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人を育てる話。

みなさん、育ててますかー?

何をって人をです。
社会に出て数年たって後輩が入ってきた人もいるでしょう。お子さんを一生懸命育てている人もいらっしゃいます。
先生として教鞭をとり学校で生徒を育てている人も、高校生でも部活などをやっていれば後輩を育てることもあります。

では、人を育てるってどういうことなんでしょうか。少し考えたいと思います。

人は人を育てるのが好き!?

学生の頃に部活をやっていた人は、新入生が入ってくるのを楽しみにしていたのではないでしょうか。それは、後輩が入ってきたら片付けや雑用をやらなくて済む!といった気持ちも多少はあったでしょうが、純粋に自分より出来ない人がいることに喜びを覚えたのだと思います。
これは社会人になってもしかり。新入社員が入ってくるとなれば、少しカッコつけて挨拶をしたり、できる先輩を印象づけようとしませんでした?

これは頼られたい願望が人間だれしもあるためです。これを承認欲求といいます。聞いたことある人が多いのではないでしょうか。

そしてその承認欲求を満たすために、人は他人を育てるのです。きっと。

と、これでは普通の話になってしまいます。

そうなってはつまらないので、少し違った視点から見ていきたいと思っております。

なぜ育てるのか

そもそもなんのために人を育てるのでしょう。
今、会社や家庭で人を育てている人は胸に手を当てて考えて下さい。なんのため?なんのため?

会社の将来のためでしたか?上司から言われたから?ワイフや旦那や親がうるさいから?なんかどれもしっくりこなかったんじゃないですかね。

なんだか照れくさいからそう思いたくない自分がいるかもしれませんが、きっと人は何かが育つのを見るのが根本的に好きなんです。そこに理屈はない。人間がホモサピエンスとなったとき、いやもっと以前のネズミの時代から遺伝子レベルでそうなんです。エビデンスは一切ありませんが。

育成ゲームや観葉植物、家庭菜園や愛玩動物なんかの世の中のニーズを見る限りは、あながち間違ってもいないと思うんですよね。

育てることは向き合うこと

よく人材育成で悩んでいる人を見かけます。管理職なんかで多いイメージですよね。巷ではそのような人向けの本もあふれています。私はほとんど読んだことがないのですが、ちょっとググってみた感じだとかなりハウツー的なものが多そうな印象ですね。
モチベーション理論、リーダーシップ、行動科学、行動心理学など。または組織論なんかも多数あります。

これらの本のタイトルだけ見ていると、まあ言いたいことはわかるけど、ちょっと本質的ではないんじゃないかなと思ってしまうんです。

人を育てるということは、そういったハウツーで語られるべき話ではなく、もっと本能的、というか、生命としての尊厳に関わる話じゃないのかと。

管理職で人を育てることに対して悩んでいる人が多い状況をみると、日本の将来が少し心配になる。どうしてかというと、自分の子どもを育てるのにも悩んでいるということですよ?
もしくは自分の子どもを育てた経験があるにも関わらず、人を育てるということに迷いがあるということかも知れないですね。実はこちらの方がヤバいかも。

自分の子どもであろうが、赤の他人であろうが、人を育てることの本質はそう違わないはず。
違いがあるとすればどこまで向き合えるか。という一点だけ。

そこをテクニックに走ってしまうからおかしくなってしまうわけで。

育てるのは苦手!?

テクニックに走ってしまう理由として考えられるのは、苦手意識が強いけれど、どうしても避けては通れない道でもある。なので、一時しのぎに走ってしまうのだろう。

人を育てるということに苦手意識を持ってしまう原因がいくつか考えられて、

① 自信がない
② 理想がない
③ 時間がない

①の自信がない。自分への自信のなさ。自分みたいな人が人を育てていいのだろうか。私を昔指導してくれた先生や親はもっと立派だった。それに比べて私は。。。みたいな感覚。
②の理想がない。これはあるべき姿がないこと。育てた結果、どのような人物になってほしいか。という明確な像がないので道筋がわからない。
③の時間がない。これは育てる時間がない。向き合う時間がない。

「自分への自信のなさ」
これは幻想じゃないかなと感じます。子どものころには大きくなんでも知っているように感じた大人。その印象が強く残っていて当時の大人と比べると気後れしてしまう人も少なからずいるはず。
でも、よく考えてほしい。30年前より世の中は劇的に進歩していて、社会は便利になっていて、科学は進歩していて、いろいろなことが解明されている。普通に日々生きていれば、絶対に自分の父親の同年齢の時と比べて、恥ずかしいレベルで退化しているということはない。自信を持って!

「あるべき姿がない」
これも①の自信がないとかぶっているところがあって、自分の生き様を子どもたちに見せれないんじゃないかなと。
自分に自信がないので、どちらかといえば自分のようになって欲しくない、かといってどんな人になって欲しいかもイメージがつかない。そして、人に迷惑をかけない人であったり、自分の思うままに生きて欲しいなど、若干、思考を放棄したような人物像を描いてしまうのだろう。

「時間がない」
作りましょうよ、時間。何かを育てるというのは、優先順位を高く持ち、意識的に取り組むように自分の考え方を変える必要がある。時間がないというのは優先順位だけの問題なので優先度を上げるだけでこれは解決するので。

別の話として、日本人は、何かが育つのを見るのは好きなんだけど、自分が何かを育てるのは風土的に苦手なんじゃないかなと思っている。これには、謙虚であることが美徳だという文化観が根底にあるのではないかと思う。(念のために言っておくけど、謙虚であることが美徳ではあると思う。けれど、いつでもどこでもだれにでも謙虚であるのはちょっと違うと思う)
育てるということをおこがましく感じてしまう的な気持ちがあるのかも。

人を育てるために

だけど、育てられる側の立場に少し立ってみよう。
この人についていこうと思っている人が、むやみに謙虚すぎたり、自信がなかったり、理想を持っていなかったり、時間にあくせくしていたら、どう感じるかな。
きっと、自信を持てないんじゃないかなぁ。

基本的に、生物は自信があれば伸びていくと考えている。

植物は基本的に太陽の方向に伸びていく。動物も太陽によって生活のサイクルを知る。太陽の放つ強烈な光は、すべての生命に進むべき方向の自信をもたらしてくれる。

人を育てるためには、自分が太陽たれ。ということなんだと思う。

別に細かなテクニックが必要ではなく、見上げたらいつもそこで輝いている。それだけあれば人は育ちたい方向に育っていくんじゃないかな。

別にめちゃくちゃ輝かんでもいいと思うんやけどね。

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