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傷付けてくる人は、悪い奴でなければ困る

父は彼女がいる。
二人の間には障がいのある子供がいる。
そして私とその子は腹違いの姉妹。

その彼女に、
「笑わないで聞いてね。子供が欲しいと考えているの」と打ち明けられた。
上の子が障がいを抱えているから
その子を見守るきょうだいを作ってあげたいの、と。
だから不妊治療のことについて
教えてほしい、と言われた。


私は最初に、心臓に爆弾を投げつけられたように衝撃をくらった。
そして全身の力が抜け、怒りもあったが呆然とした。
その日から、体も心も自分のものじゃないみたいに重く思うように動かせなくなった。

そうなった理由をいろいろ考えてみた。
まず、バカバカしい!と思った。
「私達は、結婚をしていない中途半端な関係であなたに嫌な思いをさせてきた」と言いつつ、また腹違いの子供を作るのか。
私の家系を、また汚すのか。
大体、親の性事情なんか聞きたくない。できただの、産んだだの、堕ろしただの、いつもなんなんだ!
現実的な状況として、閉経をしていること、卵子凍結もしていないし、パートナーである父と何の話し合いもしていないと言うし、金銭的にも余裕がなく親にも借金をしている状態。なにもかも、めっちゃくちゃ。

それから、責められていると感じた。
私が結婚して実家を出たことで妹の面倒を見てくれない、と言われているような気がした。  

かわいそう、という気持ちもあった。
「自分の親だから」という呪いに苦しんできた自分と、仮に生まれてくるきょうだいがいるとして「自分のきょうだいだから」という呪いを、生まれる前からかけられるその命と自分を重ねて見ていたんだと思う。

そして最も認めたくなかったが
時間をかけて導いたことは
「私はこの人が嫌い」
「こんなに私を傷付けてくる人は、悪い奴でいてくれないと困る」
ということ。

私の中で、「嫌いになってはいけない」というのは無意識レベルであったと思う。

「お世話になったから」
「お前のことをいつも考えてくれているから」「いい人だから」「愛情深い人だから」と、彼女のことについて父にずっとそう言われてきた。

そんな人を嫌いになってしまったら、私が薄情で愛がなくて鬼のような人間であることになってしまう。
だから私が傷付いたことにも、正当な理由が必要だった。傷付けてくる人は、悪い奴でなければ、私には怒ったり悲しんだりする権利がなかったのだ。

それに気づいたとき、
久しぶりにワアワア声を上げて泣いた。
ほんとうに悲しかった。ムカついた。
 
なんでなのっ、ムカつく!いつもそうじゃん、いつも私ばかり!私こんなに我慢してるのにっ!傷付けないようにしてるのにっ!
なんで私ばかりこんなに苦しまないといけないの!!もう死んじゃいたい!!

それを見ていた夫から
「嫌いでいいじゃん。いいところがある人でも、嫌いな人は嫌い、よ。
いいところがあってもおかしなところもたくさんある人じゃん。だからって別に縁を切るとかでもないし」
と言われた。

嫌いと思いながら交流してもいいの?
嫌いなことに理由がなくてもいいの?
いい人の言葉に傷付いてもいいの?

いいんだよね。

裏を返せばそうだから。
前のブログでも、
私がどんなに細心の注意を払っても傷付く人がいること、それを許すことを書いた。
だから人を嫌うことや傷付くことを自分にも許していいんだと気付いた。 

だってそれは人の価値と関係ないことだから。


攻撃してくる人がやたら増えたときは
自分の心がすごく傷付いているのかもしれない。
多分、攻撃される前から傷付いている。
なのに傷付いていることを認めるには、
傷付ける存在が必要なのだ。 
でも、ただ理由もなく傷付いていると感じていい。ひどいことをされていなくても、周りに悪い人が見当たらなくても。
正体は古傷(未完了の感)である可能性が高いけど、まずは今のこの感情を認めてあげよう。












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