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【アウトプット】親子ビリーフリセットベーシック講座 第3講の学び

親子ビリーフリセットの講座のアウトプットです。
親子ビリーフリセット (oyaco-happy.com)
第2講はまとめきれないまま時が経ちました・・・いつかやろう(-_-;)

と言っても第3講はエネルギーめっちゃ使ったから記憶が薄いです。
講義のところは復習しないと・・・。


事件は何かのサイン。問題は宇宙の計らい。

問題をどうにかしようとすると、大体別の問題が発生し
それを押さえ込もうとして、もうどうしようもない状態になってしまう。
10代~20代前半はまさにそんな感じの人生だったと思う。
問題が起こることを嘆く一方で
私が幸せになる権利はない。とか
私は幸せになってはいけない。とか
もうどうにでもなってしまえ。とか 
そんなことを思って自ら問題を呼び寄せていた節もある。
起こる問題は私の状態を映し出したものだったのだろうか。

苦しいと感じるときはなんとかしようとしている。
これまでの人生で特につまづいたなと感じるのは恋愛だったと思う。
思い返せば、人を愛するのも、愛されるのも、本当に怖かった。
私が幸せになる権利はない。私は幸せになってはいけない。
幸せを感じると発動するビリーフ。
この幸せは永く続かないから・・・
幸せを知ってしまうと、一人になったら後々もっと苦しくなるから・・・
元々は苦しみを感じないようにしたかっただけなのに
そんな器用なことはできないから
苦しみも、幸せも、ネガティブもポジティブも、陰も陽も、
本当はそこにある自分の感情と向き合うことそのものをやめて
逃げて逃げて逃げて、迷い込んでいたと思う。
なんとかしようとして苦しい。苦しいからまたなんとかしようとする。
幸せなのに苦しくて、悲しいのに笑っていた。


未完了の感情

感情は何層もの階層になっており複雑。
しかも抑圧などの防衛規制がはたらくので一層ややこしい。
(防衛規制・・・フロイト)
(二次感情、怒りの目的・・・アドラー)
本当の感情に何層も蓋をするのは本当の感情を感じると生きていけないから。
私の場合、恋愛ではそれが顕著だったと思うけれど
もっと昔の、幼い頃の傷つき体験で「生きていけない」と思った私がいたらしい。
それがなんだったのか簡単には思い出せない。思い出すとまた傷つく。
それはなんとなく分かっていたけれど、それを体感できたのが感情のワーク。
まず、あかりさんの誘導で瞑想をした。
夫が出張で寂しいなと思ったことをぼんやり感じていた。
そうすると眠りにつくまえのような、気が遠くなる感じになった。
夕暮れ、実家の縁側がまぶたの裏にうつる。
小学生ぐらいの私が縁側の窓をにらんで立っている。

おばあちゃん。

ああ、これはくも膜下出血で緊急手術になった祖母が入院したときのことだ。
寂しい。どうしたらいいの?

父はその頃アルコール漬けだったから祖母がいないと生活が成り立たない状態だった。
だから祖母の入院中、どうやって生活していたかさっぱり思い出せないけれど
とにかく怖かった。どうやって生きて行こう?と思案したと思う。
今回こそ施設に入るのかな、とか。よその家に(おじさん夫婦とか)お世話になるのかなとか。
でも施設には入らなかったし、祖母のいない家で父と生活したのだと思う。

怖い。寂しい。夕方がこんなに苦手なのは、あの時の私が泣いているからかもしれない。

寂しい。寂しい。寂しい。

感情のワークでは、感情を手にとり色をつけ形や触感を想像する。
それが身体のどこにあるか感じ、手放してもいいし元に戻してもいい。

私は感情を手に乗せることができなかった。

胸の奥、みぞおちの上、もしかしたら胸骨の裏側らへん?にあるような感じがしたけれど
この感情は取り出されるのも触られるのも怖がった。
だから、手の上に鏡でうつすようなイメージをした。
グレーで、質感は毛玉のような感じがした。
「そこにいたんだね。そこにいていいよ」と声をかけた。

ここまで書いていて、もう言語の限界を感じる。
ちょっと正直あまり覚えていない。でもすごく寂しかった。
そしてそのあと猛烈に身体が疲れて、講義を聞くので精一杯という感じ。
未完了の感情がどれほどの傷と結びついているか、体感できたのが本当によかったと思う。
それから感情=私ではない。だから感情は扱える。

本当に言いたい話を聞いてもらえると涙が出る
お母さんに話を聞いてもらうワーク。
「お母さん」と声をかけても振り向かないバージョン。
「お母さん」と声をかけて振り向いて「なあに?」と言うバージョン。
私は「お父さん」でやってもらった。

実際は「お父さん」と声をかけて無視されることはあまりなかったけれど
大体「なんだよ」「ちょっと待てよ」「うるさい」みたいな返事だった。
多分父は構えていたんだと思う。こいつ今度は何を言い出すか、と。
もう私は言いたいことなんて喉の奥に逆戻りしていた。
でも言いかけて「やっぱりいい」なんて言おうものなら聞くまで問い詰められるので
大体、無難なことを言っていた。
大丈夫なやつ。傷つかないやつ。
そしてそれは「つまらんことばかり言うな」「当たり前のことじゃないか」と一蹴されるんだけど。

そんな感じだったから声をかけても振り向かないバージョンに痛みはなかった。
でも、振り向いて「なあに?」と言うバージョンは涙が出た。
なんでもない、呼んだだけって言っても許される感じがしたし
くだらないことを言ってもちゃんと聞いてもらえる感じがした。
それと同じくらい喉が熱くなって、言葉に詰まった。
ひねり出したことばは「今日賞状もらった。硬筆の金賞の賞状」
本当は言いたかった話のひとつ、私これ頑張ったよエピソード。
「そうか。金賞の賞状もらったのか。よかったね」
父は絶対にそんなこと言わない人だけど、
もし、こんな風に話を聞いてもらえたらこんなに嬉しいんだなと分かった。

お父さんは、話の聞き方を知らないんだと思う。
そしてお父さんも話を聞いてもらってなかったんだと思う。
今はそう想像できる。
私は、こんな風に学ぶことができたから
少しでも役に立てたらいいな。


講座の疲れって筋肉痛みたいだなと思いました。
それだけ本質的なことを学んでいるし
私も全身全霊で挑んでいるんだな・・・多分。
次回に続きます。

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