第203回 松島の岩屋でとむらわれる名君は

1、絶好の名勝日和

本日の松島は快晴。

澄んだ青空に紅葉が映えて、多くのお客様で賑わっていました。

私はといえば、今日もとある団体から依頼を受けて史跡案内に勤しんでいました。

博物館の友の会、というだけあって熱意も知識も豊富な方が多く、説明にも熱がこもりました。

とは言え50名の大所帯でしたので、皆さんに満足いただける案内だったか不安でしたし、何より明瞭にお答えできない質問も受けてしましました。

反省。

その代わりにというわけではないですが、

一部の方にだけですが、お昼ご飯に地元民ならではの隠れた名店をご案内できて好評を得ることができました。

2、今日の学び

円通院の洞窟には伊達政宗の七男宗高

天麟院の洞窟には政宗四男、宗泰の供養塔があります。

これはお墓ではなくて、供養塔なんですよー

と説明したところで、

じゃあ、お墓はどこにあるの?

と聞かれてとっさに答えられませんでした。

宗高公は柴田刈田郡の領主で、村田城主。

元和九年(1623)に蔵王の山が噴火した際に、自らの命を縮めても噴火を鎮めてくれるよう祈願したと伝えられています。

そのせいか、わずか20歳の若さで亡くなり、村田町の龍島院に葬られました。

宗泰公は岩出山城主で、江戸にあっては5万石の大名並みの勤めを果たしていたとされます。

政宗は宇和島藩の長男秀宗のように、宗泰が独立した大名となることを希望していたようですが、実現することはありませんでした。

こちらは代々岩出山に墓所が営まれているようです。

3、毎日進化を目指して

年間にすると30件くらいは町の史跡案内を頼まれているでしょうか。

小学生もいますし、JRと連携したツアー客だったり、海外のVIPだったりもします。

皆さんそれぞれ注目するところも、疑問に思うところも違うので面白いですが

今回のようにうまく答えられなくて反省することも大いにあります。

このように日々鍛えられて期待に応えられるような案内役になっていければと思います。

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