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会社の偉い人に局部を見られた。

【注意】
①下品です。
②男性器が登場します。

 師匠も走るくらい忙しいから「師走」というように、昨年末はとにかく忙しく、常に走っていた。決して広くもなく、むしろ曲がり角の多いオフィスを、落ち着きなくドタドタと足音を鳴らしながら忙しなく動く大柄の男は、同僚たちの目にはみっともなく映ったはずだ。恥ずかしい。

 そして忙しくなると、私はいつも「せっかち」になってしまいます。ご飯を食べるスピードは当社比1.5倍速になり、歩きながら上着を羽織ったり電話も早口になったりと、とにかく何でもスピーディーで雑で動きが多い。元より歩くスピードが速いこともあり、無意識に威圧を与えてしまいよく注意を受けてきました。

 ところがまぁ、仕事が忙しくて余裕がなくなると、上司の叱責もどこへやら。スターを拾ったマリオのように猪突猛進する私の靴は、しょっちゅう至る所にぶつけるので買って二ヶ月なのに踵が摩耗してボロボロになり、膝やふとももには内出血の跡がびっしり。一体どのように暮らしたらこんなに負傷するのか、両親が見たらきっと心配するに違いありません。

 そしてその日は、とくに忙しかった。鳴りやまない注文の電話を捌きつつ、2階の事務所と1階の現場を往ったり来たりして、来客の応対に備え準備をする。いくら感染対策で人を減らしたとて、お客様にそんな事情は関係なく、例年通りの業務量を少ない人数でこなさなければならないハードな年末、私のせっかちモードは極に達していました。

 「片手でモノが食べられるという理由でサンドイッチを作ったあの伯爵は天才だ」と頭の中で唱えながら、片手でキーボードを打ち、耳元には受話器を添え、空いた手でサンドイッチを口に放り込む。お偉方がお行儀の悪い私を険しい顔をして見つめるが、悪いが今の私は顧客第一、無言のプレッシャーを華麗スルー。ところが生理現象だけはスルーできず、先ほどまで何の動きも見せなかった下腹部に突然感じ始める……尿意

 今すぐトイレに行きたい。しかし、このOBのおじいちゃんはとにかく話が長い!!今すぐ話を打ち切らないと、漏らした私の雇用契約が打ち切られてしまう。「これじゃあ自滅の刃ですね」と以前から温めていたギャグが脳を駆け巡るが、仕事を失ってまで取りたい笑いでもないだろう。

 焦って早口になりそうな口をなんとか抑え(おじいちゃんは早口だと聞き取れないのだ)、ゆっくり丁寧に「アナタの要求は全部把握しており、ところがコロナの影響で何やかんやあって例年以上に時間がかかるが、許してほしい」という意向を伝える。極めて平静を装った、流麗な声で。

 そして受話器を置いた途端、上官に呼ばれた兵士を思わせる機敏な動きで立ち上がり、下腹部に刺激を与えないよう、しかし可及的速やかに目的地にたどり着くような速さで事務所を出て、いざご不浄へ。

 もう限界だった。下の御チン様が悲鳴を挙げている。ゴメンな、不甲斐ないご主人様で。もうすぐ楽にしてやるからなと、トイレに向かって走る。うおォン、俺はまるでセリヌンティウスの元に向かうメロスだ。あるいは今流行りのウマ娘だ。♂のトウカイテイオーだ。

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 ところで、多くのトイレがそうであるように、弊社のそれも短い直線の通路を経た後、男と女、左右に分かれている。だから私は右の男子トイレに向かえばいい。簡単なことだ、迷うこともない。

 だが、思い出していただきたい。その日の私はせっかちモードLV.99なのだ。頭の中はすでにトイレから戻った後の業務の流れのフローチャートを組み始めている。なので、他の全ての注意が疎かになる。いつもの「歩きながら」が発動する。

 どういうことかと言えば、一直線の通路から男子トイレへと至る曲がり角を歩きながら、私はスラックスのチャックを下ろし、モノを出していたのである。「いつ息子をお出しになりますか」と該当アンケートをしたとして、100人中99人が「便器の前に立った時」と答えるだろうが、私は少数派の1人の方だ。常に最速最短を心がけるお仕事モードの私はついに「歩きながら排尿の準備を整える」領域に達していた。

 想像してみてほしい。早歩きの大男が、大事な部分がまろび出た状態でこちらに歩いてくる光景を。軽くホラーだし、解釈によっては何らかの法を犯している可能性すらある。ところがこの成人男性、至って真面目に仕事をしているだけなのだ。ただちょっと、人よりせっかち☆なだけなのだ。

 こうして念願の男子トイレに辿り着き、便器まであと数歩の段階で気づいた。先客がいた。用を足し終えて、洗面台で手を洗おうとしている人がいた。目が合った。「あ、すみません」と道を開けてくれる。局部を丸出しにしている男性を目の前に、至って冷静なムーブ。

 「すみません」譲られた道を経て、いよいよゴール。緊張と緩和。尿意からの解放は恍惚へと変わる。そしてわずか1秒後、恍惚は焦りへと変わる。「見られた、本部長に」。

 たまたま(タマだけに)、その日は本部の偉い方が来社していたのである。こんな状況下でも出社して頑張ってくれている皆さんへ、と高価なお菓子のお土産を持参してくれた、実年齢とは似つかわしい若々しさのナイスミドル。部下からの信頼も厚く、優しくも時に厳しいと噂のスゴい人。確か息子さんも慶応か早稲田かどっちか行っている。どこに出しても恥ずかしくない人格者。

 その本部長にだ、何も包み隠さず“自分”を見せつけてしまったらしい。冬の寒さで縮こまったソレが、さらに内に籠ってしまった。引きこもりである。人間、用を足している時が一番無防備というが、全てを警戒して身体という主体に逃げ隠れしようとする自分のモノに、私は哀愁と憐憫を感じていた。これが生命の本能とでもいうのか。なんと愚かで滑稽だろうか。この光景を見て、シェイクスピアも戯曲を書いたかもしれない。題名は「テンペスト(大嵐)」だ。

 とはいえ、業務とお客様は待ってはくれない。用を足して手を念入りに洗って、私は何食わぬ顔で自分のデスクに戻る。溜まったメールを処理して、納期の遅れをお詫びする文章を作る。そうして21時過ぎまで業務をこなし、その年の年末は前年比145%の売上を確保できた。本部長は面談を終えて帰っていった。立ち去る前に事務所にも挨拶に来てくださったらしいが、その時急な来客があり会議室にいて離席していたのは、神のささやかな救済だったのかもしれない。







 そんな出来事から一か月と少しが経って、「頑張ったのはわかるけど残業が多いゾ」くらいのお言葉くらいで、まだ会社にいる。てっきり年内いっぱいということで無職になる心構えをしていたが、さすが人格者の本部長、「局部を露出する」程度では首切りの理由にはならないらしい。

 人の慈悲により職にあぶれることなく、なんとか生きながらえている。繁忙期も過ぎ常識的な時間に退社できるようになって、私のせっかちも春眠に入った。余裕のある生活、素晴らしい。これで当分は「大切なもの」を晒す失態も犯さないだろう。

 思い返せば、私は昔から自己主張が苦手な子供だった。親にアレ買ってコレ買ってと我儘を言うこともせず、誰かに頼み事をするのも苦手で、就活の面接では自己アピールを要求される度に胃がキュッと締まるのを感じた。そんな子が今や社会人になって、一番のウィークポイントを晒すところまで来ている。

 二度と過ちを犯すまいと誓ったはいいが、「歩きながら〇〇」の癖は治らない。冬が近づく度、その時のことを思い出して、心と恥部が縮こまってしまう。その羞恥心から目をそらすように、焼酎を飲んで眠りにつく毎日。

 余談だが、先日「新宿のど真ん中で全裸」という夢を見てしまったのだが、もしかしたらあの日から何かタガが外れてしまったのかもしれない。

 何もないといいのだけれど。

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