何かある日々

この間、はじめて自分のお金で少しお高めの焼肉を食べた。
仲間達とだ。日々の愚痴をこぼしながら、社会や生活や人間関係のうざったらしさ、いなくなったやつの話。

色々積もる話は絶えない、結局どれくらい所得が増えても、お金や生活に余裕があっても不満や不安は尽きないもので生活が変わればまた煩わしいことが増えるんだとおもった。背負うもの、背負ってきたものが今は周りにいる。

誤解を招かないように付け加えるが、ずっと前から周りには背負ったり、背負ってきた仲間は多い。ただ、今はそれ以上に多い。

この間、旧友というか腐れ縁のやつに会った。
勝手に縁を切られたやつだ、でもまぁそんなことこれまで何度もあったし俺はそれを生理みたいなものだろうと考えている(女性で生理に悩まれてるかたがもしいたら、この比喩表現が適切じゃないかもしれない、申し訳ない)

連絡が来て、会った。何事もなかったかのように。
多分半年前だったら、怒り狂っていた。会うことも拒んでいた。
でも今は、お互いそんな”出来た人間”じゃないし罵る権利は俺にはないと思った。許した、気にしてない、なんて勘違いされたら困るけど。

でも、自然と会うことも話すこともできた。
それで悲しくなった。多分余裕がない、彼には。
仕事を解雇になったことを武勇伝のように語ってて、笑い飛ばしてあげれなかった。少しだけ罪にも似た気持ちになった。笑って欲しかったから、深刻に受け止めてほしくなかったから冗談混じりに”友人”に対して話をしてくれたのに、それはわかってた。解雇になったのもちょっと前だったから、それなりに自分で考えて今は明るく話していたのかもしれないし、もしかしたら”友人”を前にして少し強がったのかもしれない。そういう背景はわかってたうえで笑い飛ばすことができなかった。

もはや、軽蔑もしてない。もうとやかく言うつもりもない。
だからと言って、それは良くないよとも言う気持ちもない。少し残酷なことをしたのかもしれない。

とにかく彼が伝えたかったのは現状もなお、自分の目標に向かって歩みをすすめていること、なにかを犠牲にして、安定やお金の余裕を捨てでも辿り着こうと今もしていることを伝えたかったみたいだ。

そういったこと諸々こみで『お互いがお互いの道を進んでいるんだな』って話をした。そしたら『悔しいとおもってほしかったな』と返事が来た。

悔しくはならなかった、だって俺は俺が”選んだ道”を時間がかかっても、人には見えなくても進んでいるからだ。お前さんもそうだろ、正直言うと悔しいも悔しくもないも以前にとっくの昔に感情が動く関係性は終わりを迎えていたんだと思う。自然と会うことも話すこともできたのは、お前と戦うところじゃない道を選んだだけな気がする。

もしかしたら、向こうからしたら何やってんだお前、もしくは緩いことしてんなと思われたのかもしれない。どう見えたかはわからないが、背伸びも見栄もお前の前ではもうしなくてよさそうだ。

だからといって友人の道は馬鹿にはしない、ただ違っただけ。違うから分かち合うことはできないだけだと思う。本当のところそれしかない。

でも、それで怒らないでいてほしい。数年前に縁を一方的に切ったそちらがそれを望んでいたのだから、それをなかったことにはしないでほしい。縁を切るというのはそういうことなのだ、またどこかで点と点がつながり、分かち合える日がくるというのは切られた側の感情しだいだと思う。

こう文章を綴っていくと、怒りなのか哀しみなのかわからない感情が湧き上がってくる。でも、後味は哀しいだけが残ったから多分、哀しいなんだと思う。

今いる周りにいる仲間や後輩にせめてその後味を味合わせないようにしてほしいと帰り道そっと願った。

結局、また会って酒を飲んだあたり、拒絶までいくことができなかったあたりどこかでなにかしらの希望をまだ抱いてる自分に反吐がでそうだった。

4月25日
昨日の夜はまた幸福を更新したと思う、乾いてた身体に水が浸透していく感じ、四次元でのイベントは特大な愛で終わった。

クレナズムの萌映ちゃん、やはり歌に対して向き合ってきた人の音楽だ。
歌というものを自分だけのパーソナルなものだけにするのか、それともリスナーにむけて真摯に向き合って作れるか。そこらへんがアマチュアとプロの違いだと思うけれど、萌映ちゃんはそういった意味で今はもうプロなのだと実感した。4〜5年前に出会ったときからとてつもない成長した姿を見れて目を細めた。進んできた結果がお客さんに響き渡っていた。

azur taupe.が凄まじかった、本人達は納得していないことを言ってたけど俺としてはそうは思わなかった。轟音、悲しみや痛み、寂しさの言葉の代わりに救済があった、歌詞が一般的な観点からみたら難解な部分をわかりやすくしなくて済む。俺はわかりやすすぎるものを信用できないから、それが心地よかった。

竹崎彰悟バンドは、仲の良い腕利の仲間たちを5人もあつめて6人編成と多人数バンドで挑んだ。正直に告白するとNo Funや奥山漂流歌劇団さんに憧れて多い人数で音を鳴らしてみたかった。
今回はいつもと違って、ピアノとコーラスがはいった編成。
この2人がいてくれただけで世界がまた変わった、音楽は楽しい、誰と音を鳴らしているかがとても重要で、この6人だからこそだせる音が存在したことに大変嬉しくおもった。
時間があるならもっと音をだしたかった。
くるとは思わなかったアンコール、曲が終わる前に欲深く、もっともっとアウトロに行く前に魂をぶつけ合おうと煽った。音楽でひとつにはなれないが、6人が同じ方向をみることはできる、だからそれを出来たことが自分の音楽史の1ページに刻まれた瞬間だった。

長いこと音楽をしていると、無味無臭な日もあるし、停滞も感じる時がある、それでもやりつづけたらこんなご褒美みたいな日もやってくるのだと思った。まさに宝石箱をあけたようなキラキラとした日々だった。

4月29日
映画の案件をもらって、主題歌の制作をしはじめていよいよ大詰め。立ち合いミックスをした。現状の納期と照らし合わせたときの最大限の答えをだした。終わったあと一つ肩の荷がおりたけど、クレナズムの面々とこの間話した時、13曲の劇伴と主題歌、別案件のタイアップをこなしていて、たった一件でヒィヒィ言ってる自分が恥ずかしく思えた。

今年はもっと挑戦したい、インストのアルバムもそういった意味で作ってみたい、人にもっと歌ってもらう曲も作りたい。
自分から出る音楽としてはもう、商業的なものはあんまりやりたくない、今は。これは本音。やりたくなくても頼まれたらやるけど、一回ちゃんと市場とか商業的なことに向き合って取り組んだうえでの判断。みんな望んでない、今日も産みの苦しみを盛大に味わいながらできた自分が歌う曲をきかせたら、それでよかった。間違っているかどうかは今はわからないけど、自分が信じる方向に進む。

つくってもらった炊き立ての珈琲を啜る、エンジニアのいちやまさんと話が弾んでいく。自分の音楽が自分だけのものとか自分を救う為だけのものとなるのは勿体無い。

もっとやれることはある、この生活のなかでも。

5月2日
久々に早くかえってきた、散らかった部屋の掃除を後回しに洗濯物を洗ってご飯を作った。生活を営むのが楽しい。
昔は”音楽しか”しらなかった、今は”音楽以外”も知っている。
見え方も聞こえ方も変わったりする。それでいいじゃない、言い聞かせることもなく、俺は進んでいるのかもしれないなと少しだけ実感できた。
見据えるものはなにも衰えてはいない、けれど誰かのペースに合わせることもない。でも共に歩いてくれる人がいるのならば、一緒に歩いていきたい。


よろしければサポートをお願いします。 活動資金にはなりますが、音源製作に役立てます!