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2021/11/10「肘の置き場がない」

2日とんじゃったけどそんなことは気にしない。


机の上が常に散らかるので困っています。

本を読んでは脇に積み、弁当を食べてはガラを置き、ということをやっているので足の踏み場もないというか、肘のつき場がないって感じの机になってしまった。

よくオタクが綺麗なデスクの写真を撮ってあげているのを見るけど、そのたびにどうすればあんなに整理整頓された環境が手に入るのか疑問に思う。僕はいつから間違えてしまったんだ……?


ものの置き場が決まってないんだよな。生来ミニマリストの逆を行く蒐集癖の持ち主なので、部屋には日に日に物が増えていく。一方で、何処に何を置く、というのを明確に決めないので、床や傍に本や段ボールが積まれ続けるのである。何とかしたい、何とかしたいんだけどな……



さいきん手元に増えたのがこれ。

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食品サンプルのパフェです。

赤いソースはゼラチン、生クリームはシリコンでできている。自分で作ったので食べられないとわかっているのだけど、それでもふと視界に入ると(おいしそう)と思ってしまうのですごい。

カップに溜めたソースにクリームをしぼるとこういうマーブル模様がつくれる、と習ったけど、自分でやってもどうしてこうなるのか分からずじまいだった。


それでスタッフさんにいろいろ教わりながらトッピングの位置決めをしていたら、食品サンプルには「オモテ」と「ウラ」があることを教わった。

例えばラーメンのどんぶりみたいな軸対称のものでも、ショーケースに並べるときに絶対にこの「オモテ」を前にして置くらしい。そして、その向きで見栄えがいいように小物の配置を決めるのだそうだ。へ~~~知らなかった。

だから上のパフェもこの向きが一番見栄えの良い「オモテ」である。


こういうものがどんどん増えていくので肘の置き場がなくなっていく……



そういえば前回の日記で、「素直な感情が許せない」みたいな書き方をした。

けど思い返すと、実際には「その率直な感情を便利な道具として使いまわす」のが嫌なんだよなあ、ということを書くのを忘れていた。


例えば、こちらが知らないことを訊ねると、必ず答えてくれる物知りな知人がいるとする。彼はたいていのことは知っているのでなんでも答えてくれる。

それが常習化すると、そのうち「分からないことも彼なら知っているだろう」という命題が成り立つことになる。しかし、こういった命題が成立すると、人々は次第にこの命題にのっとった態度を取るようになる。「彼なら知ってそう。」「彼に任せよう。」解決したら「さすがだ。」


それはあたかも過ちを犯した人間を黙らせる殺し文句と同じである。例えば過去に失敗した人が何を言っても、「なにか言ってるけど、間違ったことをした人間だしな」と思ってしまったとたん、その人の現在は全て無視されてしまう。


ぼくはこの、命題に肘を掛けたような態度が嫌いなんだよな。言ってしまえば「この人はこう扱うと良い」と定まる瞬間。その瞬間、会話は生ものではなく仕組みに成り下がる。

人のコミュニケーションはもっと流動的で煩雑であるべきだと思う。



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