです。
花譜とカンザキイオリと楽しい会。
— PIEDPIPER/KAMITSUBAKI P (@PIEDPIPER2045) June 21, 2020
本格的なレコーディング作業はほんとに久しぶり過ぎる。
花譜の声成分はプロデュースサイドからみてもやはり不思議かも。
まだ気を抜けないですが、コロナによって失われた日常が徐々に戻りつつあります。
そして花譜は遂に一人でも東京に来れるようになりました。
そして花になった少女の、街からの帰り路、周りの人のしゃべり方、期待。
自分を取り巻くすべてが、どうしてそこにあるのか分からない。それに気づいてしまったら、自分すらどうしてここにいるのか分からなくなる。そんな誰もが抱える悩みのメカニズムが、あの歌詞に込められていました。
それでもいい。寂しさは思い出となるから
(以下は蛇足です。)
彷徨いにはほかにもいろいろな別れが詰め込まれています。スニーカー、ショートカット、雛鳥、花束、etc……
深化してもう戻れないはずの、喰らったはずの過去を振り返ってしまった花譜は、今後どうなるのでしょうか。
帰宅後に自室の棚で確認した花譜ファーストアルバム「観測」の寄稿文では、カンザキさんはこう述べていました。
(前略)僕は、命とか、憎しみとか、愛とか、社会性とか、心の汚さとか、大胆なアダルト感とか、ちょっと病み気味であったり、悲しさを帯びている曲が好きです。(中略)でも花譜にはそんなドス黒さはあまり表現してほしくないな…という気持ちがありました。(中略)いつか悲しみや社会へ感じる疑問を、等身大の気持ちで歌えるようになれたら素敵ですが、今は少女として、そして少女だからこそ叫ぶことができる”美しさ”を大事にしたい。(後略)
どうしても世界を知りたかった。
そして先日行われた不可解弐Q1では、発表されたシン・キョクの多くが、花譜、そして魔女ガールズたちの在り方や疑問を描いたものとなっていました。
後ろ向きになったかのように見えた花譜ですが、神椿市に集まった魔女たちと共に、むしろ自分だけの魔女の物語を歩き続けていたと言えます。
彷徨いは最後に
生涯を流離い
永遠を彷徨い。
どうしても世界を見たかった。
どうしても世界を知りたかった。
という歌詞で終わっています。
寄稿文でも語っているように、ほの暗い悲しさを滔々と謡っておきながら、それでも最後にわがままとも思えるような希望が叫ばれるカンザキイオリ節が、ついに花譜の物語に現れました。1年越しの伏線回収ですね。正直こんな日が来ると思っていませんでした。
彷徨い
同じステージに上がった花譜とカンザキさんの向いている方向は、はたして同じなのかそれとも違うのか。それを知ろうとすれば、観測者の価値観すらも変わっていく。不変なんてない不確かな世界で、私は何ができるのだろう。彷徨いを聞いてから、そんなことばっかり考えてます。では。
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