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三浦君が教室から飛び降りようとしたことについて。

まぐろどん

三浦君を思い出した。
「自殺してやる!!」
そう言って、算数の授業中、いきなり2年2組の教室の出窓に足を掛けた彼には、聞こえていたのかもしれない。
ユートロニカの音楽が。

本書は所謂ディストピアもののSFである。アニメでは某サイコパスものでガッツリふれてはきたが、小説では初めてだった。
「アガスティアリゾート」と名付けられた実験都市では、自らの行動のほとんど・・・見たもの・聞いたもの・食べたもの・触ったもの・感じたもの・思考しているもの・その総てにおけるほとんどを情報として提供する代わりに、労働から解放され、「平均以上の豊かな生活」が保障される。無論住民は無条件に受け入れられるのではなく普段の生活態度を機械が測定し、莫大な数の志望者の中から選出される。
治安も最高。思考に危険因子が見られた人々は、緩やかに本人には分からない形によって(それはバカンスへの招待だったり、「本人の意思による」通院だったりした)、隔離され更生プログラムを受け、危険性が見られなくなった後に街に放出されるからである。犯罪や事件は起こらない算段となっている。
そして本書は、物語が進むにつれ「自由とは何か」「人間の意識とは何か」問いかけていく展開となる。情報を総て提供して営んでいく人々の暮らしは平和で一定の幸福が保証されているが、果たしてそこに「自由」はあるのか。何もかもが提供されてストレスを抱えることや悩むことが滅多になくなった住民達、果たして彼等に「意識」はあるのか。
タイトルのユートロニカとは、物語の根幹となるアガスティアリゾートでの穏やかで平穏なる暮らしによって、最終形態まで進化した社会のことである。p.265

本書を読んで、僕は思った。
なんて素晴らしい世界なのだろう。

僕も可能であるならば、その都市に暮らしたかった。
勉強こそはある程度できるものの、仕事をする力は平均より低く、ましてコミュニケーション力も低く、感情のふり幅だけは一丁前に人より何倍も幅が広い。ジェットコースター。その疾走感にのっとってこの前ついつい泣きながら職場でリスカまがいのことをしてしまったので心療内科行ったら「ADHDですね」「ええ!?あの!!??」とクソ高い錠剤を飲み続けなければばならない代わりに身分は社員からバイトへとなりひっくい賃金で暮らしを回転させなければならなくなってしまったのであった。辛い。
そんな僕が暮らす日本に、アガスティアリゾートがあったらどうだったろうか。勉強が不器用でもコツコツそれなりに結果を残せたように多分僕は、その街で生活するための努力を不器用でもコツコツしているような気がする。
そして、大学を卒業し3年のOL生活を送った後ようやく当選。20代半ばごろでその街に暮らすのだ。
労働やストレス悩みから全て解放されたあの街で・・・。

思えば、僕の人生が躓いたのは、社会人になってからだった。
小学校の時は成績は優秀だった。何もしなくても勉強が出来たから、「高校受験をしなくて良いなんて楽そう」と地元の県立中高一貫校を受けた。合格した。そして6年間通い詰めた後、第一志望であった国公立は落ちたものの無事一般入試でMARCHに滑り込んだ。そこでの大学の4年間はまぁ辛いことも多々あったが、概ね「私立文系」学生の青春を全うできたと思う。友達にも恵まれていたし、恋もした。イジメに合うこともなかったし、自己否定に苛む夜もなかった。今思えばそれはなんと幸福な22年間。
ところが新卒で塾に入社してから僕は「仕事が出来ない人間」側だと知った。膨大な量の授業準備に加えて、人格破綻している上司とほとんど毎日一対一で仕事をしなければならない。勤務先となる教室替えが2回あったものの、潰れたのは1年半後だった。無事夏期講習をなんとか終えた9月末、ある日突然ベッドから起き上がれなくなった。
なんて自分はダメなんだ・・・なんて自分はダメなんだ・・・。
そこから一年、昼夜逆転したニート生活が始まる。週に1回アイドル主演のドラマを見る時とスーパーに行く時以外はずっとベッドの中にいて、マイナビリクナビエン転職登録するもずっと何も書けずにいた。
なんて自分はダメなんだ・・・なんて自分はダメなんだ・・・大学も行かせてもらえたのに・・・なんて自分はダメなんだ・・・。
地元の静岡に戻り、そこでようやくお金が足りなくなり始めてことに気づいた僕は試食のバイトをはじめる。週末のみの労働であったが比較的楽しくできた。電車に乗って様々な町に行くことが楽しかったし、何より基本一人でやるのが楽だった。
でも母親に肺癌が見つかった時、このままではダメだと思った。
食品販売店で社員労働を再開した。試食のアルバイトが上手く行っていたから、同じく食品を扱う社員であるならばうまくいけるような気がした。違った。上司達とそりが合わず、ちょっとしたことでひどく叱られた。
なんて自分はダメなんだ・・・なんて自分はダメなんだ・・・なんて自分はダメなんだ・・・なんて自分はダメなんだ・・・なんて自分はダメなんだ・・・なんて自分はダメなんだ・・・。
「えっと・・・あの私は私は」
気づけば喋るのが更に下手になっていた。まして、自分のことを話すとなると「私は・・・・」のあとに何も続かなくなるのだった。
みっともないと思った。情けないと思った。
高校大学時代の友達は大学卒業後無事に就労してお金をコツコツ貰っているというのに。人によっては結婚すらしているというのに。子供もいるとすらいうのに。
そして、唯一私を全肯定してくれる身内・母親の病は脳に転移した。普通に話して普通に生活は今のところ出来ているが、亡くなったらどうしたらいいのだろう。
この生きづらい世界に私・・・ひとり・・・。
「まぐろどんさんは○○で・・・いっつもいつも・・・・」
それはよくある叱責の最中だった。
今まで泣いて途中で帰ったことは2度あった。
けれどその日は違った。
逃げたかった。
なんて自分はダメなんだ・・・。
気づけばカッターを手首に当てていたのだった。

今思えば、僕にとっての「ユートロニカ」は学校であったような気がする。
もっとフォーカスして言うならば、「小学校」。
そこでは僕は多少友達といざこざがあっても大きく悩むようなことはなかった。2つのグループを掛け持ちするという贅沢なこともいけしゃあしゃあとやってのけた。
オリジナルキャラクターを作ればみんなにウケて、小説を書けばみんな読んでくれた。クラス新聞は「凄いね」「面白い」言われるのが嬉しくて1年間作り続けた。
勉強も基本楽勝で、中学高校のように眠くなるようなこともなかった。受験勉強も当時まだ6人で知能戦をしていた某クイズ番組をしながらやっていた。公文こそ行っていたが、お受験の塾には行くことはなかった。運動神経の悪さを補うには十分すぎる学力だった。
今でも覚えている。
公園の遊具で友達と遊びながら、晴れた空を眺めたときにふと思ったことを。
「私には今悩みがない。なんて幸せなことなんだろう」

中学高校大学は、この頃に比較すると流石に何らかに悩んでいた。関係代名詞や三角比に躓いたし、反抗期に失敗して家で泣きわめく日も決して少なくなかった。大学時代には衝動的な片想いこそしたものの実らず、教育実習と就活の両立には本当に苦戦した。
でも今思えば全部可愛いものだった。
「学生」という身分が保証されており、生活資金も保証されている。
ましてや何もしなくても「中等部なの?凄いわね~」「MARCHなの?凄いわね~」と言われた。自分は上の方の人間だった。
リスカ一つで社員からフリーターに再転落する今からは考えられない。

もし、アガスティア・リゾートが日本あったら僕はなんて幸福になれるのだろうか。「アガスティアリゾートの人間」というシャイ快適ステータスを持ち得ながらも、労働から解き放たれ毎日好き放題できる生活・・・。
そこに住める資格が得られなくても、そこでの暮らしを夢見て毎日濃度の濃い一日を過ごすことだろう。努力するだろう。リスカなど考えれば、そこに住む資格が得られないかもしれないと、自殺に思いも至らないだろう。
情報などくれてやる。プライベートなどくれてやる。
27歳処女フリーターに隠すものなどあるものか。

しかし本書の主人公達は総じて「ユートロニカのこちら側」。
楽園での暮らしではなく地上での暮らしを選択した人間。つまりざっくり言うと「アンチ・アガスティアリゾート」なのである。
まぁ主人公がディストピアに賛同しそこに生きていたら物語は「日常もの」に代わるので、本書がSFで名高いハヤカワ文庫から出ている以上それは当然の帰結なのですが・・・。

でもそんな時に、ふとあの、三浦君を思い出す。
「自殺してやる!!」
と教室の窓枠からベランダに出た小学2年生の三浦君。
目付きが悪く素行もあまりよろしい印象もなかったがそれでも小2で「自殺」という言葉を教室で放ち、窓枠に足を掛けた少年のこと。
当然、その行為は2組担任の川村先生に止められ、ビンタされ、保健室に連行された・・・と思う。20年近く前のことで、ましてや1組だった僕は噂でしかそのことを知らなかったからうろ覚えである。でもその後三浦君は成績こそ悪かったものの、普通に学校に来て6年間の義務教育を全うしたのは、なんとなく覚えてはいる。その後は知らないけれども。

彼にとって、2年2組はどんな存在だったのだろうか。
厳しいが定評のある40代女性の川村先生と、その先生に純粋無垢な目で従うクラスメイト達・・・。小学生になってから始まった算数と国語の勉強は難しく、図工で描いた絵が先生に褒められることもない。家庭環境・・・こそ知らないけれども、馴染めない・自己実現を遂げられない教室という閉鎖空間はどのように映ったのだろう。そしてそこに30人弱押し込まれて、休み時間はわいわい楽しく過ごし、授業になれば同じく「はい!!」「はい!!」元気に手を挙げるクラスメイト達をどのように感じたのだろう。
幼稚園や保育園とは違う。遊ぶだけでは許されず、勉強もしなければならない。
多分当時の小学校校舎の2階・南から3番目の教室には、自由がない幼き「アガスティアリゾート」が展開されていたのではないか。

三浦君は、アガスティアリゾートに己が馴染めないことに絶望して自ら死のうとした。
私は、アガスティアリゾートが己の人生において今後現れないであろうことに絶望して自ら死のうとした。


三浦君は間違いなく「ユーロトロニカのこちら側」の人間だった。
そして結局到達が叶いそうにない僕も所詮「ユーロトロニカのこちら側」。


アガスティアリゾートのように分かりやすく目に映る形では存在していないかもしれないが、多分僕達はユーロトロニカ・・・楽園の音楽の音は誰もが聴いたことあるのではないか。

ああ・・・バイトの身に転落したものの仕事に対する真摯な姿勢が評価され「もう二度とダンボール切断時以外で刃物を出したりしないね!」の口約束で1か月で社員に復職&給与毎月20万弱確保できたらいいのに。
ああ・・・ある日突然佐藤健似のイケメン(大企業勤め、もしくは公務員)から告白されて半年交際&同棲の後結婚。ついでに母親の病も寛解し末永い未来が保証され、そして孫の顔を見せられる可能性が少しでも上がってくれればいいのに。
ああ・・・締め切りギリギリで書いているこの感想文が残り時間で至極まっとうな形をとって賞もらってそこから僕は文筆業だけでがっぽがっぽ稼げたらいいのに。
ああ・・・ユートロニカの向こう側へ行けたらいいのに。
ああ・・・

ああ・・

ああ・・・

「自殺してやる!!」
遠くから聞こえる少年の声。

「なんて自分は・・・ダメなんだ」
僕は、今日もユートロニカのこちら側で一人勝手に、絶望して、怠惰にスマホ片手にベッドの上を寝転がっている。

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