生き様。プラチナエンド6.5~15

人は、生きていなきゃ駄目なんだ。


これは、主人公明日が思う「不当な死」を目の前にしたから出た言葉なのだろう。

でもそれが「不当な死」かどうかは自分が感じることだ。

愛を知らずに生きてきた人が、愛を身体いっぱい感じながら死んだ。
毎日を惰性に生きていた人が、生きている実感を持って死んだ。

その死に方自体がどうであれ、本人は満たされて死んだかもしれない。
所詮、死に直面したその人にしかわからないことだが。

私は、「死」がこの世界に存在しているから、今生きているその「生」が輝くのだと考えている。

「死」がなかったら、人としての感情の形は大きく変わっていたであろう。


そして、明日は六階堂の死を目の前にして何を思ったのか。

もともと生きる希望なんて持っていなかった彼。
それが、家族を守るため自分の命を顧みない行動。
死んではいけない、見届けるまでは、最後の使命を果たすまでは。

六階堂の天使バレの言葉が沁みます。


何より、人の命も平気で奪えて、神になることを望んでやまないメトロポリマンこと、生流奏(うりゅうかなで)は自分の「正義」を振り翳し生きていた。

そして、「死」を目の前にしたとき「死」への恐怖をただただ感じていた。

確かに彼の環境は、裕福で恵まれていて、全てにおいて「一流」から学び、「一流」に触れて生きてきた。

そんな彼が自分こそが絶対で神にふさわしい、そう信じ続けていた。


それが哀れなことだとは言わない。
彼の価値観を否定することは誰にもできない。

ただ、彼自身が執着せず、フラットに見ることができたのなら…


そんな彼にハムレットの「物ごとによいも悪いもない。考え方次第なのだ」という言葉を送りたい。

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