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ジェンダーの話

正直男に産まれなくともそこまでの損があったわけでもないので
まぁいっかと思ってはいるんですよ。このつむは。

だけど男になってみたかったことはある。
ものすごくなりたかった時もある。
男の何がそんなに惹きつけたかというと、
そのユーモアだ。

女にはないユーモアが男にはある。
しかし勿論全男ではない。
イカれたジェントルオモロイマンだ。
それは体得するにはちょっとコツと修練が必要な、独特なものだ。

しかも私が好きなそのユーモアというものは、
女の身で体得したところでおそらく「おもろい」以外に使い道がなく、
おもろいを至上としたところでちょっとなんか、
それなりのデメリットも実はあったりするものだ。

だから私は男になりたかった。
それに男になるなら勿論ラオウボディラオウメンタルにつけて、
そのユーモアを沢山載せたスーパースペックが良かった。
もしそうだったら、なんか普通に散歩して仲良くなれそうな人にひとネタ披露して帰るちょっと変わったジェントルフレンドリーおじさんになっただろう。
多分威圧感がすごい。

女だからといって、何事にも劣るなんて男尊女卑の亡者の言を気にするようなこのつむではない。
そんな亡者の語る能力なんてものは言うほど大した問題ではないのだ。

能力なんかで語ることはつむ的にはナンセンスだ。
それは男女は全く関係ないものが多い。
大抵経験値や自分に適しているか否かによる。
あとはまぁちょっと寝たり寝なかったりしながらしばらく頑張ればなんとかなったりするものだ。
そもそも能力的に優っていることをやたらと誇示すると、もうそれだけでちょっと面白くない。アウトだ。

ただ、ただ、ユーモアについては違う。
おもろいことを追求しようとする姿勢。
ポロッと出る面白さ。
調整に調整を重ね研ぎ澄まされたセンス。
これについては負けを認めざるを得ないことがすごく多い。
生来か?と思うような素養。
特に中高生あたりだと顕著だ。

加えて女であることについてすごく悲しみを感じたのはどこかで読んだ一文。

「女にオモロイことを言うことは求めていない。
女のユーモアっていうのは、男が言ったことに対してリアクションして笑うことだ」


…んぇ!なんで!?

その話によると、一般に男は「受け入れられている」感を得て面白いと思う、とか書いてあった。
それはどちらにも風評被害が過ぎるんじゃないのか。

どんなうまいことを、どんなオモロイことを返してやろう。
どんなオモロイ話し方をしてやろう。
友人と一定の方向へ研ぎ澄まされたおかしな会話を楽しんでいた若き日のつむを全否定された気分だった。

今だって会話をちょっと湾曲させて遊ぶことを一生懸命考えているのに、
女をこの世界から切り離そうというのか!?
かなりの衝撃を受けた。
世界がぐらついてしまった。

そして数分後には、「これ書いたやつ、あんまりおもろくないな…」と思ってそっ閉じし、
いつも通りのよくわからない色気も素っ気もないオモロイだけを目指した会話を対戦のように楽しみ
「くっそおおお勝てねえええもう出てこねええ」と挑み続ける。

しかしながらこれもまた経験が勝ることでもある。
男なだけではオモロイおばちゃんには勝てなかったりもする…!
オモロイおばちゃんはかなり強い。
オモロイおばちゃんというのは女の可能性を切り開く存在だ。

生理が無くなってしまえばあの激烈面白くないトンデモメンヘラな3日間も消えるのだろう。
勝負はまだ、決まっていない。
いつか勝ってやるぞ!

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