私が古河市長になったなら?郷土史教育編1

 全国的にはどこまで知られているのかはわかりません。古河市の歴史。今回はこれについて考えてみたいと思います。もちろんどこの街にも誇るべき歴史があります。それらは人の往来によって作られていきます。余談ですが歴史情報雑誌を出版している「人物往来社」という会社がありますが・・・。古河市ではおおむね二つの歴史エポックがあります。一つは徳川家康の隠し子?ともいわれる土井利勝(としかつ)を祖とする土井家による統治の時代(特に後期)ともう一つは鎌倉府から時の室町幕府との諍いから古河にやって来た足利成氏(しげうじ)を始まりとする150年ほどにわたる古河公方時代のエポックです。

そのうち古河公方時代は近年戦国時代の始まりはこの足利成氏の時代に始まった享徳の乱がそうではないかとも言われるようになっています。古河公方について公式には初代成氏・2代政氏(まさうじ)・3代髙基(たかもと)・4代晴氏(はるうじ)・5代義氏(よしうじ)となり嫡男の継承がいなかったため、娘の氏姫(うじひめ)が傍系の国朝(くにとも)と結婚するまでは古河公方としての位置を占めていた。9歳から17歳で結婚するまでは関東の武士の頂点にいたのである。あくまでも形式上のことでどれほどの権限があったのかはわかりません。母似の美貌をもつたおやかな少女が百戦錬磨の武士たちの頂点にいたなんて、非常にオタク好みのシュチュエーションではあります。が、それはさておき本題に戻ります。

 次世代に対して郷土史が必要なのはそこの自らのルーツについての関心を持つための入り口であるからなのです。ではどうしてルーツが必要かといえば現在生きている我々個人について、先祖を15代遡ると32768人のご先祖様になるのですね。15代といえば生まれて最初に子供を授かるまでに一人あたり30年とすると450年となります。450年前はおおむね足利義氏が古河公方に就任したころになります(1552年)さらに15代遡って30代前になると1073741824人(10億7千3百74万1824人)これが900年前なので平安時代の末期となります。これらの夥しい人数が一人欠けても現在に生きているわれわれは存在しないのであります。歴史はさらに果てしなく奥がありますので、まさに想像を絶します。確かに人口は70億以上となった人類ですがすべての生きている人々は同じ歴史の中で生き残りいまの人々を成しているのですから、そしてそこに着目してみればやすやすと自殺などできません。昨今の若者の自殺増加傾向を抑制するのにも郷土史は寄与できるのではないかと思います。

 なので、天文学的確率で生まれてきた子供たちに生きることの尊さと命の大切さを伝えるためにも郷土史はその入り口として必要と考えます。(7日本人の男は高齢になると歴史に興味を持ち出すのはDNAレベルのプログラムなのではないかとも思います)幸い私の故郷古河市には他にも歴史エポックは多いと考えます。ちなみに今年は6代目?古河公方足利氏姫が亡くなって400年に当たります。



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