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で、鶴見川遺跡紀行は今どうなってるん?

2021年6月より連載を続けている鶴見川遺跡紀行。

2022年12月の上流編記事を最後に更新が止まっております。いよいよ、これから源流域に入るというところで、一体どうしたのか?

「主はもう遺跡散策に飽きてしまったのでは?」
「新たな推し活を始めたんじゃね?」
などど、思われる向きもあるかもしれません。
(蛇足ですが…うちのPCが古いせいか、「おしかつ」と入力すると「お死活」と変換されます)

いえいえ、そんなことはありません。
我が心には、鶴見川沿いの遺跡への熱い思いが溢れており、記事にはしていないものの、コツコツと遺跡巡りを今も続けています。

さすがに、ママチャリで上流まで毎回遡上するのは非常にしんどい(特に町田市域に入ると急に勾配が上がる)ので、電車で現地に赴き散策するチート作戦を展開中です。
川に沿って進むことはできませんが、遺跡周辺を足を使って散策することで、今までならスルーしていたような発見もあったりします。

実は既に、鶴見川源流にも到達しています。
こちらは鶴見川源流の泉と呼ばれる場所。

本当の源流は、丘陵地の奥の谷戸頭にあります。
鶴見川水系と多摩川水系の分水嶺
晴れていれば河口付近の建造物が見れるらしい

現在、鶴見川上流域に網羅できていない遺跡がまだ残っているので、そこを巡ってから順番に源流地点まで書き進めようと考えています。

小野路、小山田城などの中世の遺跡も巡っているので、乞うご期待!


それと、箱根越えの記事もどうなった?

昔から東海道の難所であった箱根越え。時代によってルートに変遷があることを紹介してきました。

この記事も更新がぱったりと止まっておりますが…

昨年11月、中世の箱根道「湯坂道」を登りました。この道は平安時代から戦国時代の終わりまで、約800年間も使用されていたルートです。

湯坂道入口の看板
ハイキングコース最高地点の鷹ノ巣山

これで、奈良時代の箱根道を除く4ルート(古代、中世、近世、近代)を体感した訳です。

箱根路の変遷について 土木史研究第13号より引用し加筆 原図は箱根教育委員会

残る足柄道は24年度上期中の踏破を目指し、個々のルートの考証をしていきたい…とは常に思っています。


以上、言い訳という名の近況報告でした。



オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。