5月18日-6月5日

5月18日
30代からの風邪は何故こうも長引くのか。命が有限であるということを突きつけてくる。

なにかしらを毎日している、完全なオフというものがない生活をずっと続けている。多分だけど局地的なものであればいいのだろうけど、自分の身体が脆くなっていくことを実感するたびにこのままではいけないと痛感させられる。無茶はたまにするものであって常習的にするものではない、多少の無茶が普通になると無茶しているのにもっと無茶をして潰れて振り出しにもどるなんてもう何度も経験してきている。

とはいえ、ようやく6月からは少しずつ生活を改めれると思う。
この生活をはじめて2年が経った。より個人としての成り立ち、地に足が少しずつついてきた感覚。風邪をひいても一人でなんとか対処できるようになったことも考えたら小さな成長なのかもしれない。

でも、一人暮らしの体調不良の心細さは大小と大きさは違えど慣れないもので布団に寝込んでいるときもぐるぐると考えてしまう。
嫌なことはよくこういう時に思い出す、自分の居場所と、子供の頃に想像していた未来との剥離、裏切ったこと、裏切られたこと、次から次へと思い出す。考えると眠れなくなる、もとより熱が上がりすぎて寝ようにも目が覚めてしまう。身体の節々が痛い、あの時刺さっていなかったはずの何気ない棘が今頃になって疼きはじめる。

渋々と起き上がる、映画をみた、ハッピーエンドかどうかもわからない映画を見終わって、それがちゃんとハッピーエンドであってくれて思わず涙がこぼれた。歳をとると涙腺が弱くなるのは心が弱ったり衰えたのではなく、沢山を知った証拠なのだと思う。涙を流すと瞼が重くなってきてそのまま自然と寝落ちした。

朝方明けていた窓から吹き込んだ風で目を覚ます。熱っていた身体を通り抜ける時、汗ばんだ身体を軽くした。怖がっていたことも穏やかになっていた。


5月20日
武下詩菜、久々にライブをみた。
というのも対バンをしたのも数年ぶり、いっつも飲んだくれて末期のときにShangri-laであっていたけどこうやって音楽人同士で同じ現場で音を鳴らせることに感謝したい。

音楽は度々、現場のエモーショナルなもの、いわゆる”ライブ感”というものが技術を凌駕する瞬間がある。今この時にしかだせない音、空気、言葉、だからこそライブは楽しい。

でも、ライブ感に依存しすぎたミュージシャンを幾多もみてきた。それを見るたびに興醒めする。これは自分の性質なのかもしれないけど、頑張っていることを評価されないとか、それは大人たちが、政治家が、社会が、という結果の評価を求めれない人々のライブには一貫性がないからあまり好きではない。もとより自分も以前はそういったタイプの演奏をしていたり発言をしていたこともあって尚更あの頃を見せられているようで苦しくなる。まだ歳下の子たちであれば理解できるのだが、同い年や歳上がそれをしていると冷ややかな目を送ってしまう。

だから、ライブ感に依存されないために我々ミュージシャンは技術を磨かなければいけないのだと思う。確かなもの、次の一手をだすために自分の安心材料のために、最高のパフォーマンスをするために。

武下詩菜はそれをもっている、歌声の安定感、ルーツミュージック、R&Bを彷彿とさせる独特のリズム感。それが備わっていてはじめて”歌声に魂が宿る”

これは個人的な意見だが、一生懸命でかい声をだすのは”生きている歌声”であるけど、”歌声に魂が宿る”ことはないと考えている。

俺は、歌声に魂が宿ったあの神秘的かつ圧倒的なものをみせられるたびに心が動く。多分好みがそちら側であるからだからこそだと思うけど、やっぱり心地いい、一丁一夜では築けない、ただ上手いだけでは辿り着けない境地。

やはり、己に足りていない部分だと思うからこそ、それに魅了される。

同い年の歌姫のライブを一人見つめ、病み上がりだった自分の体内に注がれるようにはいってきていい音楽が流れ込んできた。非常に素晴らしかった。

同時に悔しかた、だが手放しで賞賛もできた、元から武下詩菜は上手かった、だけどそれに甘んじることなく磨き上げてきていることを知っていたからだ。天才ではなく努力の人だ。

自分のライブはすごく悩んだ、悩んだけど、実は前回grafでライブをした時は非常に悔しい結果だったために、自分のスタイルを今回は頑固にも貫いてみることにした。感銘をうけることは悪いことではないけど、それに流されると碌なことがない。練習でしてこなかったことを本番でお試しでしてうまくやれるほど器用ではないし、うまくいったためしがない。

結果は見た人の評価だから実感もないけど、一応お褒めの言葉はいただいた。でもやり終わったあと悔しかった。だけど、まだ前には進める気がして安堵した。魂の話ができるようになりたい。

この日のgrafは非常によかったと思う。


6月03日 
四次元のライブを目前にして高熱にまたうなされていたがなんとか納めれていた。身体が弱っていることに生きているという実感を得ていたがあれこれ言う時間はなかった。

呼吸、これがどれだけ歌に関わってくるのか。下手くそなりに日々練習したりしていくと声は当たり前だけど身体から鳴らしているものだと実感する。口に出せばだすほど当たり前すぎることだけど、今までは喉だけでだしていた感覚だった。それをしっかり自分の身体に落とし込むのに10年かかったあたり、曲を作る能力あれどうたうたいとして如何に未熟な自分であったのか恥ずかしくてしかたない。俺が上手いとおもった人はすでにその先をみているのだろう。

体重が増えると不思議と声の響きが全然違う、これも当たり前なのか。でも増えた分コントロールする力をもっていないから無様に溺れているような感覚になる。そうしたこともあって、少しずつだけど自分の身体にむきあってみようと4月後半から少しずつ身体を鍛えはじめた。家でできるトレーニング、シンプルに体重を減らすなどの絶食ダイエットなるものは自分が体重がある時の発声方法のまま身体が追いつかないというバランスを崩してしまうため、適切な落としかたを探す。いわゆる筋肉質でボディービルダーの肉体というよりも、マラソン選手のような削ぎ落とすイメージで身体を動かした。イチローが言っていた『誰しもが自分に適したバランスを持っていてそれを無理に増やそうとしてバランスを崩し怪我やプレーに影響がでてしまう』と言った感じのこと。これは我々うたうたいも同じことなんだと思う。

結果は2〜3ヶ月経ってからでる、すぐに現れるほど肉体はできていないみたいだ。とはいえ、四次元のライブ直前の高熱で体力をとても消耗していたみたいで息が続かない。いつもより一層丁寧に、綱渡りするような感覚でライブをした。人がどう見えたかわからないけど、とにかくやりきった安堵感と、ここ数ヶ月のトレーニングを活かせなかったことがとても悔しかった。
まだはじまったばかり、大きく突き放された同期の音楽人、後輩、先輩との距離を縮めるのは日進月歩のような努力を積み重ねるしか方法がない。つまるところ皆それを昔からやり続けてきただけ。まだまだ未熟だ。

この日、共演したアサトアキラさんとは久々の共演だった。どれだけ話してもどこで出会ったのか覚えていないけど、ハミングバードをかき鳴らし、劇場型とも言えるライブをしていたアサトさんがいつのまにかガットギターに持ち替えて丁寧に歌を歌っている姿をみて、この人は自分の歩みたい理想を歩いているように思えて嬉しかった。たったひとりの孤独だと感じていた。界隈、ギターと歌だけの世界、ライブハウス、仲間、そういったものを切り離してでも追求するその背中がカッコよかった。歴史をしっているから贔屓目ももしかしたらあるかもしれないけど、個人的にアサトアキラのライブは参りましたと思わず口にしてしまったほどだった。

やまちゃんでラーメンをしばきながら最近抱えていたことを話した、確か北海道にたどり着いてまったくお金がなく音楽をやめようと考えていた時に再会したアサトさんにも沢山悩みを打ち明けていたと思う。

自宅から大きく遠回りになるもそのままアサトさんが泊まる宿まで一緒に話しながら帰った。東京で今も活動する先輩の姿はとても大きかった。


6月5日

9029works
宗さんが立ち上げたクリエイターチーム、通称『宗組』ではじめて制作したこの8分間の映画。それぞれのエキスパートが揃って48時間以内に脚本、撮影、編集、納品までおこなう48時間映画祭。それをつくったのが2年前。

その時、音楽班として宗組の一員で携わった、エンディングと劇伴を担当した。もちろん48時間以内につくった。実はその時にED曲として書き上げた歌入りの曲があった。残念ながら尺の都合上それが採用されることはなかった(48時間映画祭では多分あるある)。

ただ、この映画は宗さんの核とも言える久留米の街で育った僕らが身につけたエモーショナルがあって、お披露目とはならなかったもののそのまま完成までさせようとフル尺を作った。桜花琴にそれを歌ってもらうために。

とはいえ、完成するまでには二年かかった。ほぼできていたのだけど、桜花琴の上京と、自分の新生活もはじまってプロジェクトを動かせていなかったからだ。でも、完成させたかった。自分で言うのもなんだけど良い歌詞とメロディを考えれたから。

そうして5月30日にプロジェクトの再始動として桜花琴側に正式にデモを送った。東京に行ってしまった彼女とは遠隔でレコーディングするほかないと思っていたけどちょうど短期間だけ福岡に帰ってくる予定があったとのことですぐにこっちのスタジオでディレクションしながらのレコーディングが実現できた。少しだけ、この曲に運命を感じた。

そうしていきながらレコーディングをはじめた、自分がつくった歌ながら難解なメロディーとタイム感がある曲だから難航はしたけどそのまま録り終わることができた。彼女の良さを引き立てることができたと思う。

そのレコーディング中に一本の電話がかかってきて、そのままこの曲のタイアップ(ていうと大袈裟だけど)が決まった。これも運命、まだ話せないけど公開するのがとても楽しみだ。

物作りは好きだ、音楽を作るのが大好きだ。

それを仲間たちと作ることができるのがもっとも大きな喜びだ。
つくったあとに、人に聴いてもらえたら、それが良いと言ってもらえたらこれ以上ない幸福な気持ちになる。

you can make it.と名付けたその歌がはやくみんなの元に届いて欲しい。



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