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軽やかに運命を変える
バガヴァッド・ギーター本読み会16回目
zoomを使って、毎週火曜日の8:30〜9:00に行っています。
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第1回が始まったのは2023年9/14でした。
現在は36回目が終わり、五章の行為の放棄の途中です。
順番に読みたい人が読み、最後に2分程度感想や気づきをシェアして終わります。
ここには私が本読み会の中で印象的だったところを書き残しています。共感いただけたらとっても嬉しいです♪
第三章 無私の行為
1.智慧のヨーガと行為のヨーガ
主人公は戦士アルジュナ、アルジュナの御者であるクリシュナは神様の権化。
敵を前にした時に、敵方には親戚や弓の師匠の姿を間近に見て、同族のこの戦いは本当に正しいことなのだろうか?と、意気消沈し、戦場の真ん中で弓を置いてしまいました。
こういう究極の状態の時に、人はどうすれば良いのか?
私たちの中にも判断する御者的な理智がいます。そして、神様であるクリシュナ神もまた私達の中に在ると思います。
低次元の自己と高次元の自己。
エゴとハイヤーセルフ。
どちらの方の声が聞こえやすいか?
それは前者かと思います。
高次の声を聞くには、耳を傾ける必要があると思います。それは静けさの中で。
リラックスした時に、ふと心に浮かぶこと。ヨガや瞑想のあとのフラットな感覚。高次の声が聞こえるのはそんな時かと思います。
心の内面の葛藤、そして人生で訪れる究極の選択のときにどうするか?
人がヨーガの頂点を究めたいと思うならば、智慧のヨーガと行為のヨーガの両方を実修しなければならない。
ヨーガとは、平等の境地のこと。
ニュートラルな心の状態。
リラックスし静慮するだけでなく、実際に行動してみることが大事。考えるだけでなく、実行してみる。
結果は放棄して。
2.心の中の考えは行為の始まり
三章5節
一瞬たりとも行為をしないでいられる者はいない。と言うのも、すべての人間は根本自性(プラクリティ)から生ずる徳性(グナ)により、否応なく行為をさせられるからである。
一瞬たりとも何もせずに
過ごすことができません。
それはウソじゃないです。
なぜなら、
身体の行動(行為)のみではなく、
言葉や心に思うこと、つまり考えることも行為ということになるからです。
行動にうつす前に心の動きがあり、それは行動(行為)の始まりになります。
“目は口ほどに物を言う”ということわざは、行動しなくても目に心の動きが映り、相手に伝わるということですよね。
なので、考えずにじっと座ることは、とても難しいです。
一見、静かに瞑想しているように見えても、「足が痺れたなぁ」「腰が痛いなぁ」とか笑、そんな身体の感覚のことを考えたり、
それならまだいいかもしれませんが、なぜならまだ今の感覚だから。
過去の後悔、未来の心配や不安など、妄想でいっぱいの彷徨える心は、行為していないとは言えませんね。
三章6節
運動器官(カルメンドリア)を制御(サムヤマ)しても、意思(マナス)が感覚器官の対象物を捉えつつ座している心迷える者は、ニセ行者と言われるのだ。
ニセ行者って…表現。笑
そういう人が多かったのでしょうか?
感覚器官は使うもの。
彷徨える意思を今ここに繋ぐこともできます。まるで心を犬のように手綱をつけてしつけるように。
ヨガのエクササイズや呼吸法、
全ては瞑想の準備であると言えます。
ヨーガスートラ一章2節
心の動きを止滅させることが、ヨーガである。
3.運命を変えるなら考え方から
“思った通りに人はなる”というのも、
どのような考えを思っているか、
それが現象化しているから。
意識の在り方が先で、現実化があと。
引き寄せっていうのは、自分の考えが磁石となり引き寄ってくるのね笑
考えに気をつけなさい。
それは言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。
それは行動になるから。
行動に気をつけなさい。
それは習慣になるから。
習慣に気をつけなさい。
それは性格になるから。
性格に気をつけなさい。
それは運命になるから。
運命を変えるには、
今の私はどんな風に自分のことを思っているかな?世界をどのように見て考えているかな?と、瞑想で自分調べをするしかなさそうです。
「自分なんて価値がない」
自分自身を粗末に扱っていないか?
それに気づいたら、
「私は私を大切にする」に変えて、そのように行動を変え、習慣にし、性格を変え、そして運命が変わっていく。
しかし、そこに期待があれば束縛になります。
4.軽やかに運命を変える
自由に軽やかに運命を変えるには、
無私の行為で行動できるか。
無私の行為のことをカルマヨガといいます。淡々と目の前のことを集中して行う。
「私の」「私が」という自己都合を外して行為するのってなかなか難しいことです。(それ、わかるわかる)
無私の行為というと、利己的ではなく、利他的行動ということが思い浮かびますが、
私が幸せを感じていることを、広げていくことの方が上手くいくと思います。まずは自分ファーストです。自己犠牲の親切はノーサンキューです。
心配ありません。私とあなたは地続きなのですから。
そして、もう一つ。
結果の放棄。
結果に良いも悪いもない。
全ては良きことのために起こっている。
実際はそうだと思います。
人は神様の働きの通過するところ
無私の行為(カルマヨガ)とは、
自分を通して、神さまの働きがある。良きも悪きも全て、神さま(宇宙)に帰って(返って)いくものなのです。
自分自身の行為の全ては、神さまに捧げる。結果の良いものも、結果の悪いものも捧げる。なぜなら、行為の担い手は神さまなのだから。
由紀子
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