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ぼくは「新条アカネ」という鬱屈した神様に恋をした。『SSSS.GRIDMAN』

 2021年4月より『SSSS.DYNAZENON』が放送される。あのダイナドラゴンが元ネタとして、果たしてCVが搭載されるのか、『GRIDMAN UNIVERSE』と称されるメディアミックスにおいて、あのグリッドマンともリンクするのか。期待で胸が膨らむ一方だ。

 「グリッドマンがアニメ化」という今となっては信じがたい企画だったが、『SSSS.GRIDMAN』は次週の放送が待ちきれないほどに個人的にも楽しませてもらったアニメだった。アニメーション制作は『キルラキル』のTRIGGERで監督は雨宮哲、音楽に『エヴァンゲリオン』シリーズの鷺巣詩郎、脚本は『ウルトラマンネクサス』の長谷川圭一などなど、信頼できる布陣が揃っての船出。1話目からヒーローと怪獣を見上げるカメラアングルに飛び散るアスファルトの破片などの“わかっている”描写が好事家を滾らせ、怪獣プロレスの質感を再現しつつも時にはアニメでしかできないアグレッシヴなアクションでグリッドマンの新生を華々しく飾った。その上、勇者パースやガイナ立ちなど『電光超人グリッドマン』を飛び越えて過去のアニメ・特撮表現へのリスペクトをふんだんに織り込んでおり、その集大成として最終話に用意されたあるサプライズには声を上げて熱狂した。

 だが、それだけではないのだ。ただただグリッドマンの特撮風アクションを楽しむはずだったのに、いつしかぼくは、ある一人の女の子に心を奪われてしまった。イヤホンをつけてスマートフォンの画面を食い入るように見つめた最新話の配信日、たまに思ったのだ。「どうしてこの世界におれがいないんだ」と。この娘の孤独をわかってあげられるのは、おれなのに―。

新条アカネ―弱くて歪な神様のこと

 新条アカネ、という女の子がいる。

無題
アニメ公式ホームページより

 内海青年の言葉を借りるのなら「才色兼備、才貌両全の最強女子」であり、男女問わずクラスの全員から好かれている、パーフェクト美少女。彼女の席には常にクラスメイトが集まり、上田麗奈さんの透明感のある声音も相まって大変可愛らしい。こんなんクラスにいたら必ず好きになってしまう。

 そんな新条アカネには、神の視点で物語を見渡すことのできる視聴者だけに明かされたある秘密がある。重度の怪獣オタク。それも、特撮番組の主役はヒーローではなく怪獣である、という強固な思想を持ち、ソフビの収集が趣味なのか自宅は中野ブロードウェイ級の品ぞろえで、一方で部屋を片付けられないというダメさ加減!!教室内で羨望の眼差しを受けるマドンナの「こちら側」な一面に、おなじく特撮・怪獣オタクではあるが美少女ではないぼくなんかは強く惹かれるわけで。

 怪獣愛好家の彼女は、ついに怪獣そのものを創造する、というところまで行ってしまう。ネタバレになるが、作中世界は新条アカネが創造主たる世界で、気に入らない箇所や人を怪獣を用いて「調整」し、また怪獣によって修復するを繰り返し、彼女なりの理想の世界をクラフトしていたのだ。そしてこの世界で生きる人々はみな「新条アカネを好きになるように設定」されているらしく、毎週最新話が配信されるたびに彼女の歪な部分がどんどん明かされていくのが『SSSS.GRIDMAN』のおぞましくも目が離せない物語だった。

 新条アカネは、このアニメにおけるヒロインでもあり、悪役でもある、複雑な立ち位置に居座っている。彼女は、自分が気に入らない人間を抹殺することに躊躇がなく、人を殺すために怪獣を創り、暴れさせる。巻き沿いを食う人がいることも構わず、彼女の理想を叶えるためにこの世界が存在し、邪魔なものは一掃される。その繰り返しで成り立つ世界は、新条アカネに存在を許された者しか生存することができない。新条アカネは誰からも愛される美少女ではなく、新条アカネを愛する人しかいない世界こそが、彼女の最強女子たる所以なのだ。藤堂武史くんの方がまだマシなレベルでヤバい女、新条アカネ。

 そんなヤベー奴を救いに来たのがグリッドマンらハイパーエージェントである。ヒーローが救わんとしている存在、つまりこの作品におけるヒロインが新条アカネであるという何よりの証拠だが、果たして彼女は救われるべき存在なのか?その疑問に答えるように、新条アカネの断片的に描かれてきた孤独の核心が明らかになるのは、第9話「夢・想」以降のこと。

 破壊と創造(というよりは修復)。その両方を兼ね備えた「怪獣」という力により世界の在り方さえも手中に収めた、作中誰もが認める通り「神」として振舞っていた新条アカネ。そんな彼女が夢を見せる怪獣バジャックを創造し行ったのは、グリッドマン同名の三人に対し自分と親友になっていた世界の夢を見せること。神様とて普通の女子高生、真に求めていたのは友情なり恋愛なり、要は人との繋がりであった。グリッドマン同盟が闘いを経て絆を深め合う一方で、新条アカネにとって身近な他者は宇宙人(アレクシス)と怪獣(アンチ)だけで、意思の疎通が出来るのに彼らと心を通わせようとせず、自分を気遣ってくれたアンチさえ世界創造の道具としてしか接することができない。その結果、繋がりを得るために異性に身体を明け渡すことさえも手段に数えてしまう危うさを、新条アカネは持ってしまった。

 おさらいしよう。新条アカネは、誰からも愛される人気者で、部屋の片づけができないだらしない女の子で、自分の思い通りにならないものは必要ないという幼い心の持ち主で、高嶺の花に見えて実は誰よりも孤独な女の子で、怪獣が大好き。そんなの……好きになってしまうに決まっているじゃないか。オタクの心をくすぐるのもいい加減にしてほしい。新条アカネは遠い存在のはずだったんだ。高校三年間、朝のあいさつ以外の交流が一切なく、クラスのグループLINEを通じて彼女のIDを知ったはいいものの友達登録する勇気も無くて、送るはずのないLINEの下書きは増えていく一方で、夢の中では恋人だったり義理の姉になったりして朝目覚めてうなだれて、その癖クラスメートの前では「新条って顔はカワイイけど付き合ったら面倒くさそうだよね」と見栄を張り続け、夜の自室で明かりも点けず彼女への想いを悶々とため込む毎日を送るはずだったのに、そんな彼女がどうしようもなく「こちら側」だって知ってしまったら、おれは……!!

新条アカネとぼく

 もう少し気持ち悪い話しますね。新条アカネがいかにして孤独に陥ったのか、かりそめの箱庭の主になったかは作中明言はされていないものの、終盤になってどうしようもないと悟るとカッターで裕太を刺してしまう余裕の無さだったり、「怪獣が好きな女の子」であることのコンプレックスなど、彼女自身の脆さは作中あらゆる形で描写されていく。

 個人的な話をすれば、高校生で特撮や怪獣のファンというのは、今でこそ仮面ライダーなどが市民権を得ながらも、やはりマイノリティーという意識は強く、なるべくならクラスメートには隠したい、バレたくない趣味の一つ。それは裏を返せば自分への自信の無さであったり、趣味を明かして嫌われたり笑われたりするんじゃないかという他者への信頼の無さだったりと、要は臆病な自分の独り相撲なわけです。で、そんなモヤモヤを抱えながら学園生活を送っているとして、そんな趣味を肯定してくれるであろう女の子がクラスにいて、しかもその娘が学年一の美少女だったりした日には、もう大変ですよ。その女の子のLINEのプロフィール画像がレギュラン星人で、そのことをわかってあげられるのが自分だけだと感づいた日にはもう、恋が始まってしまうんですよ。あるはずのない可能性を幻視して、狂ってしまうんですよ。

 もちろんこれは、現実からモニターを通じて『SSSS.GRIDMAN』という箱庭を眺めているぼくの虚しい片思い。彼女は神なのだから、怪獣オタクという趣味を許容してくれる人を創造すればいい(現れるまでリセットすればいい)。でもそうしなかった。つまり、彼女が求めている相互理解って、そこではないんですよ。自宅にアンチが足を踏み入れたことに嫌悪を示したアカネにとって、怪獣オタクであることを知られるのはタブーで、そこを肯定したところで真の救済たりえない。

 一視聴者の身勝手な欲望を尻目に、新条アカネはどんどん病みを増していく。孤独に追い詰められ、刃を手にし、やがて自分自身が怪獣になる。元からそういう女の子で、ぼくなんかじゃ救える孤独ではないのだ。それはさておき、「三代目レッドキングの造形っていいよね」なんて言う女の子、好きでしょ!?ということなのだ。作中に点在する原作オマージュを収集するフリをして、その実新条アカネへのシンパシーを募らせる。それがぼくの『SSSS.GRIDMAN』への向き合い方でした。本当にすみませんでした。

新条アカネへの救済

 「キミを退屈から 救いに来たんだ」とは、オープニング主題歌「UNION」の一節。この物語は、やはり新条アカネを救いあげることがゴールだと示されている。

 そして彼女を真の意味で救ったのは、もちろんぼくなどではなく、宝多六花という「イレギュラー」だった。六花もまたその他大勢と同じく「新条アカネを好きになるよう造られた」「人間のふりをしたまがい物」である。だが、六花はアカネを友達だと真正面から言ってのけ、心配した。そして何より、アカネがこれまでしてきたことに異を唱え、自分の意思で神様に叛逆できる存在である。神の如き全能感を得ている新条アカネにとって思い通りにならないものであり、自分のことを大切に想ってくれる他者であること。神である自分と対等に接してくれる人物が実は誰もいないことを日々感じているであろう新条アカネにとって、宝多六花はかけがえのない「本物の友人」だった、ということに気づき、彼女は夢から覚めるのだ。

 ラスト、本作は短い実写パートで幕を下ろす。眠りから目覚めた少女を映し出し、傍らには六花が贈ったものと同じ定期入れ。自分の殻に閉じこもっていた新条アカネが現実世界に帰還し、新たな朝を迎える。グリッドマンたちが成し遂げた今までの闘いの真実は、彼女の孤独を癒し、孤独な神様ではなく一人の人間として生きられるよう歪みを正す、ということだったのだ。彼女の旅路が明るいものであることを願いつつ、どうやらその“夢の終わり”のその後がミュージックビデオという形で描かれていると知ったので、こちらも併せてチェックしたい。

 ところで、夢(虚構)から現実に帰還する物語として、似たような構造を持つ作品がある。『新世紀エヴァンゲリオン劇場版』である。

 こちらは、作り手の鬱屈した感情が暴力的なまでの音響・映像表現で炸裂し、自作のファンでさえも批評し、アニメに耽溺することを「逃避」として描いた問題作だった。今回、両者を比較して良い悪いを語るつもりはないが、時代を経て「虚構」に対する考え方が変わっていったことは興味深いと思ってしまう。

 碇シンジも新条アカネも心と心(個人と個人)が衝突して傷つく恐怖を知りながら、それでも他者と生きる道を選ぶまでが描かれた。その際、『新世紀エヴァンゲリオン』というアニメも『SSSS.GRIDMAN』におけるグリッドマン同盟の活躍も「夢」であり「虚構」であることは作中でも名言されてしまっている。けれども新条アカネの手元には、六花からの定期入れが残されたままだ。それは、六花の言う「どこへいっても、私と一緒」の実証であり、アカネにとって心を通わせた友人がいたことの、確かな証拠である。

 新条アカネにとってあの世界で数えきれないほどの罪を犯し、命を蔑ろにした事実は変わらない。だがしかし、神として虚構に耽溺し、そこで得た救いを持ち帰りリスタートする。それは普段、私たちが物語やエンターテインメントに生きる活力を貰っているのと、近しいものを感じる。現実は辛くて、生きることに躓いてしまうこともあるだろう。時代が混迷を極める中、「アニメに逃げるな!」と言われるだけでは、確かに息苦しい。新条アカネが救われると同時に、このアニメを観たぼく自身も救われたような気がするのは、作り手からの優しいメッセージがそうさせるのだと、信じたい。

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