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ナンプラーのかほり#3 タイ的時間

どうも、バンナー星人です。

タイトルからもピンと来られた方も多いと思うのですが、今日は日本人の口からはあまりいい評判を聞かないタイ人の「時間感覚」について書いてみようと思います。「タイ人は時間にルーズだ」と断罪する厳しい意見や「いやいやおおらかなだけだよ」という擁護派の意見などいろいろあるとは思いますが、日本人とは「時間」に対する「感覚」や「思い」が違うのは確かなようです。

以前、私が一時帰国時に両親と飛騨・高山に旅行に出かけた時のことでした。白川郷はタイ人にも大人気のスポットで、その日の高山駅発のバスにもタイ人のグループが乗り合わせていました。「発車いたします」という運転手の声とともにバスが動き始めた、その時です。
「オッホー」
というタイ語独特の感嘆の声がそのグループから発せられたのです。

何事かと思い、彼らの言葉に耳をそばだてていると、
「このバスも時間ぴったりに発車したぞ」
と笑いあってるではありませんか。
どうも彼らは、日本では電車やバスが時刻表通りに運行しているという話を聞き、スマホの時計を見ながらいちいち確かめていたようなのです。

「タイではありえないよな」
という彼らの言葉を耳にし、そりゃあそうだと思いながらも、
「だからと言って日本の方がいいとは言えないぞ」
と心の中でつぶやいていたのでした。

さて、バンコクでは市バスや地下鉄が時刻表通りに運行されないの?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。実際は時刻表通りに運行されないのではなく、時刻表自体が存在しないというのが正解です(笑)。バンコクの公共交通機関の中心を担うBTS(高架鉄道)も、始発と終電の時間ぐらいは決まっているようですが、それ以外はまあ事故が起こらない程度になんとなく10分に1本てな割合で運行されている感じです。

まあ、実際のところはわかりませんが、ホームに時刻表もないですし、発車時刻や到着時刻を細く気にしている乗客なんていないので、ハナから必要がないということもあるでしょう。渋滞で時間が読めないバスに至っては言わずもがなであります。

話は少し横道に逸れますが、学校の時間割にもタイらしさが感じられます。
というのが、授業と授業の間に休み時間が設定されていないのです。もちろん休む時間を惜しんで勉強というわけではありません。教室移動なんかもあるので、チャイムが鳴る前5分ぐらいになんとなくだらっと授業が終わり、鳴った後5分ぐらいに次の授業が始まるという感じなのです。

これは私の想像ですが、学校の時間割というのは、その後の人生においての時間との付き合い方に影響を及ぼす重要な役割を果たしているのではないでしょうか。日本のように始業チャイムとともに先生が教室に入ってくるのが当たり前な国では、電車やバスも決められた時間通りに来るべきものであり、1分でも遅れると「待たされた」と脳が感じるようになるのかもしれません。

また「1分でも遅刻は遅刻」とか「時間も守れないような人間は信用されない」といった教えによって、時間を守らないことは罪だという意識を知らず知らずのうちに共有してしまっている可能性もあるでしょう。

タイ人と生活していると、時間に遅れて来るか、と思えば、待ち合わせていた時間よりずっと早く来ておいて「もう着いたけど、まだ?」と言われたりと、日本人からすればストレスに感じることもあるのは確かです。

しかしそのストレスというのは結局、「時間はいつでもきっちり守るべきだ」という我々の勝手な思いをおしつけていることによって生じるものなのかもしれません。

さて、先ほど「いつでも」と強調したのには理由があって、タイ人だって時間をきっちりと守る状況もあるわけで、それこそ「いつでも」緩い時間が流れているわけではありません。

例えば飛行機の出発時間だったり、コンサートの開場時間だったり、自分にとって「大切な」ことに対してはきっちりと合わせてくる、そんな印象があります。またバンコクの会社で働いているような人達は、出社時間もタイムカードで管理されているため、遅刻しないように出勤する姿は日本人と変わらないように見受けられます。

私が、長らくタイ人と接していて感じたのは、彼らにとっては「絶対に守るべき時間」「まあ、なんとでもなる時間」という2つの時間が存在するということです。同じ11時でも飛行機の搭乗時間の11時と、友達との待ち合わせの11時では、質感が違うのでしょう。そういえば、以前学校の教員旅行の待ち合わせ時間についてこんなことをつぶやいている先生がいました。

「6時半って言ってたけど、世界標準の6時半?それともタイ標準の6時半?」

結局、その時はタイ標準時間だったようで、6時20分ごろから先生たちが集まりだし、最終的に皆が集まったのは6時50分ごろ。早く来た先生たちも、まだ時間がありそうだからと、朝ごはんを食べに行ったりと、いつもの緩い風景が見受けられたのでした。

このようにシチュエーションに合わせてフレキシブルな対応を見せるタイ人と接していると、日本人よりも時間をうまく調理しているよな、とさえ感じてくるのです。もしかするとそれは日本人的感覚からすれば「退化」と呼ばれる「タイ化」なのかもしれませんが。

さてさて、この記事も書き終えたのでわたしはそろそろ授業に向かうことにいたします。実は3分ほど前に始業チャイムが聞こえてたんですけどね。ま、記事を書き終えてからでいいかって(笑)。

ではでは今回はこのへんで。







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