ナンプラーのかほり#5 タイ沼誕生のずっと前から・・

タイ沼という言葉が生まれるずっと前、とある女子大学生にプライベートで日本語を教えていた時のことです。「実は」という言葉を使って簡単な文を作ってと言ったところ、思いもかけぬこんな告白を受けてしまいました。

「実はわたし腐女子なんです」

腐女子。言葉の移り変わりが激しい中、現在もこの言葉が使われているのかはわかりませんが、この言葉をご存知ない方のために、ウィキペディア先生の定義を引用させていただくと、「やおいやボーイズラブと呼ばれる男性同士の恋愛を扱った小説や漫画などを好む女性のこと」となっております。
かくいう私も、
「男の子と男の子が恋人です。私はそれが好きです」
その学生から丁寧に説明を受けて初めてその語意を理解したわけです。

その後、実はタイにはこの腐女子と呼ばれる女性たちが、それこそ「腐る」ほど存在しているということを教えてくれたのが、高校のBL大好きタイ人教師でした。日本で「タイ沼」と呼ばれるものが誕生するずっと以前から、タイの腐女子たちはウィキの定義による「2次元世界」を飛び越えて、その想像力は「3次元に移行」し、歌手や俳優同士の愛を彼女たちの世界の中で勝手に育くみ、その世界を共有し、心をときめかせていたようです。

さて、そんな中、リアル男子はどうかというと、これもまた、ちょっと不思議な動きを見せていたりするわけです。僕の生徒でも、明らかにノンケ(ストレート)のサッカー少年とバスケット少年同士が、顔を寄せ合ってキスの真似事をしたり、友達の膝枕で寝てみたり、こっちがドキッとすることをしたりするんですね。そういった行動が前から気になってたので、件の先生に「あの男子生徒同士の遊びはなんなの?」と聞くと、「もしかしたら、女の子が男同士のそういうことが好きなのを分かってるから、女子の注目を浴びたくてやってるのかも」という、これまたなんとも腐女子目線な答えが帰ってまいりました。

タイ人の行動や考え方って、基本的には、シンプルでまわりくどくないのに、この手の話になると、一転して複雑怪奇になるのが本当にアメイジング。しかし、セクシャリティとかジェンダーというのは基本的に複雑怪奇なものだとすると、その複雑怪奇なものに対して正直に行動しているとも考えられるのか、などと、私の頭の中もバンコク名物の「絡まり合う電線」状態になるのです。

そういえば、バンコクの大学で勤めていた友人にこんな話を聞いたことがあります。

彼の受け持ちの学生が、夏休み明けに、男性から女性へと性転換を果たして授業に現れたそうなんです。まあそれぐらいなら驚くほどでもない(?)のですが実はその彼女、恋愛対象は女性だというのです。

元々男性の体を持って生まれ、恋愛対象は女性なのに、なぜに性転換?と、この手の話に慣れていない方なら既にミステリーゾーンに突入しているのではないでしょうか。

そんな方のために早速種明かしをしますが、その彼女(と呼びましょう)は男性の身体を持って生まれながらも、心は女性という性同一性障害だっただけではなく、セクシャリティはレズビアンだったというのです。男性の姿のままでも好きな女性と結ばれることはできたかもしれませんが、男性として自分を好きになってもらっても幸せにはなれない。あくまで「女性」として女性から愛されたい、その願いを成就させるためにも、彼女はまずは女性の身体を手に入れ、身体と心の性を同一化させることから始めたというわけです。

さて、このように複雑に絡み合うジェンダーとセクシャリティーですが、タイ人はそれらを、それこそ放置された「絡み合う電線」のごとく、「そういうもの」として当たり前に接しているように見受けられます。

それに比べて、欧米人や日本人というのは元来カオスなものに対してもきっちりとしたカテゴライズをしなければ自分たちがスッキリしないのでしょう。「LGBT」などというイニシャルに性的少数者を振り分け、果てはそこにも入りきらない、件の大学生のようなジェンダーやセクシャリティーをもつ人間を「Q」などとこれはこれで雑なイニシャルの中に詰め込もうとしているようです。

「多様性を認めよう」なんて大旗を振りながら、結局は「LGBTQ」というたった5つのカテゴリーに性的少数者自らが、自分たちを追い込んでいるのかもしれません。タイに住んでいると、そんな彼/彼女たちの姿が痛々しくも滑稽に映ってきたりもするのです。

そんな私も客観的には「G」認定を受ける人間なのでしょうが、ジェンダーは男性でも女性でもない「おかま」(これもまた勝手に差別語認定受けていてややここしいのですが)だと感じていますし、同じ「G」カテゴリーの人間だからといってすぐに心を開くわけではないばかりか、逆に「あんな人間と同じジャンルで扱われるの嫌だわ」的な歪んだ心も持ち合わせていたりするわけで・・。とにかく一筋縄ではいかないこのお話は、タイのようにもう「あるがまま」に放置しておくのが一番正解のような気もするのです。

ちなみに私のパートナーは全く「おかま」っぽさを感じない男性で、彼のお姉さんは全く「おなべ」っぽさを感じないけどパートナーは女性。だけど、二人のお父さんは結婚歴が4回もあるバリバリの女好きと、私の周りだけでもすでに、簡単には解けない「知恵の輪」が出来上がっておるのです。

蛇足になりますが、高校生の時にストレートだった男子が大学になって恋愛対象を男性に鞍替えするのもよくある話。

一瞬「不変なる我は存在しない」というお釈迦様の「無我」の体現?などという思いが頭をかすめそうになりましたが、よく考えるまでもなく今まで書いてきた内容自体が滅すべき「煩悩」まみれの話だと思われるで、バチが当たらないうちに、ここらへんで失礼させていただくことにします。

ではまた、次回のお話で・・


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