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2021/11/07「改名するとしたら○林がいい」

最近、枕のそばに漫画「バーナード嬢曰く。」を置いてずっと読んでいます。

同じ作者の「銀河の死なない子供たちへ」という作品がもともと大好きで、その結末の衝撃を今でも覚えている。絵柄が個性的だけど、Twitterでたまに見かけるド嬢。が同じ人だと最近になって気づいた。「鬱ごはん」でもそうだけど、みんな(インターネットに棲むみんなのことだよ)が持っている卑屈さとかズルさをピタリと描いていてすごいなぁって思う。

「ド嬢。」は読書家を真似るおばかな主人公のお話。漫画にしては読むのに時間がかかって不思議に思った。版が大きいからだろうか。主人公が回を追うにつれだんだんとちゃんと本を読むようになっていって、僕では馬鹿にできなくなってしまって良かった。

自分はSFオタクの神林さんが好きだ。本当にただただSFとか本が好きってだけで、いやらしさがない人間なので接していて気持ちがいい。名前の漢字が神椿にちょっと似てるのも好き。

この漫画は読書を主軸にしているだけあって、本当にたくさんの本の名前が出てくる。SFだけでも自分が知らない名前ばっかり出てくる。

「『SF語るなら最低千冊』ムリでもせめて普通に本屋で買える青背 全部読んでから言え!!」(神林)

スミマセン……

あと僕が思う神林さんの素晴らしいところは、彼女は「わからない」で残しているところがない(ようにみえる)点だと思う。グレッグ・イーガンが難解で分からないのは何故か?についての彼女なりの考察を聞いた時、僕は「仮説が立っている……」とその事実に感動してしまった。



そんな「バーナード嬢曰く。」を読んで以来、まずSFコーナーというものがあってそこにはSF作品が並んでいるんだなということをようやく理解した僕は、書店に入って先ずその棚を探すことができるようになった。

そして実際にフラッと駅ナカの小さな書店なんかに入ったところで、そんなスペースが確保されているわけがないということも知った。(ということも漫画内にはちゃんと書いてあった。)


仕方なく買ったのが昨日パラパラと読んだコレ。最近は通販で中古のSFを漁るという挙動しかしていなかったので、書店で本を買うとカバーを付けてくれるのが新鮮だった。

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小林賢太郎の短編集で、本当に短いダジャレや過去のコントなども入っていて面白かった。

それで本の締めには、創作が大好きなとある少年、梨郎の幼少期から中学校でのある出来事までを描いた「砂場の少年について」という短編が入っていた。

その中で一つ、すごくわかりやすく判断に困る一節があった。


学校の工作の課題に、梨郎はその時ニュースになった飛行機事故を再現した壊れる飛行機の模型を作り、それはクラス中にウケた。しかしその後、梨郎は職員室に呼び出され、事故に遭った人がこれを見たらどう思う?と注意されて、梨郎はひどく反省した。


出版日を確認したら、第一刷は2019年。自分が買った第6刷は2021年7月発行だった。

もちろんこれは短編の中でもさらに細かい一幕であり、この後中学校の文化祭で梨郎が巻き起こしたドラマと共にこの「砂場の少年」は締めくくられる。

少年梨郎を、表現者としての才能に溢れた小林賢太郎の哲学と同一視するかはさておく。しかし、これを2021年夏以降に読んだ人物は、おそらく必ず小林賢太郎の五輪開閉会式ディレクター解任の件を想起するだろう。

そして、この時点で時事ネタに触れることの難しさを文章にしていながらあの騒動を起こした小林賢太郎を笑うなり哀しむなりする人間が生まれるのだろう。

そんなことを想像して、僕はとても嫌な気分になってしまった。僕もきっとその一人だ。これから僕は、小林賢太郎が笑いについて語るたびに、あの事件を想起してそれを元に何かしらの感情を発生させてしまう。

この率直さが嫌いだ。人間はもっと感情を取捨選択できるはずだ。だから僕は、この感情を上書きできる考察を立てなくてはいけない。そんな本だった。

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