自分の気持ちを受け止める
バガヴァッド・ギーター本読み会10回目
zoomを使って、毎週火曜日の8:30〜9:00に行っています。
本は“科学で解くバガヴァッド・ギーター スワミ・ヴィラジェシュワラ大師 著 、岡本直 訳、木村慧心 監修”を使っています。
現在は33回目が終わり、次回は五章〜です。
振り返ってみると、
第1回目は2023年9/14でした😊
いま半分ぐらいなので、2年近くはかかりそうですね。
私が本読み会の中で印象的だったところを書き残しています。
そんな個人的な感想に共感いただけたら嬉しいです。
第二章サーンキヤ・ヨーガ
1.不快感と居心地の悪さ
「今回は読んでいて苦しい感覚がありました」と、その時の私は、感想を書いていました。
それはなんだったのかというと、義務という言葉がたくさん出てきたからだと思います。
たとえば
しかも
そして、
決して戦いを肯定しているわけではなく、アルジュナは戦士であり、戦う訓練を受け、戦う役目があるから、それを全うしなさい、と、クリシュナ神は伝えているのですが、
義務という言葉に私は、居心地の悪さを感じたのです。快か不快でいうと不快。
「義務って。。。」
「自己犠牲じゃないかな」
「別に誰に何を言われてもいいし」
「やめて〜クリシュナ神よー笑」
私にとっては、義務という言葉の響きが、とても重く感じられたからです。苦笑
私にとって義務のイメージとは、
無理矢理、
嫌々、
仕方ない、
みんなのために、
文句は言えない、
自己犠牲的な感じがします。
そのように捉えている私があるからで、それは私の内側を投影しているわけです。
不快感と居心地の悪さは、今の自分との感覚のズレです。
さて、そのズレをどうしましょう。
2.自分の中の違和感と向き合う
ヨガの世界で、AUM🕉️は応諾の意味もあります。それは目の前のことから逃げずに、あなたの可能性を広げる、神さまからの依頼ですよー、応諾しますか?と、問われています。
確かに、頼まれごとを引き受けて、新しい体験をし、人との繋がりが広がったり深まったり、自分の可能性や経験を高めることに繋がりました。
しかし一方で《ザ・応諾》に苦しむ。。。ムム。かつて、自分のことよりも、外側に応諾していたことが正しいと思っていた自分を思い出します。それは周り優先で自分は後回し。
その自分の中の違和感を無視し続けたらどうなるでしょうか?幸せになれるでしょうか?身体の感覚はどうですか?呼吸はどんな感じですか?
心の中に湧き上がるザワザワした違和感を感じたら、それは自分と向き合う統合のチャンス!心素(記憶)の浄化のチャンス!と今では捉えています。
3.闇も光も私の中に
正しいとは?正義って何?
義務とはなんだろう?
正義と義務で戦いは終わらない。
自分が愛ゆえにまるで不動明王のごとくに炎をまとい、怒りを表したことがあります。見えないけど剣を持って仁王立ちです。悪霊退散!笑
私の中に魔王がいるな。。と怖くなり、そんな自分の一面に恐れを感じました。
でも、腹(丹田)からくる怒りは本物だと思います。そこは自分で褒めたい。
そんな怖ーい一面も私にはある!それを認めて自分に統合できた時、闇は光に変わりました。私という光の中にも闇はあると認めたら、全ては統合された一つと思えました。
それは陰陽☯️のマークそのものです。
4.自分の本当の気持ちをまず受け止める
ネガティブな自分と向き合った時、それはヨガで言えば、心素(記憶)の浄化。心理学的に言えば認知の変容。統合で言えば、源の光に統合。
《応諾》に苦しんでたのは、エゴによって本当の私の気持ちを無視し、ありのままの私を《応諾》していなかった、内なる私からのメッセージ。
その記憶に紐づいていたインナーチャイルドと対面し対話し癒して浄化し統合。
義務と犠牲と我慢は、誰のため、何のためにしているのか?
最初に《応諾》するものはなんだったのか。それは自分の本当の気持ちです。誰よりもわかってほしいのは、実は自分だったのです。
自分のことをありのままに認められたら、本当の自分のお役目がわかり、義務、犠牲、我慢ではなく、良いも悪いもなく役割を果たしていけるんじゃないかな、と思います。
違ったらやめてもいい。
疲れたら休んでもいい。
人にお願いしてもいい。
頑張ってる私を褒めよう。
素直になれて気持ちいい。
自分の内側に、戦士アルジュナとクリシュナ神。どちらもいると思います。
由紀子
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