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『キルラキル』十襲年を祝いたいので、全話の感想を書く(前)

 お盆休みが始まった。長い休みが始まるとどうなる?知らんのか。『キルラキル』が始まる。

 以前より、私のオールタイムベストTVアニメーションは『キルラキル』だという話をtwitterなりnoteなりで散々してきたが、十年が経っても本作は心の玉座を譲らなかったし、むしろその確認をするために一年に最低でも一回は通しで観てしまう。何度観ても同じ所で笑い、血を滾らせ、信じられないくらい落涙する。いつだってコンテンツに助けられながら生きてきたが、最もキくカンフル剤は『キルラキル』であり続けたし、今後の人生もそうなのではという予感もある。『キルラキル』に生かされ、ここまで来られた。

 さて、そんな命の恩人が十襲年を迎えたらしい。ということは、2013年から一時も絶やさず「激情版」を願い続け、今なおそれは結願していないわけだが、その期待が最も高まるメモリアルイヤーが今年というわけだ。

 さて、残念ながらそんな絶好の機会にもかかわらず、私は人の目を引く鮮やかなファンアートなんて描けないし、優れた二次創作をお出しすることも出来やしない、力のないファンだ。それでも出来ることを無理やり探すとすれば、上掲のスケールフィギュアをご自宅にお迎えすることと、こうして感想を書き殴るくらいだ。

 ただの自己満足だし、この行いが作品にとって何ら恩返しになり得る保証もないけれど、それでもやってみたい、やるしかないのだ。全ては、『キルラキル』を観たことのある人をもう一度本能字学園に復学させ、まだ『キルラキル』を観たことのない人がいるとすればその人の夏を人生で最もアツかった夏にするために、悪あがきをやってみよう、というわけだ。

 運悪くこのnoteにたどり着いてしまった画面の前の皆様は、どうか諦めて、一緒に『キルラキル』を観てほしい。さらなる展開を望む方は、その想いを叫んでほしい。『キルラキル』をまだ知らないという人は、クラスや職場での話題に出遅れないためにも今すぐ配信なりソフトを確保して、私と同じく激情版を待ち望み続ける一生を過ごしてほしい。

 総集編が短すぎるアニメを語るには、前置きが長すぎた。以下、1話ずつやっていく。

第一話 あざみのごとく棘あれば

 最高の1話、という概念がある。

 その作品のコンセプト、作品世界のルールや主人公が目指すべきゴール、キャラクターの魅力に世界観の説明など、その作品を構成する基礎や土台のセットアップを手際よく済ませ、強烈なアクションやキメとなるシーンをもって「私たちはこういうやり方で全話走り抜けます」という作り手からの宣言が感じられるような、そんな1話だ。

 例えば、私の中では『少女革命ウテナ』『仮面ライダーウィザード』のそれが該当するわけだが、無論、本作もそれに並ぶ完成度を有している。

 これから親の顔以上に見かけることになる印象的なフォント「ラグランパンチ」によって過剰なまでに仰々しく語られる本作の舞台「本能字学園」と、そこに通う学生たちに敷かれたカースト制度。その優劣の境目となる「極制服」の存在と、その星の数=階級こそがパワーに直結する、序盤の蒲郡パイセンの粛清シーン。俺たちの稲田さんが、初っ端から喉潰さんばかりに忠誠を誓う存在であり生徒会長の鬼龍院皐月の、鮮やかな後光。そしてそれらを遠くから睨みつけるスケバン風の主人公・纏流子の顔がアップになり、そしてその様子を後ろから捉え、澤野弘之氏手掛ける楽曲と共にタイトルが画面を埋め尽くす。何度観ても、惚れ惚れするほどに濃厚で、過不足なく作品のコンセプトが詰まったオープニングだ。

 赤いメッシュにスケバン衣装の我らが流子ちゃん、令和となった今はもちろん、十年前もなかなか見かけなかったデザインだし、演じる小清水亜美さんのドスの効いた声が芯の強さとぶっきらぼうさを強調する。されど、「頭を下げてる奴は殴れねぇ」という又郎とのやり取りしかり、義理人情に厚く優しい一面を持ち合わせていることも、実にスムーズに描写されていく。

 そんな彼女の前に現れ、嵐のように去っていった満艦飾マコ。彼女との出会いも流子の運命を大きく変える出来事なのだが、そのあたりは後ほど…。

 流子が本能寺学園を訪れた目的は、父の仇を探すこと。その父が唯一遺した片太刀バサミを見せると、皐月は何かを知るような素振りをするが、直後ボクシング部部長の袋田隆治に襲われ、撤退。落ち込む流子はかつての生家に戻るも、そこで言葉を話すセーラー服と出会い、無理やり着られてしまう!序盤からぶっ飛んだ展開で幕を開けた本作なれど、まさか『ど根性ガエル』要素まで織り込んで、しかもこのセーラー服、CV:関俊彦である。流石に面白すぎるだろ。

 一方本能字学園では、マコが流子を釣るための人質になっていて、なんかもう、すごいことになっていた!「今日見せパンじゃないのにー!」という満艦飾さんだが、見せパンを履く日ってあるの……?

 マコを救うため、何より皐月に近づくために、ボクシングリングに上がる流子。ワケあってその身を隠すためにマントを被っているのだけれど、その風来坊めいた御姿もキマっている。そして袋田の攻撃によって少しずつマントが剥がされていくと、ヘソ出し下乳丸見せのトンデモナイ姿になっていた!!これ、今なら企画通るのか、不安になるデザインだ……。

 もちろん、お色気のみが『キルラキル』にあらず。処刑ソングとして絶大な人気を誇る「Before my body is dry」をバックに、片太刀バサミによる三連パンチをキメて袋田をノックアウトし、おなじみ「戦維喪失」で生命戦維を獲得し、勢いそのままに袋田を皐月に向けて吹っ飛ばす。

 1話が全ての基準点になるとするのなら、『キルラキル』のそれは初回から手抜きなしの全力投球&フルスイング。有無を言わさぬテンポ感と作画の圧でハイテンションに20数分を走り抜き、数多の謎をバラ撒きながらも流子VS皐月の因縁という一本の筋を通すことで視聴者の興味を惹き、一度アクションが始まれば声の演技と劇伴のボルテージがグングン上がっていく。この1話を観せるだけでキルラキルとは何ぞやが伝わるような、本当に最高の第1話で物語は幕を開けるのだ。

 そして『キルラキル』最後のお楽しみと言えば次回予告。関さんの限界を試すかのように高いテンションとシャウトとセリフ量を要求するこの短い映像を観て、我々は次への期待を否応なく高められてしまうのだ。

第二話 気絶するほど悩ましい

 袋田との闘いに続き、今回のお相手はテニス部部長の函館臣子。臣子と皐月らの語らいを聞くに、本能寺学園は全国学園支配を目標としており、対外試合はその口実に過ぎないことが明かされるなど、ぶっ飛んだ世界観をより強調する会話を極めてシリアスにやっている彼女たちの、こう、ヤバさがね、大好き……。

 『キルラキル』のパワーバトルの基礎となる極制服だが、なぜ制服がモチーフなのかと言えば、こんなセリフが飛び出してくる。

「男子の詰め襟は陸軍の、女子のセーラー服はその名の通り海兵のものだ。この国は若人に軍服を着せて教育することを選んだ国家だ。ならば我々本能字学園は制服を戦闘服とする、服を着た豚達を支配する象徴とする」

 何の疑いもなく毎日着込んでは学校に向かっていたけれど、制服のそもそものモチーフは軍服そのもの。その歴史を逆手に取って、奇抜な設定にもちゃんと理屈を用意しているあたり、中島かずき味を感じられて、つい嬉しくなってしまう。ところで、これだけファシズムめいた統治が敷かれた学校においてヒトラーについての授業をしている美木杉先生、かなり心が太い方だと思いますが、皆さんはどう思われますか?

 一方の流子は、1話で助けた満艦飾マコに連れられ満艦飾家にお世話になり、マコとそれを育てた家族のこれまたヤバめの倫理観に触れるわけだが、両親を失った流子にとっては、その騒がしさも心の拠り所になっていくのは後の話数でも描かれた通り。1話が『キルラキル』の全部が詰まっている、みたいな物言いをしておいて何だけれど、実はあの「マコ劇場」の初出はこの2話となっており、一人だけリアリティーラインの異なるシリアスの破壊者マコの実力の一端が明らかになるのは、実はこのエピソードなのだ。

 それからもうお一方、美木杉愛九郎がその変態性頼れるお兄さん性を発揮し始めるのもこのエピソード。流子によって「鮮血」と名付けられたあのセーラー服が流子の血で動くことを教え、流子の父とも知り合いであったこと、鬼龍院財閥の人間支配を打倒するためのレジスタンスに所属していることが明かされ、そして誰よりも早く乳首を解禁することで忘れられぬインパクトを視聴者に刻みつけていった。CV:三木眞一郎なので、すこぶる声のいい変態である。

 函館臣子とのテニスバトル。相変わらずの超絶作画で激しく動き回り、流子が宙を舞い、裸を見られながらも立ち上がる。〆はもちろん流子の勝利だけれど、「コートでは頼れるものはひとりきり」「だれもわかっちゃくれないんだよ」の応酬がもう最高。そこから間髪入れず向かってくる皐月様、まだ神衣を身に着けていないにも関わらず、流子を撤退させるほどの太刀筋と威圧を見せつける。このあたりの「格」の描写が上手いにも、後に響いてくるわけでして。

第三話 純潔

 情けないことにソースを思い出せないが、誰かが話して曰く「キルラキルは3話ごとに最終回がある」における、最初の最終回です。何言ってるんでしょうね私。ただ、観た方ならわかります。1クール最終回だろこれ(3話)。

 物語は、皐月の独白から始まる。花嫁衣装として作られ、いずれそれを着ることを夢見てきた少女は研鑽を重ね、今は一つの高校の支配者となっている。そんな彼女が袖を通す神衣の名は「純潔」。

 そんな当エピソードの見どころは、なんといってもクライマックスの一大バトル。先に純潔を「人衣圧倒」した皐月の圧倒的戦力の前に一度は膝を着いた流子は、新たな気づきを経て「人衣一体」に至り、周囲の生徒を吹き飛ばすほどのアツいバトルを繰り広げる。『SSSS.』シリーズでもおなじみ雨宮哲監督も演出等で参加したというバトルシーンは、まさにTRIGGERの総戦力が投入された、凄まじい映像に仕上がっている。

 ただ、このエピソードで一番好きなのは、その流子が人衣一体に至るまでの、そのロジック。一見ナンセンスで荒唐無稽に思える設定にも、必ずその作品のルールに沿ったロジックや理屈が用意されていて、いつかは腑に落ちるようになっていく。要は、こちらがそれを受け止められるかをいつの間にか試されているかのような、そんな情報量のつるべ打ちに私は中島かずき節を感じてしまい、最高に楽しくなってしまう。

 流子よりも先に神衣の力を引き出した皐月だが、それは神衣を(圧倒、という形であれ)「着こなした」から。着るでも着られるでもなく、着こなすということ。一方の流子は、肌を露出することを避けられない鮮血を着ることを恥じており、真の意味で鮮血を着こなしていなかった。

 そんな流子が得た気づき、鮮血を着こなすことは、「裸になる」ということ。それは鮮血を脱ぐのではなく、自分の肌が鮮血と一体化するほどに、鮮血を着る自分と裸であることがイコールになるほどに深く深く「着こなす」ということを意味する。お天道様に肌を晒すことを恥じるのではなく、裸と変わらないくらいに堂々と鮮血を着こなしてこそ、二人は一体となって真の力を引き出すことに成功するのだ。「人衣一体」の力は二人の絆を繋ぎ、心身共に一心同体となる。それを祝福するかのように流れる、藍井エイルの「サンビカ」に、ダメ押しの「Before my body is dry」だ。これが最終回でなければ、なんだというのだろう(3話である)。

第四話 とても不幸な朝が来た

 前話の闘いを経て、「全ての部がお前を襲うだろう」ということになった矢先に、ギャグ回がやってきた。ただ、『キルラキル』はギャグも全力全開。遊びも本気じゃないと人生楽しくないって、針目縫も言ってたからね。

 なんでもその日は「NO遅刻デー」なる一日で、風紀委員の抜き打ち検査らしいけれど、始業までに学園に辿り着けなければ無条件で退学、しかも学園までには多数のトラップが待ち受けており、『パージ』級の無法地帯に無星生徒が追い込まれていくことに。ワケあって鮮血を着ていない流子も、ドタバタしながら学園を目指すが、とある思惑を持つ生徒・大暮麻衣子を助けることに。『グレンラガン』から観ていたファンはCV:井上麻里奈にニッコリすると共に、正反対のキャラ造形にびっくりする、そんなエピソード。

 この大暮麻衣子、風紀委員に属しておきながら、鮮血を奪取し鬼龍院皐月を打倒することを画策するという腹黒キャラなれど、お前に神衣が着られるわけがないだろう……と思ったら「恥がない」からこそ人衣一体を果たし、即座に3話を応用してくるこのアニメの走行速度の速さを象徴するいいギミックになっていた。実は彼女のその後はBD/DVDの特典ドラマCDで明かされるのだけれど……買おう!!

第五話 銃爪(ヒキガネ)

 さて前回に引き続き、『グレンラガン』ファン待望の「CV:小西克幸の男」が参戦する回。ただしカミナではないし、何なら「服を脱げ」が口癖だったりするけれど、この声がないと今石アニメじゃないよね。

 男の名は、黄長瀬紬。ハードボイルドで姉を失った過去を持ち、鬼龍院の横暴にNOを叩きつけるレジスタンス。ただしその組織名は「ヌーディストビーチ」……。おそらく「反制服ゲリラ」なるワードは、このアニメでしか聴く機会は訪れないだろう。中島御大のワードセンスが光りすぎている。

 紬はあらゆる手段で流子を追い詰め、鮮血を手放せと訴えてくる。それは彼自身が何らかの実験?によって姉を失った過去があり、彼曰く「服に裏切られた」とのこと。服は着るものであり、着られるものではない。神衣のように着る者に負荷をかけ、後のエピソードで描かれるような暴走の危険性まで孕んだものを、たとえ鬼龍院に対抗するためとはいえ容認できない。組織の中でも実力者でありながら、異端でもあるという立ち位置は、その名前に似つかわしくヌーディストビーチがお固くて何気に勢力がデカいことを伺わせる。

 と同時に、実は今回は満艦飾マコの物語上の役割についても、クローズアップされている。彼女の特徴、というより神衣を持たずして彼女が最強である所以は「マコだけリアリティーラインが異なる」ことにある。流子や皐月が血を流し闘う傍らで、なぜか一人だけ『トムとジェリー』の倫理で動くことのできる、誰も挙動を予想できないジョーカー。そんな彼女が、流子と鮮血の絆を信じ、その間を保ったからこそ、紬は猶予を与え、その後も幾度となく二人のピンチを救った。ある意味で満艦飾マコは勝利の女神であり、友情の力パワー(ちからパワー)こそが絶望を切り開く力となる……ということで合ってると思います……。

第六話 気分次第で責めないで

 今回の主役は、四天王の一人、猿投山渦。ここまであえて触れずに来てはいたものの、やっぱり檜山修之いないと今石アニメじゃないよね!!!というわけで、実家のような安心感を得られるエピソード。

 今回、早い話が「四天王の一人を倒したと思ったら、パワーアップして帰ってきて、コテンパンにやられた」というもの。

 いや、待ってくれ、なんでこれが1話(20分弱)にまとまっているんだ。

 猿投山渦。運動系の部活をまとめる四天王の一人にして、中学時代に北関東番長連合総代として君臨していたが、皐月に連合ごと倒されたことをきっかけに本能字学園に勧誘され、現在の地位を手に入れた。その強さの源は、かすかな動きから相手の次の行動を予測するという脅威の動体視力「天眼通」によるものだが、その能力は彼の慢心を助長し、事実その視界を封じられたことで流子に敗北されてしまう。

 ただ、猿投山自身も己の未熟さに気づき、あえて自ら目を塞ぐことで「天眼通」を封じ、残された感覚のみで流子に再戦を挑む。視力を失うことで他の五感が研ぎ澄まされる、というのはバトル漫画王道のパワーアップなれど、普通ならこれは「後の話数に取っておく」ような美味しい展開なわけで、それを惜しげもなく1話で消費してしまうスピード感は、他の追随を許さない『キルラキル』節と言えよう。

 こうして「心眼通」に目覚め、リベンジを果たした猿投山。極制服を着るから強いのではなく、極制服を着こなす「強さ」を持つ者こそが四天王たりうるのであり、そしてそれらを統べる鬼龍院皐月の強さとは何なのかを、四天王の過去のエピソードを通じて少しずつ明かしてゆく。次回を跨いでここから続く四天王の主役回は、彼らが強い忠誠を誓う鬼龍院皐月の君主論が展開される、中盤への種まきの物語。皐月様のカリスマにメロメロになるよう、わたしたちも仕組まれていたということだ。おのれかずき……。

第七話 憎みきれないろくでなし

 前述の通り、満艦飾マコはこの世界の倫理が通じないイレギュラー、バトル漫画の世界で唯一ギャグ漫画のルールが適応された女である。しかし、彼女の願いは至って普通だ。それは、学校に毎日通い、友達と青春を過ごすこと。だから「NO遅刻デー」において必死に抗うし、流子ちゃんを守るためなら紬の前に立ちふさがることも出来る。少しズレているけれど、強くて普通の女の子。それが満艦飾マコ。

 流子を倒せば三つ星に昇格できるということで、無駄に細分化された部活が毎日襲いかかるようになった流子&マコ。そんな中、部活の成果が生活を向上させるという本能字学園ならではのルールを逆手に取り、流子は「喧嘩部」を設立する。他の部と闘うために道場破りめいた行動に出た流子だが、ここにきてスケバン風の出で立ちに似合う振る舞いが出てくるのもなんだか面白い。

 さて、部長として朝の会議出席や提出書類など、様々な雑務に追われる喧嘩部部長の満艦飾マコ。これまで倒してきた部長キャラクターたちの見えない苦労が察せられると共に、周囲から馬鹿と揶揄されてきた彼女も目的や理念のためなら頑張れる一面があることが描かれ、「家族のキラキラした生活を私が守る」と健気なところが愛らしい。その一途さ、一生懸命さゆえに大切なものを取りこぼしてしまいながら、後に引けなくなってしまう不器用さも、マコの魅力なのだ。

 優雅な生活は手に入り、ちゃんとお肉100%のコロッケが食べられるようになった。でも、みんなギラギラして、家族はバラバラになった。流子は退部届を出し、皐月は極制服をマコに与え焚き付ける。重要なのは、マコは「着せられているに過ぎない」ということ。他人から与えられた生活で、他人から与えられた服を着て流子と闘うマコは、裸でもありのままでもない、着せられてしまった状態。そしてそれは、満艦飾家全員もそう。だから、もう一度家族になるためには、借り物の服は脱ぎ捨てなければならない。

 みっともなく下着姿になって、土下座を晒す満艦飾一家。1話における「頭を下げてる奴は殴れねぇ」がここでリフレインされるの、“粋”すぎる。ボロ屋に戻って無星からリスタート、笑顔でコロッケを頬張る流子ちゃんの笑顔の、なんと可愛らしいことよ。そしてそして、一度きりと思われた喧嘩部部長満艦飾マコがクライマックスの大号泣ネタとして帰ってくるわけで、マコが愛されてることをひしひし感じるのだ。

第八話 俺の涙は俺が拭く

 本能寺学園における大改革、服に着られている輩をあぶり出すためにあえて流子を泳がせていた我らが皐月様は、次は壊惨総戦挙の開催を宣言。四天王すらも一度その座から引きずり降ろし、弱肉強食の世界で勝ち残ってみせよと迫る、王者の風格が凄まじい。そんな中、今回は俺たちの稲田さん蒲郡先輩のエピソード。身体もデカければ若葉マークもデカい。そんな男。

 まるで全話の満艦飾家のように、無秩序になった本能字学園は誰もが成り上がりを目指して下剋上が始まった。よく観ると、乱闘シーンの中で一つ星の生徒が二つ星の生徒に闘いを挑む描写があり、誰もが上に行くことに必死。そんな中でも、マコは無星であるからこそ「失うものはない」と焦りを見せないし、大黒柱の薔薇蔵曰く「目先の欲であくせくしても仕方ないのはこの間の件でよーくわかったからな」とのこと。体制に服従する者と、抗う者。この両者をきっちり描くことで、本当の「豚」とは誰なのか、という問を視聴者に見せつける。

 さて、蒲郡先輩。平素は敵でも、皐月様の側にいなくてもよいときの彼は、ある意味でリラックスした一人の学生で、風紀を正す者として困った生徒はたとえ流子であっても見過ごせない、というところが立派。きっと運転も清く正しくなんだろうな、と思わせてワリと大胆なドライブをする。嫌いじゃないぜ、そういうの。

 回想シーンは5年前。中学時代は生徒会長であった蒲郡は、目の前でイジメによる生徒の飛び降りを防げなかった、という過去が描かれる。その生徒を自社製のトランポリンで救い、不良生徒共を一網打尽にしたのは、当時の皐月様。彼女もまた、不良側同様に親の権力を利用する者とは言えるものの、皐月はそこに恥も驕りもないという意味で「清い」わけで。シン・ゴジラ風に言えば「親のコネも 臆することなく 利用する」皐月様。

「親の力他の力、全てを利用する。だが使うのは私だ。すべての力を呑み込んで、私自身の力とする。それが覚悟の違いだ」

 その姿を見て蒲郡はなぜ皐月様の元に下ったのか……は次回に持ち越しとして、ついに決戦闘兵が開幕。四天王と一対一のバトル、王道の展開がやってきた。ギャグボールを伴うそれを「制服」と呼んでいいのか、次回予告で堂々と「変態」と呼ばれる蒲郡先輩の明日はどっちだ!?乞うご期待。

第九話 チャンスは一度

 脅威の二段階変身を有する、蒲郡の極制服。中島かずきは後に『仮面ライダーフォーゼ』の劇場版でイナズマンを客演させるわけだが、実はすでに“やっていた”ということになる。

 相手から受けた攻撃のエネルギーを吸収し、それを解き放つという「縛の装」と「死縛の装」。いかなる攻撃を受け止める盾であり、風紀を乱す者には愛のムチを振るう、コンセプトに叶った能力なれど、誰からも攻撃されないのなら自分で自分を攻撃するという、流子ちゃんの格好以上にインモラルな光景が繰り広げられることに。

 ここでもう一度回想シーン。皐月は、親の力や権力でさえも自分のものとして扱いきることを「覚悟」と表するわけだが、蒲郡もまた自身の「覚悟」を示すことで、皐月の前に立ちふさがる。力で勝てないのなら、それを受け切ることが自分の守りたい風紀なのだと。「力では決して屈しない存在がある」ことを示すことで、皐月様が持ち得なかった価値観を与えたという意味で、実は数少ない彼女に勝利した人間の一人という蒲郡。その覚悟を見込んで本能寺学園にリクルートされ、そして今や立派な皐月様の盾として君臨することに。力だけではない強さを見せつけた彼の「覚悟」が、一瞬でも鬼龍院皐月を上回った瞬間が、たしかにあったのだ。

 その覚悟を、身体にムチ打って証明する蒲郡。一方の流子は、あえて蒲郡の鉄壁の内部へと入り込み、新形態「鮮血閃刃」でその防御を解き、見事逆転。純潔を圧倒し着こなす皐月とは異なり、鮮血との絆を深め、その場その場のアイデアで進化し、強くなっていく。服を着こなすことのその先は、「友達になること」であった……というわけで、実はマコはそのことを見抜いていたのだ!マジで強いな満艦飾マコ。

第十話 あなたを・もっと・知りたくて

 次鋒、犬牟田宝火。凄腕のハッカー能力を見込まれて本能字学園に招かれた彼は、今やデータキャラとして四天王の一人に。体中にキーボードが埋め込まれたデザインの極制服だけれど、背中にあるの、打ちづらくない??

 データによる敵の行動の分析と、光学迷彩による見えない場所からの攻撃で敵を翻弄する犬牟田。ところが、「見えないのならバトルフィールド全体を攻撃すれば良い」という無茶苦茶によって、呆気なくピンチに。あわや敗北……というタイミングで、取得したデータを守るために棄権を宣言する。これにより、流子は生命戦維を取得し損ねたわけで、案外そのあたりも犬牟田の策略のような気がする。

 間髪入れず、蛇崩乃音との戦闘へ。楽器を融合させてデンドロビウム化させたわけだけれど、これでも「制服」を名乗る気でいるのだろうか。生命戦維を苦しめる音波でその動きを鈍らせ、追い詰めていく乃音と、「鮮血疾風」に進化し飛行能力を得た流子と鮮血。短い時間で二つの形態変化を手に入れた二人のシンクロに危機感を覚える美木杉は、紬を招集。強くなりすぎた力の暴走は、後のエピソードで描かれることに。

第十一話 可愛い女と呼ばないで

 針目縫、いよいよ参戦。ぼくはこの人に田村ゆかりさんを割り当ててくれた人に、24時間365日感謝しています。

 これまで、流子の父の命を奪った下手人は皐月では?という疑いこそあれ、四天王との回想シーンを観る限り、どうもそういう人物には見えてこない。そんな中、皐月の母である羅暁の存在が少しずつ表に出るようになり、そして針目縫が登場する。

 リボックス社のグランクチュリエ(高次縫製師)である縫なのだが、grand couturier(仏)は男性形の語というのは有名な話で、天眼通を持つ猿投山も縫を女性と認識しているけれど、その真実は未だ明らかになっていない。が、その出自を思えば彼女(彼?)もまた羅暁の娘と呼べる存在であり、流子や皐月とも因縁の深い人物。そして何より、流子の父・纏一身を殺し片太刀バサミを奪った張本人というわけで、流子にとっては許されざる存在。CV:田村ゆかりのいい意味で甘ったるい声で煽られると、クソっ……その……なにかが昂りますね……❤❤

 皐月は縫を母・羅暁の差し金と睨んではいるが、その真意はまだ掴めておらず。突然現れて、猿投山の尊厳を破壊して、場を引っ掻き回す縫の存在は、物語を加速度的に進行させてゆく。流子にとっては父親の仇、皐月にとっては打ち倒すべき母親の尖兵。これまでの対立構造を大きく転覆させるイレギュラーの参戦は、『キルラキル』前半1クールのクライマックスを飾る素敵なサプライズと言えよう。

第十二話 悲しみにつばをかけろ

 『キルラキル』とは、満艦飾マコである。この存在がいなければ、流子も皐月も、その願いを成就できなかっただろうし、人類は生命戦維の奴隷になっていただろう。そのことを示す、1クール怒涛の締めくくりであった。

 怒りに飲まれ暴走する流子と鮮血。それを止めるべく高みから降りた皐月。暴走を止めんと介入する紬と、それを排除しようとする縫。勢力図が入り乱れる中、神衣と神衣の力がぶつかり生まれた海を泳ぎ切るただの一般人こそ、満艦飾マコである。

 各々の思惑が交差する中、友達である流子を取り戻すために臆せず戦闘の最前線に介入していくマコ。その無法ぷりたるや、皐月や縫ですら蚊帳の外に置かれるほどで、『キルラキル』という作品ルールすら捻じ曲げて存在が許されるマコの異常性、それでいて「友達を助けたい」という普遍的で美しい動機の元にそれを振るうことの出来る彼女だけが持ち得た強さが、流子を復讐鬼から人間に引き戻せた。

 一方で、縫の介入によって戦局は大きく変動した。流子にとって憎むべき相手は皐月から縫に変わったけれど、皐月は流子に対する態度を軟化させることなく、寧ろ煽り立てるような言動を繰り返し、自身もまた全国学園支配に向けての「三都制圧襲学旅行」の実施を宣言。その真意、刃を向ける矛先はどこなのかは、もう少し後のエピソードで明かされる。

 羅暁・縫のリボックス社は、生命戦維に奉仕する役割を持ち、全人類を服の奴隷にすることを願う。その支配に対抗する反制服ゲリラのヌーディストビーチは、徹底抗戦を挑む。打ち倒すべきラスボスが皐月からスライドしてきた中で、ここで前半戦が終了。これからさらに勢いを増していくことが予感できる幕引きと共に、この感想戦も後半戦に挑む所存である。

『キルラキル』十襲年を祝いたいので、全話の感想を書く(後)に続く!

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