初めて買ったDVDは『仮面ライダー龍騎』の劇場版
とある理由により、東映特撮ファンクラブに再入会している。他サービスでは配信されていない仮面ライダーやスーパー戦隊、過去の東映特撮作品にオリジナル作品がズラリと並び、一度その暖簾をくぐると抜け出しづらい、やはり不思議な魅力のあるサブスクサービスである。
作品一覧のページを、まるでレンタルショップの棚のようにザッピングしていくと、ついつい色んなタイトルの前で足を(スワイプを)止めてしまうのだ。この映画そういえば公開当時以来見返してないな、とか、BD特典のあれも配信されてるんだ、などの発見は枚挙に暇がない。その中でもこのサービスのお得感を感じるのは、平成ライダー劇場版のディレクターズカット版が網羅されているのを見かけた時だった。
いつの間にかこの文化も途絶えて久しいが、『アギト』から始まった平成ライダーの劇場作品は、劇場本編のDVDが発売されておよそ半年後ほどに、公開時にカットされたシーンを復元し再編集した「ディレクターズカット版」のソフトが発売されていたのである。その追加シーンは10分以上に及ぶものであったし、中には使用劇伴やカットの編集まで細かく変わっているものもあり、子どもながらに「映画のバージョン違い」を初めて認識したのはこういった平成ライダーの作品群だった。
時は遡り、2002年。私はもう『仮面ライダー龍騎』に心を奪われていた。当時は小学生で、インターネットも個々人が携帯電話を持つことなんて想像も出来なかった時代で、この世代の仮面ライダーを通じたコミュニケーションといえば「ごっこ遊び」である。
子どもながらに苦しい家計環境を察してか、Vバックルやカードを読み込むバイザーといったなりきり玩具を親にねだるようなことも出来ず、そのかわりに自分と同じく『龍騎』にハマり、わりと玩具を買い与えられていた“当時の親友”の家に遊びに行っては、TVCMで見かけた新商品を愛でるように遊んでいた彼からいくつかのアイテムを借り、自分もライダーになった気分を味わっていた。作中の城戸真司や秋山蓮のように、空き地に乗り捨てられたような車の窓ガラスにカードデッキをかざし「変身!」と叫んだ回数は数え切れないし、周りが続々とニチアサを卒業していく中で、自分と彼だけは仮面ライダー好きのどこにでもいる子どもで居続けられた。
そういえば、彼との小さな喧嘩の理由の一つが、当時私がまだ観ていなかった『仮面ライダー龍騎EPISODE FINAL』を彼がすでに観ていて、作中登場する謎のライダー・リュウガの正体と、映画のオチをバラされた時だ。当時「最終回 先行映画化」と大々的に報道されていたこの映画のあらすじを開陳されることは、『龍騎』全体のネタバレ(当時は“ネタバレ”なんて言葉もなかった)を喰らったようなもので、それに対して当時の私は酷く怒り、彼と言い争いをしてしまったのだ。白倉Pが見たら、なんと滑稽なことだと笑われてしまうかもしれない。
実際の『龍騎』の最終回がどうなったかは皆さんご存知であろうから、ようやくタイトルの話をしたい。TVシリーズ最終回放送の数日後、調べてみたところ2003年1月21日に発売された『仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL』のDVDこそが、私にとっての初めて買ったDVDなのだ。いつもは貯金ばかりしていたお年玉の中から5千円札を握りしめ、家の近くのCDショップ(!!)に走ったことが、どうにも懐かしい。
何度も繰り返すが当時は映画の配信サービスなんてなかったし、観たい映画はレンタルビデオが旧作一週間になってようやく親におねだり出来るような時代だったのだ。そこにきて、新作DVDを買い、返却することもなく、家で何度も観られる。好きなシーンを何度も見返して、龍騎たちの命を削る闘いを何度も楽しめる。
それ以前に、そのタイミングが我が家に「DVDプレイヤー」が来た、ということも大事件だったのだ。VHSからDVDへとメディアが変わり、子どもの目にも画質の向上は明らかだったし、そもそも「メニュー画面を操作して音声や字幕を切り替える」だとか「特典映像の存在そのもの」が、特大のカルチャーショックだったのである。映画本編以外にも観られるコンテンツがあって、そのお得感は小学生には衝撃が大きすぎた。また、最後まで観終わった後にテープを巻き戻す必要がない、ということを理解するまでには、数日を要したことを覚えている。あぁ、我ながら、微笑ましい。
それ以来、『EPISODE FINAL』のDVDは宝物だった。テープではないので擦り切れることはないが、その表現が相応しいくらい、何度も繰り返し観た記憶がある。今でも映画の劇伴を聴くと、当時住んでいた家の、決して大きいとはいえないブラウン管TVの質感を思い出して、つい泣き出しそうになる夜もある。
で、そんな生活を長く続けていた頃に、何気なく持ち帰った東映ビデオのフリーペーパー的なカタログの中から、それを見つけてしまうのだ。
アギトだってやってたんだから、龍騎も当然出るだろう。そんな判断が小学生に出来るはずもなく、そのカタログの表記を何度も見つめ、ただただどうしていいかわからなくなった。
20分間のシーンが追加され、なんとメイキングも収録された特典ディスクまで付いてくる。特典ディスク、初見の単語だった。特典映像だけのためのディスクがあるのか!?!?そんな、そんな贅沢なことがあるのか……?
当時の幼子(私である)は、悔しさに打ち震えていた。「早かった」のだ。あと半年ほど待てば、より中身の広がった劇場版『龍騎』のDVDを買うことだってできたのだ。勇み足だったのだ。上掲した商品説明の“完全なる”の一言が、敗北感をより一層印象付けた。
今となっては劇場公開版もディレクターズカット版もそれぞれに価値があることを知っているが、当時の私は“完全でないもの”を買ってしまった、という認識が強く、小学生ながらに悔しさを隠しきれなかった。そういうのが出るなら早く言ってくれよ、の気持ちもあった。これまでのお年玉を貯金していたから、ディレクターズカット版のDVDを買い足すことも出来たはずなのに、その“買い足す”がなぜか受け付けなくて、結局それを買うこともなかった。後日、ディレクターズカット版のDVDが店頭に並んでいるのを見かけて、目を逸らすようにしたのが最後の思い出だった。
あれからもう20年、自分で稼いだお金で映像ソフトを買ったり、観たいコンテンツのためにサブスクに入ることだって気軽にやれてしまう年齢になってしまった。それを思えば、「5千円」の価値が当時とはまるで違うのだな、ということになる。小学生の頃はDVD一本でこれほどまでに悔しい想いをすることもあったが、今となってはバージョンの異なる一本の映画を見比べることも「一興」に数えられる程度の年数を重ねてきた。これって、オタクにしかない習性だよなぁ……。
というわけで、目下買い替えを狙っているのが、2023年からリリースされている『ゴジラ』シリーズの4KリマスターBD。美麗になった映像もそうだが、新たに発見された特報映像などの新規映像特典についつい釣られて、ことあるごとにまとめ買いを計画しているのだ。
欲しいソフトを好きなタイミングで買う。当時出来なかったことをやって、「大人をナメるなよ」と、幼い自分の傷ついた心を慰めるのである。