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歳勝土遺跡 早渕川遺跡紀行(2)

こんな所に国史跡!弥生時代のお墓事情は?

(1)からの続きです。


早渕川中流部 

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  長閑な風景の先に、巨大なマンション群が見えてきました。

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 さらに進むとショッピングセンターが見えてき…あれっ早川じゃない?どうも早川は河川法上の名前らしい。日本の行政って、そう言う事が多過ぎで面倒くさい。

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 それはさておき、あの緑のモフモフが気になる。

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 茅ヶ崎橋を渡り、いざモフモフへ!

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 モフモフに向かう坂の中腹に梅の花。ちょうど見ごろの時期(でした)。

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 グーグルマップによると、この坂道を上って…

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 まだまだ…

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 視界が開けてきた。

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 うわっ、何だコレは!?

大塚・歳勝土遺跡公園

 弥生時代の環濠集落と墓地の遺跡。居住域と墓域が一体となった、当時のムラの様子を示す貴重な遺跡として1986年に国史跡に指定されました。

 グーグルマップあるあるの裏口入園ですが、早渕川下流から来るなら、ここからが最寄り口。一般的には、横浜市歴史博物館側から歩道橋を渡って入ります。

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 まずは、墓域であった歳勝土遺跡から見学します。

歳勝土遺跡(さいかちどいせき)

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 四辺に溝が切られ、中央に平らな盛土が施された方形周溝墓。5基の墓が復元され、残りは敷石で位置を示してあります。 

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埋葬方法

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 盛土を削って、埋葬の様子を展示しています。

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 中央の盛土の下に木棺が埋葬されています。
 関東では主体部が単基のケースが多いので、特別な人の墓ということか?一方で、周溝に子ども用の土器の棺が埋葬されたこともあるようです。
【ご参考】埋文よこはま35-横浜の方形周溝墓

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 この部分は陸橋と呼ばれるそうで、四隅には土器が備えられていたらしい。(祭祀や葬儀に関するものか?)

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 ちゃんと隣の墓との境界線があったのですね。日本的「イエ」意識の原点なのか?

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 敷石で示された方形周溝墓の位置。

古代のお墓の変遷

 縄文時代は、集落の内部に墓が散在あるいは偏在していたそうですが、弥生時代になると、墓はムラの外へと分離されます。人口増による墓域の不足なのか、死生観の変化なのか気になります。

 良い機会なので、古代のお墓事情についてざっくりまとめてみました。

縄文時代
 死者は平等に土坑墓(土を掘った穴)に埋葬されていました。共同墓地にはストーンサークルなどが施されていたケースもあります。屈葬が多く、その理由として「母親の胎内に戻る」や「墓域の省スペース」が挙げられます。白骨化した遺体を再葬して、新たにスペースを確保した跡もあるようです。
 土器の甕(かめ)に葬られたり、石を抱えて埋葬されたりしました。抱石葬は「死者の甦りを畏れる」説のほか「死者への贈り物」説があります。(真逆?まあ、数千年前のことを分かるはずもなし)
 副葬品は簡素で、勾玉などの装飾品や身近な物が供えられたそうです。

弥生時代前期
 大陸から稲作が入ってくると共に、墓制にも変化がありました。
 土坑墓だけでなく、木棺墓石槨(せっかく)に埋葬される人が現れます。方形周溝墓のような墳丘墓が西日本で盛んに作られました。当時は家族の墓だったようで、複数の棺が埋められていました。
 関東では、まだ縄文時代の埋葬形態を継承していたようです。

弥生時代中期
 瀬戸内海沿岸に円形周溝墓が現れます。一墓一体の埋葬なので、特定の権力者を葬ったそうです。お墓の形態や副葬品に、序列や階層が表現されるようになります。 
 一方、関東では遅れて方形周溝墓が伝播・普及します。一墓一体の埋葬形態が多いそうなので、既に特別な人向けのお墓だったのでしょうか。 

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播磨の弥生墓-円形周溝墓と方形周溝墓(赤穂市教育委員会)より

弥生時代後期
 
瀬戸内海沿岸、近畿地方で墳丘が大型化。特に吉備地方で墳丘径45mの墳丘墓(楯築墳丘墓など)が現れます。従来は集落近くに埋葬されていたのが、高台に築造されるようになり、より特別感が増していきます。
 これらが、古墳へと変貌していく前段階だと考えられています。

 縄文時代の「水平型社会」から、徐々に権力や支配が系統立っていく「垂直型社会」へと変貌していった様子がお墓からもうかがえます。

 とすると、歳勝土遺跡では普通の人はどこに埋葬されていたのだろう?土坑墓だから骨も穴の跡も残らなかったのか…謎だ。

【墓制の変遷についての参考リンク】

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【副葬品についての参考リンク】

【葬送儀式についての参考リンク】


歳勝土の由来

歳勝土(サイカチド)って珍しい地名と思ったのですが、「サイカチ」地名は関東と東北そして何故か愛知県に結構多く存在します。
どんな由来があるのと思って調べてみたら…

槐(さいかち)はマメ科の落葉高木で、山野や川辺などに自生。生薬やサポニンを多く含むため、煮汁が石鹸がわりに使用されたそうです。
歳勝土は「槐がある(ような)処」でサイカチドということでしょうか。

他には、「中川の地名」という本に「カブトムシやクワガタムシをさいかち虫と呼び、それらの虫が発生する場所につけられた地名」と記載されているそうです。(20220316追加)


リアルなお墓の話

 全然遺跡とは関係ないんですけど…最近、我が家も新しくお墓を買ったんですよ。遠くに住む義父をサービス付高齢者住宅に呼び寄せたのをきっかけに、古いお墓を引っ越すことにしたんです。
 義父は「もう墓石の墓が面倒だから、マンション型がいい」とサバサバしています。今まで一人で管理してきたので、大変さが身に染みているようでした。実際、私の実家のお墓がある霊園では、荒れ放題のお墓が所々に見られます。
 でも、マンション型墓苑を見学してきたのですが、私は絶対入りたくないと思いましたね。夫氏も同様に思ったようです。

 許されるのなら、私自身は海や山で散骨がいいと思うんです。でも現代社会では難しい。そんな時、たまたまNHKの「72時間」で樹木葬の話を見たんです。二人して「これだ!」って顔を見合わせました。

 それから、いろいろと自然葬墓苑を見学しました。単なる植え込み(しかもすごく狭い)を無理矢理お墓にした「名ばかり樹木葬」、完売なのに樹木葬霊園を標榜し見学者にミニお墓を勧めてくる「客寄せ樹木葬」。何度か無駄足を踏みましたが、探し始めてから半年ほど経って…

 家からはやや遠いのですが、どうにか納得のいく樹木葬霊園を見つけました。石のお墓と比べても決して安くないのですが、花木が植えてあり広々した風景だったので家族分の契約しました。
 樹木葬墓苑の人気は高く、多くの人が見学に来ていました。新区画を売り出すとすぐ埋まるそうです。中には40代のご夫婦が2人分の契約をされて、既にタイルに銘を入れてあると伺いました。

 墓探し、契約、墓じまい、再納骨と大変でした。まだお墓を買うような年齢じゃないのですが、終着地が決まっているという安心感はあるかも知れません。(このまま無事には入れるかは、まだ不明ですけどね)

 古墳を造った(造るように命じた)人たちも、安心したかったのかなと思いを巡らしました。

(3)に続く。


オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。