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玉の井

現在その地名はないが、玉の井で思い出されるのは永井荷風著「濹東綺譚」だろう。二十世紀初頭当時の東京の風俗を描き、また荷風の分身たる小説家と娼婦との出会いと別れの一遍は永井荷風作品の中でも言うまでもなく傑作だ。

もちろん現代となっては玉の井はその面影もなく、それもそのはずで荷風が訪れた私娼窟街は太平洋戦争の空襲の戦火に焼かれ、戦後のカフェー街も廃れてほとんど見る影もない。しかしながら土地の記憶は道路、そしてその裏道に形を留めている。

「檀那、そこまで入れてってよ。」といいさま、傘の下に真白な首を突込んだ女がある。
(永井荷風「濹東綺譚」)
model;玉井ゆき(X)


唐仁原教久著「『濹東綺譚』を歩く」(白水社)という本を参考にさせていただいた。当時の様子を丹念に取材された内容も勿論読み応えがあるのだが、付録のかつての「玉の井」の地図を見ると、現代の地図と見比べればわかるのだが、路地の道筋は変わっていないことがわかる。参考図書を手がかりに、「おゆき」と「荷風」が出会ったと推定される場所から撮影を始めた。

この番地のあたりはこの盛場では西北の隅に寄ったところで、目貫の場所ではない。(「濹東綺譚」)
model;玉井ゆき(X)


「お雪という女の住む家が、この土地では大正開拓期の盛時を想起させる一隅に在ったのも、わたくしの如き時運に取り残された身には、何やら深い因縁があったように思われる。」(「濹東綺譚」)

地図を頼りに探し出したお雪の家、今は普通の住居である。しかしやはりそこにかつてあった(であろう)という事は、何かしらの感慨を引き起こすのに十分だ。

彼女が門前で翻った。


model;玉井ゆき(X)

「わたくしはこのはかなくも怪し気なる幻影の紹介者に対して出来得ることならあからさまに感謝の言葉を述べたい。」(永井荷風「濹東綺譚」)

私としては同行してくれた彼女に感謝の言葉を述べたい。



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