GOTOで岡山の古墳に行ってきた(1)こうもり塚古墳
高速PAに前方後円墳?…岡山は古墳のホットスポット!
GOTOキャンペーンで岡山の古墳を見てきた話です。
もともと古墳メインの旅ではなかったのですが、温泉の西の横綱「湯原温泉」に行くことになったので、ここぞとばかりに古墳をねじ込みました。
岡山旅行の写真
今回は内陸の観光地を周遊。せっかくなので見てやってください。
備中松山城
雲海の中のお城。天守閣に至る石垣も見ものです。
吹屋ベンガラの里
ジャパン・レッドとして有名な弁柄(ベンガラ=オランダ語)。硫化鉄鉱石から硫酸鉄を取り出し、焼きを入れると赤錆(酸化第二鉄)になり、さらに精製すると渋い赤色に。古代から利用されていた塗料です。
次は…怒涛の鍾乳洞3連発!
井倉洞(いくらどう)
井倉の滝は、鍾乳洞内の水を排出するために人工的に作ったもの。下に到達するまで、あと何年?
垂直型の鍾乳洞で、まるで冒険しているような見学通路でした。頂上から雨水が落ちてきて、洞窟を形成しているのですね。
備中鍾乳洞(びっちゅうかなちあな)
1つのホールが大きい!入り口もスゴい。
満奇洞(まんきどう)
複雑怪奇な迷路構造。洞窟池もあり見応え抜群!
湯原温泉 砂湯
重力式コンクリートダムの真下に混浴露天風呂!?野趣溢れる名湯!
いいお湯でしたが、この時期は湯上りが寒かった…
津山ホルモン
B級グルメの王様。もちもち麺と甘辛ホルモンが絶妙にマッチ!
B'z稲葉さまのご実家
ガイドブックにも載ってたので外観だけ撮影。この日もファンが訪れていました。B'zファンの聖地。
津山まなびの鉄道館
レトロな扇型機関車庫。機関車トーマスやプラレールを思い出す。
マニアックな観光地ばかり行ってきました。岡山は海産・農産物共にグルメがいっぱい!地形もユニーク!古代から戦国時代と波瀾万丈な歴史あり!で大満足間違いなし。
あと、ここだけの話ですが…岡山の北西部を移動してると、にこやかに笑っているオジさんのピンク色のポスターが、道路沿いにやたらと貼ってあるんですよ。誰?と思ってよく見ると、あの加藤官房長官!
へぇ〜地元の方に対しては、あんないい笑顔なんだ…
総社PAの前方後円墳モニュメント
そして極め付けは、休憩で立ち寄った総社PAに古墳モニュメントがっ!
すっごく古墳推しな自治体?なんだか古墳に向かう気持ちも⤴。
こうもり塚古墳
備中国分寺に寄って駐車場に戻る道すがら、
こうもり塚古墳380mと書いてあったので、夫氏に「すぐ近くに有名な古墳があるらしい」とゴリ押し。
畑の真ん中に小高い丘が。
後円部に回り込むと見えてきました!
入り口の屋根の石、でかっ!
後円部には全国4位の大きさの横穴式石室(全長約19.4m)。
羨道の壁面も巨石。天井の岩の長さに驚き。羨道部は長さ約11.7m、幅約2.1m、高さ約2.8m。
玄室部は長さ約7.7m、幅約3.6m、高さ約3.6m。中には貝殻石灰岩製の家形石棺が安置され、柵越しに見ると白く浮かび上がっています。
墳頂に上ってみよう。
やはり、ここにも祠(古墳あるある)。後円部は径約55~60mの大きさ。
墳頂からの眺め。自然の丘陵を利用して作った古墳だそうです。
全長約100m。ここからだと2段構造だと分かります。
自分だけならもっと見続けたいところだけど、古墳に興味がない夫はスタスタと先へ…後ろ髪引かれながら切り上げる(涙)
吉備地方の古墳群
時代により古墳の形態に変遷があったようです。倉敷考古館のHPは、旧石器時代から中世までの遺跡の分布を分かりやすく表示しています。
弥生時代末期から墳丘墓を作る氏族が存在していて、古墳が多く造られる環境があったようです。
なぜ巨石を使った横穴式石室が造られた?
造山古墳以降、大きな古墳は作られなかったのですが、6世紀後半に突然、100m級しかも巨石横穴式石室を有する前方後円墳が出現します。
中央政権との関係が良くなって築造を認められたのかもしれません。
当時のトレンド(または規制)で古墳が小型化した分、石室に巨石を使うことで権威を示そうとしたのだろうか?外装よりも内装や棺にこだわりを持つように変わったのかも。または、巨石を扱う技術者集団が現れた(渡来してきた)のか?
この地方には、磐座(いわくら=巨石)信仰の遺跡もあります。巨石を扱う技術や巨大古墳を造る技術などが、鬼伝説や桃太郎伝説に繋がっているのでしょうか?調べるほどに興味が尽きません。
どうやって石を運び、どうやって造った?
巨石石室といえば石舞台古墳、作り方を石舞台古墳から学ぼう!
しかし、なぜか我が家のセキュリティーソフトは明日香村HPを絶対拒否…そこで、古い文献だけど図が載っている下記リンク先をどうぞ。
【ご参考】
石舞台古墳の巨石運搬法ならびにその築造法(京都帝国大学文学部考古学研究報告 高橋逸夫 1937)
youtubeなら明日香村公式もOK。(途中からスタート)
さて、こうもり塚古墳に戻ります。
羨道
先ほどの写真を改めて見てみると、羨道の壁石は右側4段、左3段で天井が斜めに。これの傾斜に沿って天井石を被せたようです。
玄室の入り口「玄門」の上部には、見上石が配置されています。入り口を狭くして内部を広くすることで、玄室を特別な空間にしていたのか?
玄室と石棺
玄室内部はブログ「古墳奮闘」さん(ネーミングセンス!)のお写真をご覧ください。様々な角度から玄室内と石棺内を撮影されています。
構造は畿内式(天井が平ら)の両袖式石室(羨道より左右に広い構造)。玄室奥の壁を赤色(ベンガラ?)に染めているように見えます。
石棺の前方が欠けているのは、盗掘被害によるものだそうです。一つ岩からくり抜いた棺は、位が高い人物のために作られた可能性があるそうです。
下に小石が敷き詰められているのは、水はけを良くするためらしい。
羨門
図は下記リンク先(pdf)から。
羨門の下を石で盛り上げて入り口を狭くし、最終的には大きな岩で閉じる予定だったのだろうか?
【ご参考】
備中こうもり塚古墳(岡山県埋蔵文化財発掘調査報告 S54発行)
石室や棺についても調べてみたので、機会があればまとめてみたいです。
(2)に続く。次は巨大古墳に向かいます。
オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。